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バルカ機関報告書

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 査察官は愚痴った。
アルビオン連合特別地区は、全市に張り巡らされた次世代通信網によって運営されていた。政治的な命令や通達の伝達、経済活動、その他、個人間の連絡に到るまで、ほとんど全ての情報のやりとりが、この巨大な新世代光通信網によって支えられていた。そしてこの神経網の中枢となり、全市を制御統合するのが、アルビオン中央管制システム(Albion-Central-Control-System)通称アークスであった。全人類の英知を結集した科学の街アルビオンの情報の全てを司る大脳。そしてエレナが欲する真実の断片もこの『聖櫃』のどこかに潜んでいるはずだった。
真実の断片――。
つまりはアルビオンの支配者バルカ機関についての情報である。そして、エレナはコレオーネの会食までの間に、ほんの僅かでも良いからバルカに近付くために聖櫃のトップランクデータベースにハッキングをかけていたのである。もっとも、彼女の努力はこれまでのところほとんど徒労であったのだが。
 だが彼女が追い求めるバルカとはいったいどういった組織であるのか?
 知識のトラストとも、もっと端的に科学マフィアと言われるこの組織の源流は、二十世紀初頭に起こった地球外知的生命体を探索する科学者達の同好会にあるという。それが何世紀も経て様々な開発研究に携わるうちに人員、資金を増強し、ついにはアルビオンという自分達の居城までも有する巨大組織へと成長を遂げるに至ったのである。
 彼らの総帥が『アルビオンの法王』と呼ばれるようにその構成員達も次のように揶揄されることがあった。つまり『アルビオン騎士団』。数十兆レアルにも及ぶ膨大な資金と五十万を数える人員、そして自治区という拠点まで持っている彼らは、まさに暗黒の時代のテンプル騎士団の再来であった。彼らは知識をもって無から有を生み出し、零を一にすることすら可能であった。彼らこそは虚無から財物を生み出す二十三世紀の錬金術師達であった。
 恒星間の航行に不可欠な重力カタパルトの維持補修を引き受けるのは彼らバルカであったし、新規殖民惑星の開拓プログラムはバルカ無しでは絶対にたちいかなかった。新規殖民には天文学的な規模の利権がついて回ったが、それを政治屋達に分配するのもバルカであった。そして、これらの新規殖民星群の秩序を維持するために必要となる軍事物資を供給するのもバルカであった。とどのつまり地球は物理的には地軸を中心に回転していたのだが、哲学的には地球はバルカを中心に回るようになっていたのである。
 しかも多くの人々にとって厄介なことにこのバルカという組織は、市民の思惑とは全く無関係な場所で意思を決定するブラックボックスであった。彼らは完全に独立した組織であり、その内情はほとんど秘密結社と変わらなかった。彼らは様々な工作によってアルビオンという自治区を手に入れてからは文字通り『好き勝手にやっていた』のである。彼らを本当であれば管理監督するはずの連合政府ですらこの巨大組織の内実をすでに完全に把握できていなかった。
 エレナ・ゴールドウィンの任務はこのような巨大な怪物の査察であった。査察というのが難しければ怪物がいつ目覚めたか判るように彼の首にリボン付きの鈴をくくりつけるとしても構わない。
 バルカに関係している人々はともかく、その他の人間にとってみれば、自分達の意思とは関係なく、しかも、強力な力を持っているバルカという組織は不審の対象でしかなかった。
 ――バルカに透明性を!
 ――バルカの意思決定機関に市民の代表を加えよ!
 ――バルカに財政収支の開示を求めよ!
 バルカに関係しない人々、特にはマスコミや、マスコミで働くマス・エリート達、そして市民団体はバルカが大きくなるにつれてそのような要求をバルカに突きつけるようになった。彼らはバルカが恐ろしかったからそのような難癖をつけたのだろうが、実のところ彼らには最初からそのようなことを要求するような権利など無かったのである。
 ただ時として愚かな盲牛の群れが歴史を作ることがある。
 市民達の圧力に、バルカの伸長を快く思わなかった連合の議員達が同調したのである。かくして議会で連合特別措置法第一一三条が成立することになった。
 連合特別措置法第一一三条。
 何のことはない。バルカに査察官を送るというただそれだけの法律である。そして、その法律に基づいて放たれた天の雷がエレナ・ゴールドウィンというわけである。
「貧乏くじを引かされたとはこのことだ」
 エレナはぼやいた。
 連合の政治家達は法律を整えたが、果たして彼らの中に正面切ってバルカと事を構える度胸と覚悟を本当に持っている人間がいったいどれだけいるかというとこれは疑問であった。政治屋達の多くは一応、査察をしたという格好が着けばそれで良いと思っているのではないか。エレナはそんなことを思っていた。そうでなければ、査察団の構成人員たった一人などという馬鹿な話があるわけがないではないか!
 市民団体やマスコミなどというものは確かに圧力団体として手強い相手であったが、圧力団体としてならばバルカという組織のほうが資金でも人員でも圧倒的に上であった。バルカこそは最大のロビイストであり、彼らが本気になれば、連合議会の全員を買収することさえ不可能ではなかったろう。いや、実際にはバルカはもっと恐ろしい相手あったのだ。
 ――これは裏で話がついているのではないか?
 エレナは議員連とバルカの間ですでに裏取り引きが成立している可能性についても考えていた。
 だとしたらエレナこそは良い面の皮である。連合議会の議員達は、選挙資金を提供してくれる気前のいいご主人のご機嫌伺いで被った鬱憤を晴らすようにエレナに圧力を加えてくる。バルカに関する情報を少しでも多く採取せよと無慈悲な高利貸しのような催促をしてくるのだ。本当にエレナがそのような情報を手に入れて困るのは議員達だと言うのにである。
――議員連に恨まれるようなことを私はしただろうか?
 エレナは端末のキィを叩く手を止めて自問自答する。
 ――している。
 エレナには思い当たる節が無いわけではなかった。彼女は何年か前に所属する司法省の上司に、職権を盾に関係を迫られたという思い出すだけでも胸くその悪くなる経歴を持っていた。エレナはそれを不当だと突っぱね、人事院で上司の横暴の全てを告発したのである。エレナの上司はそのような醜聞にも係わらず次官に昇進し、やがて政界に転身、上院議員となった。
 ――あの時の恨みを返すということか。
 エレナにしてみれば面白いはずがない。それでも仕事に向かってしまうのは、やはり骨の髄まで染みついた役人根性なのだろうか。
 「六時までまだだいぶある……」
エレナは、もう一度情報端末に向かった。

 バルカの王と子供の会話
作品名:バルカ機関報告書 作家名:黄支亮