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バルカ機関報告書

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コレオーネの御曹司は、それからというもの、しばしば施設にやって来るようになった。そして、その度にツカサを外の世界に連れ出すようになった。子供のほうは施設を離れて大いに遊べることもあって、ジュリアーノが訪れるのを楽しみにしていた。だが、施設スタッフ達は、何の連絡もなくやって来ては、実験スケジュールとカロリー計算を徹底的にぶち壊すジュリアーノのことを蛇蠍の如く嫌っていた。もっとも相手が権力者であるので、スタッフのほうもなかなか表立って文句を言うことができない。それでも、一度だけ施設の所長が、ジュリアーノに自省を求めるという場面があった。ツカサの目の前で起こったことなので、少年はそのことを後々まで良く覚えていた。
――コレオーネ様、こちらにそうそう何度も来られては困ります。実験が滞る可能性があります。
所長は科学者としては優秀であったかもしれないが、結局はそれだけのことであった。この時のジュリアーノの返答はこうであった。
――人生が滞るわけではないのだからいいではありませんか。
ツカサには、大人の会話が難しすぎて良く判らなかったが、いつも部下を大勢引き連れて威張ったようにして歩く白髪頭の所長が、みるみる顔色を悪くして、唇を噛んでいる姿を見るのは分けもなく痛快であった。
――おまえの科学者としての人生、ここで終りにしてやってもいいんだぞ。
所長はジュリアーノの笑顔の下に脅しの匂いを感じ取ったのであろう。
実際に、ジュリアーノが、その様な恫喝を言外に匂わせていたかというと、これは大いに疑問の残ることであった。本当に青年は、一般論を語っただけだったのかもしれない。確かに実験が滞るなどということは人生が滞ることに比べればたいしたことではない。
――この男は恐ろしい。
それは、小心の初老の権威主義者の過剰反応であったのかもしれない。
いずれにせよ、アルビオンの権力者はしばしば施設にやって来るようになったのである。けれど、それでは何故、ジュリアーノがツカサのところにやって来るのかということは、スタッフはもちろんツカサ本人にもよく判らなかった。
――じりあーのさんは、どうして、ここに来るの?
そのようなツカサの小さな問いに、ジュリアーノは、
――君に会いに来るのさ。
と、応える。それでは、と子供が、
――どうしてボクに会いに来るの?
と、問えば、
――さて、どうしてかな。
と、コレオーネの御曹司は、微笑むばかりなのである。
――何となくということがツカサ君にもあるだろう。何となく、星を数えるのが好きだったり、何となくアネモネの花が好きだったり、何となく夕立が好きだったり。
確かにその通りである。この世には何となくというものが数知れずある。もちろん、突き詰めて行けば何かしらの理由があるのだろう。けれど、物事には突き詰める必用の無いものもあれば、むしろ、あやふやなままに残して置いたほうが良いものだってある。
――そうか。じりあーのさんは、何となくボクに会いに来ているのか。
子供は納得した。そう言えば、ツカサのほうもジュリアーノのことが何となく好きなのだ。三つ星のレストランで食事をさせてもらえたり、ラス・カサス市に遊びに連れて行ってもらえなくても、ツカサはジュリアーノのことが何となく好きなのだ。これは、感性であって理屈ではなかった。

「ツカサ、あんた、あの男に騙されてるのよ」
リサは苛々とした口調で言った。
ツカサは施設の中庭で捕まえた小さなカエルとにらめっこをしていた。緑色をしたカエルは、ガラスのコップの中で行儀良く座って、喉を小刻みに膨らませている。
「あたしは、あの男が前から怪しいと思ってたのよ」
子供はようやく顔をあげた。
「あの男って、じりあーのさんのこと?」
リサは明言しなかった。今更に確認するべきはことではない。
「あの男は、いろいろとあんたにごちそうとかして、それで、油断させて、それからサーカスにあんたを売ろうとしているのよ」
サーカスに子供を売り飛ばすなどと、リサはいったいどこからそんな知識を仕入れたのだろうか。
「サーカスに行ったら、ライオンとか熊とかと決闘しなくちゃならないのよ。あと、大砲につめられて百メートルぐらい飛ばされちゃうんだから」
ツカサは、小さな声で反駁を開始した。
「ねえ、リサ……」
弟の声を姉は聞いていない。
「ライオンとか熊が相手ならばまだいいわ。何とか頑張れば勝てるかも知れないから。けれど、大砲は駄目。大砲の弾丸になった人の十人に九人は死んじゃうんだから。残った一人も病院でずーっと後悔しながら生きなくちゃならないのよ」
「ねえ、リサ、サーカスでは、ライオンとかと決闘なんかしないよ」
「……何ですって?」
少女は頭頂部から甲高い声を出した。
「……だから、サーカスでは決闘なんかしないよ。動物はみんなとてもお利口にしていて、女の人がやれって言うと、火のついた輪っかを潜ったりするんだよ」
「……あんた、サーカス見た事あんの?」
「うん。見たよ。この前ラス・カサスに行った時に。空中ブランコも見たよ。とっても高いところにブランコがあるんだよ。リサも知ってるでしょ、ブランコ。乗るやつ。あれをこっちからあっちへ、人がピューって飛ぶんだよ。すごく高くて、ホントに恐いんだよ。落ちたら死んじゃうと思う……」
「……」
ツカサは身振りを交えて解説をしたが、リサは決して喜んではいなかった。
「あとね、大砲もあった。けれど、絶対に中の人は死なないよ。だって、死んじゃったら、みんなびっくりしちゃうでしょ」
ツカサは当たり前じゃないか言いたげである。一方リサは、肩を震わせている。
――この馬鹿は……。
ジュリアーノがやって来るまでは、ツカサは、リサの言いなりであった。完全におんぶにだっこであったと言える。兄達から苛められれば、ツカサは、いつでもリサのところに逃げ込んで来たものである。もっとも、逃げ込んで来たツカサをいつもリサが守ってやるとは限らなかったが。リサはリサで自分のゲームでのノルマやら何やらで、弟に係りっきりになっている余裕はなかったのである。それでも、弟が、自分を必用としているらしいということは、少女の大きな自信でもあったのだ。いや、優越感であろう。それが、ジュリアーノがやって来るようになってから、ツカサにはそれまでのようにおどおどしたようなところがなくなった。
――じりあーのさんに頼むからいいや。
リサに頼るよりも、ジュリアーノのほうがよほど頼りになることを、子供はちゃんと知っていたのである。これがリサには面白く無かった。
――チビめ、生意気になってる!
リサには、そのように思われたのである。
それに、ジュリアーノがツカサばかりをひいきにしているのも、これもリサにしてみれば面白くない。
――どうしてツカサばっかり可愛がるの。
ひどいえこひいきではないか。
リサの言分は必ずしも的を射た物ではなかった。ジュリアーノは施設に来たら、必ずにリサにも、
作品名:バルカ機関報告書 作家名:黄支亮