非日常よ、こんにちは
02
登校した帝人は周りの雰囲気が変わったことに気がついた。
「お、はよう………?」
教室に足を踏み入れた瞬間四方八方から突き刺さる視線。気圧されつつ挨拶すればうわずった応えにすぐさま目を逸らされる。
(…………?)
しかし無視されているのではなくその逆のようだ。誰一人として視線を合わせようとしないのに、視線以外を駆使してこちらを窺っている。その様子はさながら肉食獣から逃れるため必死になって身を潜めやりすごそうとしている草食獣のようだった。力の入れようが半端ない。
首を傾げつつとりあえず自分の机に向かうと人が避ける避ける、壁際最後尾の帝人の席を中心に円を描くように無人地帯が出来上がる。
(な、何故に………?)
前の席の生徒はあからさまに肩をビクつかせるし、隣の席は無人だった。
(ナニコレ?)
「おはよう竜ヶ峰」
「! おおおおおおおはようございますっ」
救いを求めて振りかえると、クラスメイトの一人だった。こちらの勢いに目を丸くしている男子生徒、名前は、
「………………………………か、門田、さん」
特に表情を崩すことなくその男子生徒は応えた。
「体調崩してたんだって?」
「あ、はい。なんか熱出てたみたいで。でも昨日ゆっくり休んだからもう大丈夫です」
「そうか。あ、これ昨日配られたプリントと、ノートのコピー」
「! ありがとう!」
クラスの様子から半ば諦めていた書類を前に安堵の息が零れた。深々と頭を下げる帝人に門田は表情を綻ばせる。
それが若干苦みを含んだものだと気づくのにそう時間はかからなかった。
「そういえば、この状況の原因、門田さんは知りませんか?」
「あ?……まぁ、知ってるといえば知ってるが」
「知ってるなら教えて下さい。僕には皆目見当が……」
「? お前の方が分かってるんじゃないか?」
「え?」
「え」
「……………………………………………?」
「……おとといの、社会科の授業。」
「あーすみません。僕その時頭が痛くて、あまり覚えてないんです」
「…………マジか?」
「はい。何か喧嘩があったってことくらいしか」
「……………………」
「え、ちょ、なんですかなにがあったんですか思い切り目を逸らして額押さえつつ溜息つかないでください怖いんですけど!」
「本当に覚えてないのか……」
「は、はあ」
「……がんばれ。俺に言えるのはそれくらいだ」
「え、あの、原因は?」
「俺が説明するより」まるで図ったかのように開いた扉を見て門田は続けた。「当事者に説明してもらった方が早いだろ」
いつの間にかこちらを注視していたクラスメイト達が一斉に明後日の方向をむく。その足並みの揃いっぷりに呆気にとられた帝人は門田の重苦しい溜息も、彼が横に逸れてその場を明け渡したことにも気付けなかった。教室を支配した妙な静けさの中、現れた軽い足取りだけが嫌に存在感を放っていた。
門田の言葉を咀嚼する間もなく、帝人の元に『彼』は訪れる。
「やあおはよう、竜ヶ峰帝人クン」
『彼』の姿を目にして、帝人はようやく事の次第を悟った。確実に今音を立てて血の気が下がっていったことだろう。先ほどまでの呑気な自分を心の底から罵ってやりたくなる。
『彼』は至極楽しそうに、爽やかな笑みを浮かべて帝人の隣の席に着いた。名前順の席並びでは到底隣同士になることのない名字の『彼』は、笑顔のままこちらから一ミリたりとも顔を逸らそうとしない。造作の整った『彼』の微笑みは見惚れるに値するものだったが、向けられた本人には突き刺してくるような鋭い眼光しか印象に残らなかった。にやり。それは肉食獣が狩りの獲物を前に舌なめずりするのに似ていた。
「体調崩してたんだってねーいやぁでも良かったよ、その様子だと治ったようだね」
「……………」
「ああ、ここ? 君が休んでた間に席替えがあったんだよねーごく一部の間で。俺は目は良いから後ろでも全然困らないし。というわけでこれから隣同士よろしく頼むよ」
「……………」
「ああ、そういえば。これ忘れていったでしょう? 返すねー」
「…………………」
そうしてにこやかに手渡されたボールペンの先端が歪んでいるのを認めて、帝人は逃れられない現状を理解したのだった。
(受難開始)
作品名:非日常よ、こんにちは 作家名:shin