甘い恋などどこにもなくて
(ああ、神楽ちゃんが沖田さんだけにって持ってきた怪しげなキノコはそっと処分しておいた)
以上。
鍋とは違って白くなった二人を前に沖田さんが何か取り出しました。
「ああ、そうそう、滅多に手に入らないポン酢も持ってきやしたぜ」
手すきの紙に包まれた小さいビンを取り出したとたん、さっきまで白かった神楽ちゃんがひったくってものすごい勢いで開け、あっ!
「神楽ちゃん!飲んだらダメだよ!」
「飲まなきゃやってられねえぜ!うえぇぇっ」
相当しょっぱいと思うんだけど。わっ!銀さんがこっちに向かってきた!
「タンパク質を!動物性タンパク質を!!」
「銀さん、食べないで!それ僕の手だから!」
と思ったら隣の沖田さんが突然抱きついてきた。
「ああっ!ずりぃ、そう言う手があったかぃ」
「ぎゃっ!やめて!重い!痛い!耳かじらないでぇ」
とりあえず満腹になって、空になった鍋を片付けながら僕はうっかり口を滑らせた。
「動物性タンパク質はいつになったら口に入るのかな・・・」
沖田さんに聞かれたけどもういいや。こっちを向いて笑ってる。沖田さんがそっと耳打ちをした。
「だから言ったろぃ?今度は二人きりで、って」
もう、それでもいいかな・・・と一瞬思ったけど。
「でも、やっぱりみんなで食べた方がおいしいよ。沖田さんだって楽しそうだったよ」
目が大きく見開かれて、沖田さんはちょっと下を向いた。
「ああ、うん、まあ」
がらにもなく照れている沖田さんにそっと耳打ちした。
「また、みんなで鍋やろうよ、ね、沖田さん」
沖田は至極真面目な顔で近藤の前に座っていた。正座をしてまっすぐと向き合う。話があると言われて部屋に通すと沖田はいつもと全く違う様子だった。
「近藤さん。俺、結婚します」
唐突に言われた言葉にびっくりはしたが、苦楽を共にしてきた部下が家庭を築くと言い出したのだ。まだ若いとは思ったが、それは親代わりの自分や周りの大人が手助けすればいいと思っていた。
何より沖田に家族が出来るのは良いことだと心から喜んだ。
「そうか!そうか!いやーお前もどこでそんな女性を・・・」
「一目惚れでさぁ」
近藤はますます喜んでいた。一途に誰かを想い、成し遂げようとする沖田に感動すら覚えた。
「ご両親にも挨拶に行かんとな!」
その言葉に沖田が目を伏せた。
「両親はお亡くなりになったそうで」
家族を早くに亡くした沖田には同じ境遇の相手が寄り添った方が良いのかと近藤は腕を組んだ。
どちらも天涯孤独の身の上なら、なおのこと近藤が若い二人をもり立てていかないとと思っていた。
「そうか・・ご家族は」
「お姉さんがいまさぁ」
姉一人妹一人、なんとけなげな、ここは自分も本当の家族になったつもりで腹をくくることにした。
「お姉さんにはまだ言ってねえんでさぁ。これから了解を取りに行きたいんですがねぇ・・なんせ一筋縄ではいかない方でして」
そうだろう、たった一人の妹を荒くれ者の中で働く男に嫁がせるにはいかないと思っても当然だ。
しかし、愛し合う二人を応援したい気持ちの方が勝っていた。
「よし、俺も一緒に行って説得しよう」
その言葉に沖田は深々と頭を下げた。
「おねげえします。近藤さん」
沖田が頭を下げることは滅多にない。近藤は全力で応えるつもりだった。
実情を知るまでは。
「総悟君・・・ここは」
「へえ」
大きな門の前で紋付き袴姿の二人を仁王立ちで迎える者がいた。
「何かしら?真選組のお二人が雁首そろえてこんな所までわざわざ」
いつもは正面から入ることのない場所ではあったが、今日はきちんとした用事を携えて門から入ろうとしている。
そしていつもは影からそっと見つめるだけの憧れの女性が目の前に立っている。
しかしその表情はいつもよりずっと厳しい。
「沖田さん、何でしょう?」
「へえ、今日こそお姉様に了解を」
「それで今度はそのゴリラを連れてきて、どうするおつもりかしら」
いつもなら否定するはずの言葉も今この空気の中で何か言おうものなら本当に命にかかわると思って黙っていた。
「新八君を俺に下さい」
そう言って頭を下げる部下の言葉が近藤にはほんの数ミリも耳に残らなかった。
そして先ほどから全くこちらを向こうとしなかったお妙が初めてゆっくりと近藤の方向いた。
いつもなら振り向いて欲しいと思う女性のその顔はこれ以上ないくらいの笑顔だった。
笑顔にも色々種類があるのだと近藤はその場に座り込むほど力が抜けた。
「ゴリラ、お前の部下の教育はどうなってるのかしら?」
言葉遣いもおかしくなっていることに、本人は気がついているのだろうか。
「とにかく新八さんに会わせて下せぇ」
「お前、この前新ちゃんに何したのかしら?」
近藤にこの場から離れるべきだと野生の本能がそう告げた。しかし、部下を放って逃げるわけにはいかないと踏みとどまっていた。
「へえ、ちょっと婚前交渉に及ぼうかと・・そんでもって既成事実を作って結婚に持ち込もうかと」
「なにいってるのおおおおおおおお???」
近藤の緊張の糸が切れたと同時にお妙の拳が近藤の顔面を強打した。
「新ちゃんはねぇ。熱を出して寝てるわ・・・」
その言葉に今まで頭を下げていた沖田が勢いよくお妙に迫った。
「本当ですかぃ?!そりゃあいけねえ!すぐに行って介抱をしねえと」
「お前が全ての元凶じゃあああ!!!」
沖田がお妙の拳をよけると、行き場を失った拳は隣の近藤の顔面をもう一度強打した。
「近藤さん。おねげえします」
沖田は倒れた近藤の近くにしゃがんで体を揺すった。
「ム・・・・リ・・・・」
寝言のようにそうつぶやいて意識がなくなった。
息を吹き返した時に見た景色は夢にまで見た志村邸客間・・・だったはずだ。
普段は床下からそっと覗くだけの狭い景色は今一面に広がっている。これが夢だとしたら、冷めないで欲しいと近藤は思った。
その声が聞こえるまでは。
「新八君を俺に、嫁に下せぇ」
夢だと思いたかった。夢だと。しかし耳元でドスッという轟音が聞こえ微かに血の香りがすると、近藤ははっと起き上がった。その目の前にいたのは憧れの女性、が長刀を持って殺気立っている姿だった。
「この前のアレは俺でも焦っちまったって反省してまさぁ」
アレ・アレ・・・・
「総悟!そうだ!お前新八君に何したんだ?!」
走馬燈のように倒れる前の記憶と台詞が頭の中を巡っていった。
「へえ、ですから、婚前交渉に至ろう・・・」
ドシュッ
沖田がよけた長刀がなぜか隣にいた近藤の脇をすり抜ける。直線で来るはずの軌道がありえない方向に逸れる。
「そそそ、総悟君、それはほら、良くないよ」
とまで言ってふと近藤は疑問に思った。
(新八君は、あれ?総悟は確かに・・・だし)
はっとひらめいた近藤が沖田に向き合って手を取った。
「総悟、新八君を大事にしたいと思うなら、きちんと段階をふまにゃならんぞ」
真剣な近藤の言葉に沖田は大きく頷いた。
「万が一だ、万が一そんなことをして新八君に子供でも出来たらだな・・・」
ゴキッ
「ゴリラ、うちの新ちゃんで何いかがわしい想像しとんじゃぁぁ」
自分の手の先にぶらりとぶら下がった近藤に向かって沖田があきれたようにため息をついた。
作品名:甘い恋などどこにもなくて 作家名:きくちしげか