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上田にて

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* * * *

 襖が滑る音で夏希は手を止め振り返った。
「…佳主馬?」
 本家屋敷が半壊状態になったために廃業した民宿に身を寄せていた。
 夏希は母と、本家家長となった万里子おばさん、その娘の理香と四人で一部屋を使っていたが、そこを訪ねるのは数日の間でもこれが初めてだった。
 昼食が済んですぐに遊びに立ったチビ達の声も今は聞こえない。健二さんと一緒に広間で昼寝をしているのだろう。
 大人たちが事後処理に忙しくする間、子守は主に健二さんに任されていた。
 一昨日までは僕もその輪にいた。子守をしている側だったのかされている側だったのかは分からないが、僕は健二さんと一緒に過ごしたくてついて回っていただけだった。
 しかし、この二日は食事の時さえ何のかんのと理由をつけて顔を合わせないよう動き回っていた。
 その理由は誰にも打ち明けられない。
 夏希は僅かに驚いた様子を見せ、それからお姉さんの顔で笑った。
「どうしたの?私のところに来るなんて珍しい。」
 畳に広げていた荷物を片側に押しやってスペースを作ってくれたので、少し躊躇った後になるべく距離をとって腰を下ろし、膝を抱えた腕で口元を隠した。
「今日、帰るの?」
「うん、お父さんとお母さんと、健二くんも一緒にね。」
 昨日決まったことを今朝聞いた。
「まだ仲直りしてないの?最後だし、帰ることは健二くんから聞いてると思ってたのに。」
「喧嘩じゃないよ。」
 小首を傾げて「そうなの?」と言う夏希は身内の贔屓目抜きに美人で愛嬌があって、つまり、可愛らしかった。
 恋なんてものではないが、親戚の集まりで会ったはとこの夏希にドキドキしたことがある。
 一緒にすごす内に見た目に反して大味なところやしたたかな面が見えてきて“きれいなお姉さん”はすぐに“親戚の姉ちゃん”に変わったけれど。
 従兄の翔太は二十歳を越えても夏希に夢中だ。
「じゃあ、佳主馬が一方的に拗ねてるのね。」
 彼女はあっさり見抜いて言い切った。
「拗ねてなんか…」
「ほーら、拗ねてるじゃないの。」
 腕の内側でこっそり唇を噛む。
「…夏希姉はズルいよ。」
「え?」
 眉を顰める夏希から視線を外す。
 大きな旅行バッグに着替えやパーティーグッズを閉まっている途中の散らかった畳に視線を滑らすと朝顔模様の浴衣が綺麗に畳んで置かれているのが見えた。曾祖母、栄のお誕生日会で着ていたものだ。
 浴衣姿で髪には朝顔を挿し、隣には鼻の下を伸ばした健二さんがいた。
 始めから健二さんは彼女が好きだった。そうでなければ彼女の嘘に付き合って上田に来ることもなかっただろう。
 僕はこの夏にスタートラインに立った。その頃に夏希はゴールラインからスタートした。
 健二さんのゴールは夏希の隣にあった。
「健二くんに何があったのか聞いても分からないって言われるし、佳主馬はだんまりのままお別れする気なの?」
 腕に額を擦りつけるようにして頭を縦に振った。
 俯きっぱなしで見送ったって意味がない。
「もう!素直じゃないんだから。」
 畳に手をついて身を乗り出した夏希の長い髪が揺れて剥き出しの腕をくすぐる。
 近くで美人のはとこが顔を覗き込んできたけれど、今はちっともドキドキしなかった。
「仲良くしたいなら素直にならないとダメ。」
 夏希は傍らにあったカーディガンを手繰り寄せてポケットを探り僕の右手を取る。
「佳主馬にいいものあげる。」
 手の平に乗せられたのは四つ折りの小さなメモ用紙だった。
 開くと見知らぬ携帯電話のメールアドレスと080から始まる番号が書かれている。
「これ…」
「健二くんから預かってたの。もし佳主馬が怒ったままだったら代わりに渡して欲しいって。」
 よく見れば暗号解読の時にも使っていたレポート用紙の切れっ端だった。数字のクセにも見覚えがある。
「健二くん、多分玄関にいるよ。」
 僕の気持ちを予想もしない夏希に背中を押され走り出すのは間違いかもしれない。
 本当のことを知っていたら仲を取り持ったりしなかったかもしれない。
 メモを持った指に力が入ってしわになった。
「姉ちゃん、ごめん。僕も、ズルい。」
「佳主馬…」
 部屋を駆け出した。

 玄関にいくつも並ぶ靴の向うに自分のサンダルを見つけ出し、丁寧に足元に引き寄せるのももどかしく、大股で誰かのスニーカーを踏みつけ、そのままの歩幅で玄関を出た。
 世界が眩しくて目を細める。
 砂利敷きの民宿の駐車場脇に叔父さん達が集まっている中心に健二さんはいた。
 上田に来た日と同じ服装で取り囲む大人たちにぺこぺこお辞儀をしている。
「健二さん!」
 駆け足で振り返った大人達の間に割り込んで目を丸くしている健二さんの手を掴んだ。
「ちょっと来て」
 答えを待たずに走り出す背中に冷やかし半分の声援が飛んできた。
「佳主馬、がんばれよ!」

 人気のない場所を探して走った。
 馴れた本家の敷地ではないのが不安を煽って迷う内に民宿の建物から随分離れた所まで来てしまった。
 落ち着かない心を紛らわすように手を強く握った。
 緊張と興奮で頭がいっぱいのことろに健二さんの「痛い」という言葉が聞こえてようやく我に返る。
 立ち止まって手を開放すると健二さんはその手を膝について腰を屈め、ゼェゼェと荒い呼吸を繰り返した。
 同じ速度で走った僕の顔も真っ赤だったが、これは健二さんのそれとは種類が違う。
 走った疲労からすぐには立ち直れない健二さんのつむじにフライング気味に叫ぶ。
「帰ったらメールする!」
 手の中のメモ用紙は強く握っていたのと手汗でヨレヨレだった。
 ゆっくりと健二さんは顔を上げ、僕を見て安堵の笑顔を見せた。
「はぁ…よ、良かった」
 その言葉に被せるように僕はぶちまけた。
「健二さんのこと、好きだから!」
「ありが…」
 “とう”の二文字が僕の胸で溺れる。
 まだ屈んだ姿勢の頭を勢い任せに抱きしめた。
 心臓がどうにかなりそうなぐらいに暴れまわっているのが聞こえるだろうか。
 穏やかな「ありがとう」なんて言わせない。
「夏希姉が好きでも諦めないよ!」
 会話なんてものじゃない、叩きつけるような告白だった。
 抱え込んだ頭を放しても健二さんは何も言えず、動けずにいる。
 深く呼吸して吐き出せる限りの空気を吐き出すとほんの少しだけ落ち着いた。
 精一杯の平静を装って声を出す。
「…じゃあ戻ろうか。」
 来た道を引き返した。二、三歩進んで振り返ると健二さんは未だに呆然としていて歩き出す気配もない。
 戻って恐る恐る手を繋ぐとそれまでぴくりともしなかった健二が大げさにビクついた。一瞬にして体温が下がって心臓が握られたような心地がする。
 嫌がられても仕方がない。放そうとした手を逆にそっと握られた。
 健二さんの親指がちゃんと手を繋ぐ形をしているのを目で確認しても信じられない。
 顔を上げても健二さんの方が俯いていて表情は見えず、ただそっと握り返された手のじんわり広がる温かさや汗ばむ様子を観察した。
 家族たちの姿が見えるまでゆっくり歩いた。
 その時の景色や空気の匂いや聞こえてくる音さえも、僕はよく覚えていない。
作品名:上田にて 作家名:3丁目