白い丘
「アテナの聖闘士であれば……、海皇よ従う訳がありません」
「そうか、命を与えたのは、無駄だったようだな」
無言のまま、カミュは目を伏せた。
「──聖闘士とは愚か者ばかりのよう」
海皇の傍らに控えて、シードラゴンは感情を押し隠した冷ややかな声をもらす。
「私の見込み違いでした、ポセイドン様。このような者たちがアテナの聖闘士ならば、もはや恐るにたりぬこと、早々にこの者は打ち殺し、地上侵攻を───」
その言葉を聞いてか聞かずか、海皇は目をとじ、そしてまたゆっくりとまぶたを上げる。
まさに海のような海皇の青い瞳は、年相応少年の光を宿して強く輝いた。
「牢へ」
少年は言った。
「手足に戒めをかけろ、自殺などしないようにな」
射るように、聖闘士を見詰め海皇は言った。
「アクエリアス、カミュと言ったな。死なせはしないぞ、私の意に従わぬものを私は易々とは許さない」
しかし、その威圧感は神のものではなく、命令慣れした子供のものだった。
離れてひざまづく、ティティスはそっと聖闘士の目を伏せた顔を見る。
だが、その顔にはなんの表情も浮かんでは居ない。
「気が済むのなら、そうされよ」
青白いオーラを上げるでも無く立ち上がる。
その姿を兵たちが引き立てて行く。
* * *
───子供だ。
牢につながれ、カミュはポセイドンを思う。
何故か、神の強大な力を垣間見させながら、その感情は子供。
子供が神なのか、神が子供なのか。
自分が聖域に来てその力に目覚め、黄金聖闘士になったように。
あの少年も、その力に目覚め神になったのか?
におい。そう言えばいいか、地上に生きる人間のそれが、あのポセイドンという少年にはぬぐいきれず残って居る。その、命令する様まで──。
そう神だとしても、あの少年は本当に神として目覚めているのだろうか?
「──命拾いをした、とは言わんのだろうな」
兵たちと入れ違いに姿を現し、シードラゴンが皮肉な笑いを見せる。
「子供が子供らしからぬことを言いおって…」
それは、ポセイドンのことであろう。
「だが…、これで楽しみが出来たわ。」
カノンのその顔を、壁につながれたカミュは表情も無く見る。
ジェミニのサガは、自分と同じように死したという。
自害したというなら、その十三年間はどれほど苦痛に満ちたものであったのか…。
「……っくっ…!」
みぞおちに打ち込まれた拳の重さに、カミュは呻いた。
「憎らしい、その人を蔑んだ目──!」
もう一つ、拳が入る。
「そうとも、アテナの黄金聖闘士は立派であろうよ!」
今度は、脇腹に拳をめり込ませる。
「その力、惜しくはないのか! 自分のために使いたくはないのか!」
「……自分の、…何のために使えと言うのだ?」
「笑止! きれいごとを言うな、人間ならば神のごとき力を得れば、それを自在に使いたいと思うのは当然のこと。この偽善者め!」
「……私は…聖闘士だ」
その言葉に、顔を嘲笑に歪めて打ちかかる。
「セイント、セイントか! 兄はな、その力を自分の為に使いたいという心に負けて教皇に成り済ましていたのだぞ。おきれいな、神とも天使とも呼ばれたあの男はな、ただの偽善者だったのよ!!」
生身に打てば簡単に命を止めるだろう拳圧を押さえ、幾発も幾発その腹を打つ。
チュニックは裂け、そしてカミュはいつしか意識を失った。
『──人の心はいつも葛藤する、一つの物でありながら心には善と悪がある。悪にいかにして勝つか、それは善の心を信じることだ、強く強く信じることだ。信じるということはとても大きな力だからね』
美しいサガの淡い金色の髪、水色の瞳、よく通る声──。
智を司る天使ケルヴィムと、そう評したのは話し好きの美しいピスケスの黄金聖闘士だったろうか……。
アイオロスと共に、まだ幼かった黄金聖闘士達の憧れだった、サガ…。
───兄が光であったゆえに、弟は陰となったのか。
───人の気配に、意識が呼び戻される。
扉を開けていながら、近付けもせず入り口に立つアイザックの姿。
「どうした? 殺しに来たか?」
床に付いたひざを起こそうとし、まだ、平衡感覚の戻らぬ体がぐらりとゆれる。
「来るな!」
駆け寄ろうとする弟子に言う。
「殺すために来たのでなければ、触れるな」
立ち上がり、壁に背をつく。
もう、背丈も変わらなくなった弟子は、そのたった一つの目に困惑の色を浮かべてかつての師を見る。
「なんだ、その目は。迷うなと教えた筈だぞ。我々の戦いは、一瞬の迷いが死を招くのだ」
「先生──」
「向こうへ行け、アイザック。」
師の言葉の意味するところが分からず、駆け寄ろうとした自分の行動も分からず、アイザックは立ち尽くした。
「命を捨てたと言ってもな、こんな姿をお前にさらしたくはない、殺すのでなければ出て行け」
「あ…」
海将軍である自分が、一瞬ただの弟子に戻ったように思われた。
怪我をした母親を前に、途方にくれる子供になったように思われた。
心細く、何も出来ぬ無力さに震える子供になったような気がした。
「アイザック」
呼ばれ、師の顔を見る。
「行け」
「…はい」
海将軍は、牢を出た──。
何故か、その一つの目が熱かった。