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雨が降ったら会いましょう。

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思わず布団に顔を伏せて、臨也は煩く鳴り響く心臓に静まれと必死に命令をするのだが、あいにくとこいつが帝人に関することで言うことを聞いた験しがない。そっかあ、待っててくれたのか、と思うほどに頬が緩む。
ああもう、と布団の上でばたばたと手足を動かしたら、またこの人は妙なことをしてるなあとでも言うような視線で帝人が近づいてくる。と、急に足を掴まれて「わ!」と臨也は思わず叫んだ。不意打ちはよくない。
「甘楽さん、暇だったら勉強教えてくれません?」
「ん、教科は?」
「英語なんですけど」
「あー、俺文法とかあんまりよくできないけど、それでもいいなら」
「お願いします」
ああ、ずっとここにいられたらなあ。
低いテーブルに座って勉強を始める真剣なまなざしの帝人を見つめながら、臨也は頬杖をついてそんなことを思う。この部屋にいると、何度も何度もそんな思いが降り注いでは消えて、やがて一つの脈打つ心臓のように臨也の中にその切望が生きるようだ。
そばに。
いつまで甘楽でいられるのか、分からないっていうのに。
それでも願う。

・・・そばに。





「その情報欲しいんなら、出し惜しみしてる場合じゃないんじゃないのー?」
夜の帳が下りた裏路地で、声をひそめるでもなく臨也は大げさに息を吐く。情報屋としての折原臨也は、居場所を得たとしても変わらなかった。だってそこにいるのは臨也ではなく甘楽なのだから、変わるほうがおかしいのだと、そんなことを思う。屁理屈のように。
「・・・そちらの言い値を出すとは、言ってないはずだが?」
「まあそりゃねえ。でもさあ、あんたらにとっては存続の危機左右する情報じゃないの?その程度の値段で買えるとでも思ってるわけ?」
臨也は別に金に困っているわけではない。だが、こういう場合、情報が欲しいという願いと出せる金額との間で板挟みにあう人間の顔を見るのは案外楽しかった。臨也にとって情報とは、タダで提供しようとも、金を取ろうとも、楽しければそれでいい、遊ぶための道具でしかない。
「・・・我々に手持ちがそれほどないことは、そちらも把握しているはずではないかね」
「んー、まあ知ってるけど。でもさあ、ないから出せないっていうのは子供のいいわけだよねえ。心の底から欲しい情報なら、なくても出すくらいの心意気が欲しいんだけど?」
路地に人の気配はない。
1対1の取引に応じた男は、とある組織の幹部であり、今その組織は存続の危機にあった。なんということはないただの内部分裂、そして裏切り者の存在。そんなありきたりで陳腐な話だ。
そして臨也は今、その裏切り者の正体を把握している。
「・・・ずいぶん足元を見るね、君は。噂通りだ」
「俺の噂ねえ・・・?どんな噂だか知らないけど、まあ大体想像はつくし、その通りなんじゃないの?俺は素敵で無敵な情報屋だからね」
「・・・我々にだって、切り札がないわけではないんだよ、折原君」
「へえ?」
いつでも逃げられる距離をとり、臨也は嫌な笑みを顔に張り付ける。もっと焦れ、とあおるために。そんな自分を、最近の自分はどこか冷めたように見ていることにも気づいていた。前は、帝人に会う前までは、心底から楽しんでいられたのに。
いや、今だってきっと、帝人の存在に努めてふたをしていれば、楽しめるのだ。けれども頭の中のどこかで彼が、そんなことは甘楽さんらしくないです、と言って顔をしかめているような気がして。
「甘楽」は「臨也」ではないから、当たり前だと言うのに。
ほんの少しの沈黙に、爆弾が投げ込まれたのはその時だった。

「・・・帝人君、だったかね?」

ぞわりと鳥肌が臨也の全身を駆け巡った。
「仲良くしているようだな。あの少年は君の何だろう、と考えているんだが・・・血縁者か、それとも古い知り合いか。どっちにしろ君にとって彼は・・・」
「黙れ」
鋭い切り返しに、取引相手が息をのむ。
臨也は燃え立つような激情を抱えて、さっきまでの飄々とした空気を凪払うかのように、ピリピリとした殺気をみなぎらせた。いっそ潔いまでに、これ以上ないほどに、怒気をはらんだ声が漏れる。
「その汚い声で、あの子の名前を呼ぶんじゃないよ・・・殺してやろうか?」
彼の清流のようなあの瞳には、池袋の裏社会の汚さなど映して欲しくない。それが臨也の願いで、祈りで、何よりも強い恋慕だった。
彼のところへ通うのには、細心の注意を払っていたはずだ。どこから漏れた?どこから、気付かれた?帝人に何かがあったら、きっと正気ではいられない。
鋭い空気は、男を怖気つかせるに十分だった。
一歩、後退する足が砂利を踏む音が響く。
研ぎ澄まされたナイフのような表情のまま、臨也はナイフを取り出して、これ見よがしに構えて見せた。
「・・・どこまであの子を知っているのか、そしてどこからそれを知ったのか」
冴え冴えとした声は、どこまでも冷たくて、耳に切りつけるようだ。
臨也の本気の怒りを前に、男は息をのむことしかできない。
「それによっては・・・」
ふ、と音もなく動いた臨也が、あっという間に距離を詰めて、男の首筋にナイフを押しあてる。


「・・・許さないから」


最初から、わかっていたことだ。
いつまでもあの子のそばにはいられない。あの澄み渡る水のような少年に触れるには、自分は少しにごりすぎた。必死で汚いところを取り繕った甘楽という存在を作り上げたところで、どうせいつかはぼろが出て、隣にはいられなくなるのだ。知っていた、分かっていた。それでも。
できれば少しでも長くと祈ったのは、愚かな恋の道化。自分の好き勝手に生きてきた人生に一つの悔いもないはずなのに、こんな時になって初めて、怨まれすぎた折原臨也を少しだけ怨む。
わかっていた、分かっていたんだ。
だから本名は教えなかった。最初から覚悟していたのに。それなのにどうしてこんなにも。
普段、思いっきり殺伐とした世界に身をおいている臨也だから、深入りさせたら帝人を危険に巻き込む可能性があるなんて、分かっていた。だからできるだけ人目につかないように、ひっそりと動けるように、そういう意味でも雨は丁度よくて。実際に一年もの間、雨と言う隠れ蓑は良い仕事をしてくれたと思う。
一年。
できるなら永遠を、願っていたけれど。
それを願うほどその隣は、居心地が良くて暖かかったから。でも。
ナイフを払おうとする男に応戦して、思い切りけり上げた足、脅すように閃く刃物の輝き。静寂を切り裂く怒号と、そののどを狙って思い切り突いた肘。
一瞬の攻防戦はあっという間に臨也に軍配を上げ、崩れ落ちた取引先の男の体を無表情で眺めながら、臨也は覚悟を決めなきゃならないと、それを強く思った。
月の明るい夜だった。
雨は、当分、降らないだろう。





池袋に、約2週間ぶりの雨が降り注いだその日は、土曜日だった。
休日と言うこともあって家にいた帝人の家のドアを、ためらいがちにノックする音がして、帝人は立ち上がった。
珍しいことに今日は、甘楽さんが遅い、なんて思っていたときだったから、きっと彼だろうと。そうしてドアを開ければ、やっぱり思い描いた通りの人が立っていた。
「どうしたんですか、甘楽さん。いつもならノックなんかしないのに」
「・・・うん」