幸福に満ちる
じわりと浮かんできた涙をゴシゴシと甲で拭った。気持ちが悪いからといって何も投げ捨てなくてもいいではないか。気持ちが悪いならそのまま放っておいてくれれば良かったのだ、後生大事に昔のアルフレッドから貰ったものを大切に持ち歩いていることなど今のアルフレッドには絶対に知られたくなかった。先程のように辛辣な言葉を投げ付けられるだけだと分かっていたから尚更だ。ぼろぼろと溢れる涙は拭っても拭っても止まらない。一人泣いているのが恥ずかしくて、どうやってこの場を切り抜けようか算段を巡らせているとアルフレッドはぎゅうっと涙を拭っていた手を掴んできた。
どうせ、馬鹿にしたような目で見下ろしているのだろう、そう思って顔を上げたアーサーの目に映ったのは唖然とした表情を浮かべる元弟の姿だった。目を見開いて目の前で起こった出来事が信じられないと言わんばかりの様子で、さすがに不審に思い「おい…?どうしたんだよ、アル。」そう呼びかけるとその言葉にピクリと体が揺れた。
「きみ…その石…アクアマリンだろ?まだ、持ってたの…?」
「そうだけど…って、おまえ、この石のこと覚えて――。」
言い終わる前にアルフレッドの大きな手がアーサーの肩に手を置いた。置いたというより縋り付くといった感じで、ぎゅうっと服ごと肩を掴まれる。その雰囲気に思わず腰が引けた。驚いて反射的に振りほどこうと腕を払うがそれを許さないとばかりに強い力で抑え込まれ、その拍子に肩に指が食い込んだ。思わず「痛っ…!」と叫ぶとハッと息を飲む音がしていくらか肩に加わった力は弱まった。
「な、なんだよ…?おまえ、どうしたんだ…?」
「………じゃないか……。」
「え?」
「当たり前じゃないか!俺が、俺がきみに初めてあげたプレゼントだぞ!忘れるわけないだろ!」
「っ!?」
まるで怒ったような声にアーサーはおずおずとアルフレッドを見上げた。意味が分からない、どうしてアルフレッドは怒っているんだ。……俺はいつだって俺はアルフレッドを怒らせてばっかりなんだな。顔を赤くして叫ぶ元弟の姿を見てアーサーは次からは石を持ってくるのは…少なくともアルフレッドの前では控えようと考えた。昔あげたプレゼントを後生大事にそして肌身離さず持っているなんて、絶対に気持ち悪いと思われた。きっと怒ってる理由もそうだ。
「わ、悪かった、アルフレッド。不快な思いをさせちまって…」
「……何で君が謝るんだよ…!ああ、またお得意のネガティブ思考かい?俺に不快な思いをさせたなんて思うきみの思考回路は相変わらず理解不能だけど、……今からちゃんと説明するからそれを聞いてから判断してくれよ。」
なんできみが先に謝るんだ…先に謝るべきなのは俺の方なのに…全くこの人は…。アルフレッドは溜息をついてテキサスのテンプルを軽く押し上げた。呆れた顔をしながらもアーサーを見つめる瞳には先程の苛立ち込められたものではなく優しさが混じっている。が、アーサーはそれに気付かず「説明ってなんだよ…?」と訝しげに眉を顰めてみせた。
「説明の前に。さっきは…その…まさかきみがその石を未だに持ってくれてるなんて思わなくて…、その……酷いこと言ってごめんよ」
「なっ…!?べべ、別に、あ…あ、謝られたってき、気にしてなんてないんだからな!」
「……顔がニヤけてるぞ、アーサー」
「ち、ちがっ…!べ、別に素直に謝られて嬉しいとかじゃ…!変なこと言うな、ばか!あ、と、とにかく!さっきの振る舞いは気にしてない、から、その…お前ももう気にするな!」
さっき涙目になってたくせに…。またこの人を泣かせてしまうところだった、自分の嫉妬深さにはつくづく呆れさせられる。さっきとは打って変わってそわそわと落ち着かない様子のアーサーに少し安堵しながら眺めた後、アルフレッドは人じゃなくて物にまで嫉妬するようになった己自身に対し、少々落ち込んだ。俺って奴は無機物に対しても…。
「アルフレッド?どうした?」
「ん?なにがだい?」
「あ、いや…おまえが落ち込んでるように見えて…。その…大丈夫か?あ、いや別に心配とかそんなワケじゃ」
ないんだからな!と続くであろう言葉を遮ってアルフレッドは半ば無意識にアーサーの頬へと唇を寄せていた。本当に…本当にこの人はどうしてこうなんだ。先程自分は彼に対して傷つける言葉を吐いたばかりだというのにその相手を心配するだなんて。
つくづくこの人は自分に対して甘いと思う、だから勘違いしてしまう。この人に向けられる想いが自分と同じなのだと。でもそうじゃない。アーサーは自分に対して未だに昔のような関係を夢見ていて、あの頃に戻れなくともせめて自分だけは兄として接したいとか面倒くさいことを考えてる。ああもう、非常に面倒だ。
-生憎だけどね、アーサー。その手には乗ってあげない。俺はもうきみを兄弟や家族として見る事が出来ないんだ-
「な…!お、おまえ、いきなり何すんだバカ!」
「何って、キスのことかい?いいじゃないか減るもんじゃないだろうに」
「馬鹿たれ!そういう問題じゃねぇだろうが!確かに俺自身はすっげぇ嬉しくないこともな――っぎゃああっ!?」
アーサーの言葉が言い終わらないうちにアルフレッドはたまらず両手を広げて勢いよく抱きついた。体格のいいアルフレッドの体を支えきれず「ちょ、おいアル…!?何すんだバカ!離せ!」「やなこったー!DDDD!」いきなりのアルフレッドの行動に恥ずかしがってじたばたと抵抗するアーサーを反対意見は認めないとばかりにはぎゅうっと胸に抱きこんだ。
アーサーは目を白黒させて目の前にいる元弟の背中をバシバシと数回叩くが離してくれる様子がないので、仕方なしに暫く彼のやりたいようにさせておけばそのうち飽きて解放してくれるだろう。そう思い抵抗を止めた。だけどいつまでたっても背中に回った手は緩まる様子が無く、むしろすりすりと甘えるように頭を肩に押し付けられて、アーサーはオロオロと手持ち無沙汰の両手を目の前で甘えてくる元弟の背中に回すべきなのだろうかと数秒迷い、結局彼の肩を揺さぶることにした。アルフレッドの肩に手を置いて離してくれるよう声を出そうとした時、ちゅっという音と一緒に首筋に何か温かいものが触れた。え。なんだ、何が起きた?
「アーサー、ほんと大好きだよ」
「お、おおおおま、おまえ、今何しやが…っ!いい、いい!言うな!聞きたくねぇ、言ったら殺すからな!」
「…そういえば、さっきの説明がまだだったね」
「え!?な、なにがだ!何の説明だ!」
「俺がなんであんなに怒ってたか。きみは変に曲解してたけど、あれは……情けない話、ただの嫉妬」
「え……し、嫉妬?」
「きみが、その小さな袋を大切に持ってたことは随分前から知ってたよ。けど、その中にまさか俺があげたアクアマリンが入っているとは思ってなくて……誰から貰ったんだろう、何を大切に持ってるんだろうって、俺があげたもの以外を大切そうに持ってるきみを見たらとてつもなく嫉妬した」
だからって、それを投げ捨てたり酷いことを言ったりしていいワケがないんだけどね。……悪かったよ、ごめんね。