鬼の腕
「総悟、あんまり手の内見せると負けるぜ」
遠くから聞こえる声に新八は覚えがあった。沖田はふうっとため息をついた。
「ゲームオーバー、ですねぇ。意外と早かったなあ」
沖田が手を離すと、新八の体が後ろにどさっと倒れた。
「新八!!」
聞き慣れた声が新八の頭の中で響いている。安堵したと同時に恥ずかしくてそちらに顔を向ける事はできなかった。
「新八、新八!どけお前ら!」
勢いをつけて階段を上がってくる銀時を土方は階段の端に立ってよける。沖田は窓際によけ、障子を開けた。
外は雨からみぞれに変わっていた。
銀時が駆け寄って新八の体を抱き起こし、はだけた着物を元に戻す。怒りで自分の肩が震えているのが分かった。素早く新八の手と足に縛られた腰紐をほどいていた。新八は自由になった手を自分で動かそうと思ったが、うまくいかなかった。
「これからがいい所だったのに。ねえ、新八さん。旦那も野暮なお人だ」
バリバリバリバリ
銀時の木刀が沖田がいた後ろの窓を叩き割った。低くなった体勢から木刀を短く持ち、腰のベルトから抜きいて一気に横に振り切っていた。
「うまいや、旦那。部屋での戦いにも長けてるみてえですね」
沖田は階段の方へとよけていた。
「さすが」
含みを持った言葉に銀時が反応する。
「おめえこそちょこまかと、良く動くじゃねえか」
暗殺は場所を選ばない。部屋の中で暴れる時の心得は、遥か昔に体得したものだった。銀時が木刀を短く持ったまま立ち上がった。
「新八さんはえらかったねぇ。何も言わなかったよ」
「新八をなめるな」
銀時の厳しい表情に沖田が目を細めた。
「ぜひうちにスカウトしたいねぇ」
からかう様な言い方に銀時の手に力が入る。
「俺、新八さん気に入ったよ。意外と強そうだ。今なら一番隊の副隊長にしてやってもいいよ」
声には無邪気さが宿っていた。存外本気かもしれない。
「それに、攘夷志士のお友達がいる隊士は貴重ですからねえ」
銀時が木刀を振り上げると木刀の先が天上すれすれの所で止まった。
「今度はどたまぶち割る」
「あー、おっかねえ、おっかねえ。土方さん、あと頼みやしたぜ」
沖田は軽やかに階段を降りていった。
「またお前の尻拭いかよ」
土方がふうっとため息をついて頭を掻いた。
「そういう事だ。今日はとりあえずけえれ」
「はい、そうですかって帰れると思うのかよ」
土方も階段を降りていこうとしていたが銀時の言葉に足を止めた。
「しょっぴく事もできるんだぜ。なんせお前らは容疑者なんだからな」
「うるせえ、こっちこそ監禁されたって訴えてやる」
土方がにやっと笑って言った。
「ここの管轄は真選組だ。被害届なら後で出しに来な。いつ処理されるかはわからねえがな」
「銀・・・さん」
仁王立ちする銀時の後ろから弱々しい新八の声が聞こえた。
「それより、そっちの坊主を助ける方が先じゃねえか」
「新八!」
頭に血が上っていた銀時は、後ろで倒れている新八を思い出して慌てて駆け寄った。
「どこやられた、あの犬に」
「へへ、大丈夫ですよ。ちょっとお酒飲まされちゃって」
新八は力が入らないのか肘を立てゆっくりと上半身を起こした。
「送るぜ」
土方が短く言ったが、銀時は新八の方を向いたまま低いはっきりした声で唸った。
「いらねえ。次に会った時にはぶっ殺す」
「そうかい」
土方の姿が消えた。
銀時が新八を抱えようと体の下に手を入れる。
「大丈夫、歩けます。肩貸して下さい」
新八が少し照れた様に言うと、銀時は笑って手を引っ込めた。
「分かった。表でタクシーつかまえよう」
新八に肩を貸しながら階段を下りる。一階には客の姿がちらほらと見え、その中を二人は通っていった。
「ありがとうございました」
沖田からアニさんと呼ばれていた男が銀時に声をかけた。
「あんた、店のやつかい」
「へえ」
厨房から声が返ってくる。
「すまねえな、窓ガラス割っちまった」
「ああ、いつもの事ですからお気になさらずに」
アニさんは客商売人らしい笑顔で答えた。
しかし、その目は鋭かった。
(真選組分署、拷問部屋ってとこか)
怒りではらわたが煮えくり返りそうだった。
「真選組につけとけや」
「へえ。そうさせていただきます」
店の男は柔和な笑顔を崩す事はなく、銀時にはそれが癇に障った。
「あんたの目、客商売には向いてねえんじゃねえの」
「そうですかい?銀時さん」
銀時は黙ってアニさんを睨みつけ外に出ようとしていた。その背中にアニさんが声をかけた。
「タクシーお呼びしましょうか」
銀時は立ち止まったが振り向かなかった。
「いらねえよ」
手を拭きながらアニさんが厨房から出てきた。背中を丸めゆっくりとお辞儀をした。
「ぜひまたお越し下さい。お待ちしておりますよ」
けっ、と銀時が短く言い放った。
「二度とくるかよ、こんなSMクラブ」
アニさんはくすくす笑ってつぶやいた。
「うまいこといいますねえ。どうもありがとうございました」
新八に肩を貸したまま外に出ると、戸を力任せに扉を閉め大きな通りの方へと歩いていった。
「すいません」
タクシーを待っている時に新八が銀時に小さな声で言った。
「こんな事になったのは、俺のせいだ。謝る必要はねえ」
タクシーを見つけ銀時が手を上げると停まったので乗り込んだ。
行き先を言おうとしてちょっと迷った。
「とりあえず○×通りまで」
「へい」
新八が弱々しい声でつぶやいた。
「銀さんのせいじゃない」
苦しそうに新八がうめいた。
「もう話すな」
「・・・似蔵の腕」
「あん?」
「似蔵の腕に捕まったんだ、僕が弱かったから・・・」
新八の目から涙がこぼれたと同時に銀時が新八の頭を自分の方に寄せた。
「帰ったらちゃんと聞いてやるから」
ふうーっとため息をつく。
「今は休め」
緊張の糸が切れたのか、新八は目をつぶって息をする以外動かなくなった。
「某町の恒道館まで行ってくれ」
銀時が行き先を告げたあとの車内には、新八の寝息と重い沈黙が流れていた。