鬼の腕
2
外はまだ明るかった。後ろから二人がついてくる気配はなかった。
(今はまだ帰れない)
まだお妙が家にいる時間だ。あの顔を見るのは今はつらい。
(そうだ、何かお腹に入れなきゃ)
最近考えることが煩わしくなっていた。そのくせ一つの考えが頭を占領している。
(僕は斬りたいのか)
ずっと隠し、気づかないフリをしていた想い。腕の肉と筋、そして一気に骨を断った感触が忘れられない。特に最後骨を断つゴリッとした硬い感触をもう一度味わいたいと思う。
(おかしい。おかしくなったと思う)
新八が当てもなくふらふらと大通りを歩いていると、後ろから不意に声がした。
「大丈夫ですかい」
さっき聞いた声だった。この声に振り返ってはいけない、と新八の頭の中で警告音がなっている。
「病院に行ったか?坊主」
(いや大丈夫、僕はしっかりしている)
耳鳴りはしなかった。それどころかこの声に卒倒したのかと思うと、急に自分が情けなくなって怒りすら覚えた。新八が後ろを振り返るとさっき万事屋で見た顔が立っている。
黒い制服を着た二人の警察官。
(忘れていた。この人たちは警察官なんだ)
「大丈夫ですよ」
顔は大丈夫か、ちゃんと笑っているか?そんな事を考えながら二人を見据えていた。
「さっきはびっくりしだぜぃ。いきなり倒れちまうなんて」
沖田の言葉には先程の冷たい感じはなかったが、どこか面白そうでそれが新八の神経をぴりぴりとさせていた。
「家で休んでいた方がいいんじゃねえか、送るぜ」
優しい言い方とは裏腹に土方の目は鋭さを持っていた。
「いいえ、少し歩きたいんです」
新八が歩き始めると、土方と沖田が新八を挟む様に一緒に歩き始めた。
「俺たちも少し歩きてえなあ、総悟」
「そうですねえ、せっかくだから一緒に散歩でもどうですかぃ。新八さん」
視界に入らない様に歩いているのか新八からは二人の様子はよく分からなかったが、ここで逃げるわけにはいかないと考えを巡らせていた。
(似蔵の件はもう終わった。あれが知られたとしても、銀さんが言うようにやらなければ、やられていた。そうだ。もし分かったとしても、面倒な事にはなるかもしれないが、説明すればわかるはずだ)
(でも)
何をどうやって説明したらいいのか、新八の中でずっと考えようと努力した。
(あの船は僕らが落とした。そう桂さんと一緒に。でも僕らは桂さんとも高杉とも関係ない。僕らは攘夷志士なんかじゃない。普段の僕らを見ればよく分かるろう?銀さんは?今はしがない万事屋だ。僕はその従業員だ。それだけだ)
頭の中を言葉がぐるぐるととぐろを巻いていた。このところ考えるのをやめていたツケが回ってきたのかもしれないと、新八は自分のふがいなさにあきれる様に黙って歩いていた。
しばらく3人で緊張した雰囲気で歩いていたが、その沈黙を沖田が破った。
「どこへ行くんですかぃ?」
新八の考えとは裏腹に口からはすらすらと言葉が出てきた。
「お腹が空いたので何か食べようと思っていた所ですよ」
嘘だった。
ここの所、腹が減る事は無かった。
「ああ、ちょうど昼時か、じゃあ行きつけの店で食うか」
土方はそう言って自分がよく行く定食屋がある、と新八をうながした。
黙ってついていった先は小さな定食屋で、昼時は勤め人でいっぱいになるらしく何人かが店の前で並んでいた。その列の後ろに並ぶと店員が人数を聞きに来た。
「あら、土方さんに沖田さん」
店員が気さくに声をかける様子は、いつもの風景とやり取りを思い起こさせるように和やかなものだった。先程の緊張を想像させない平和な日常のやり取りを新八はじっと見ていた。
「そちらの方は、新しい隊員さん?」
店員は新八をちらっと見て土方に微笑みかけた。
「さあ、どうでしょうねえ」
沖田が代わりに店員に笑いかけて答えると若い女の店員がはにかむ。
「もうすぐ案内できますから、お待ちくださいね」
そう言って店へと入っていった。人の出入りは早く10分くらいすると先程の店員が店の中へと3人を案内しにきた。 店に入っても新八は食欲がわかなかったが、とりあえず注文をする。
「ここはうまいぜ。今日はおごってやるよ」
「いえ、それくらいのお金はあります」
土方の言葉に新八が身を固くして答えた。その様子を見ながら沖田が軽口をたたく。
「土方さんがおごるなんて珍しい事ですぜぃ。ありがたく貰っておきなせえ」
沖田がからからと笑った。
「俺は一番高いやつ」
「おめえにはおごらねえ」
「ちっ」
いつもの掛け合いに違いない。しかしそこにいつもの自分はいなかった。
(僕が変わってしまったのか)
うつろな目で二人を見ていると土方が心配そうに声をかけた。
「やっぱり具合が悪いんじゃねえか?顔色が悪いぞ」
「そうですか」
「それとも俺たちに何か言いたい事があるんじゃねぇんですか」
沖田はそんな土方と新八の様子を見て楽しそうに言葉を続ける。
「似蔵の事で」
新八は喉が渇いていた。
(渇望しているのは喉だけか)
机に出された水を一口含もうとコップに唇をつけたが、渇いた唇にコップが吸い付くのをひどく不快に感じた。そのままゆっくりとコップを傾け、唇を湿らせたあと水を口に含んだ。
二人はずっと新八の動きを見ている。
「似蔵って何ですか」
ごくりと口の中に入った水を飲むと新八が二人に向かってゆっくりと声をかけた。その様子に土方がにやっと笑って、もったいぶった様に口を開いた。
「さっきの続きだ。聞きてえか」
「ええ」
新八は顔色一つ変えず答える。
(もう卒倒はしない)
腹の中でぐにょっと動く物がある。
(それを押さえるのはもうやめよう)
「似蔵の死体を見つける数日前に似蔵の手が川原に落ちてた。そこまでは話した通りだ」
様子をうかがうに土方が新八の方を見たが、新八は無表情だった。話を続ける。
「その後がおかしくてなあ。似蔵の死体には無くなった腕の代わりに刀がくっついていたらしい」
新八は知っている。よく、知っている。この目で見たからだ。
「らしい、っていうのはよ。腕から先が粉々になっていて分からなかったんだ」
「分からないのに、刀がくっついていたって、決めつけるんですか」
新八は微笑していた。いつもの彼のそれとは全く違い、ひどく大人びたものだった。
「天人の技術力はすげえよ。あんな欠片から何があって」
土方がひと呼吸置いて続けた。
「何がなかったか分かるんだからなあ」
沖田がおどけた様に口を挟んだ。
「誰かが腕を斬って、誰かが刀をくっつけたってことですかねぇ」
沖田がくっくと笑ってつぶやいた。
(違いますよ、沖田さん。刀が自分で似蔵の腕になったんですよ)
新八の唇の端が無意識のうちにキュッとあがった。
土方は新八から目をそらそうとしない。
新八も土方から目をそらす事は無かった。
しかし新八が土方を本当に見ていたかどうかは分からなかった。
「馬鹿な話さ。くっつくわけねえよな。でも腕を斬ったやつは居る。確実にな」
新八はもう一口水を飲んで喉の乾きをいやす。しかし、水は足りそうにも無かった。