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きくちしげか
きくちしげか
novelistID. 8592
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鬼の腕

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「で、話を戻すとな。同心達は見たのさ。腕を斬られて逃げる似蔵と反対側に走り去る二人連れを。一人は大怪我をしていたらしくてな、よく見ると二人の他におかしな生き物が一緒だったそうだ。でも似蔵の方が大事だったんで、その二人と一匹は逃がした」
一気にそう話すと土方はタバコに火をつけた。
「怪我した奴はよく見えなかったがな」
紫煙がゆっくり上へとのぼるの待って土方がこう付け加えた。
「肩を貸していたのは少年に見えたそうだ」
土方ははったりをかましてみた。同心が見ていたのは、怪我をしていた方だった。
(目立つ髪、あいつ以外にいねえ。だが、あれから聞き出すのは不可能だ。いつもの調子でのらりくらりとかわすだけだ。弱い方から攻める。常道だ。)
明らかに顔色の悪い少年を見て土方は自分に言い聞かせた。
「僕とどう関係があるんですか」
新八の喉の渇きはおさまっていた。そして腹に今度はどすんと黒い物が落ちる感覚がした。
(こいつらを斬れたら、気持ちいいかもしれない)
もう煩わしい考えはしたくなかった。新八は想像した。刀を抜き、この目の前にいる警官に斬りつける。
興奮してきたのか、青白かった顔に血の気が差してきた。頭の方にも血液がまわってきたようだった。
土方がその変化に気がついたかどうかは分からない。
「某月某日の夜の2時頃おめえどこにいた?」
「尋問ですか、こんな所で」
「人聞きの悪いことを言うなよ。まあ俺たちおまわりさんだからねえ。興味あんのさ。いろいろとな」
新八は冷静だった。
「僕には関係ないですね。夜遊びはしないんです。家で寝ていましたよ、多分」
「そうか」
沖田は氷の入ったコップをもて遊んでいた。黙ってグラスを見つめている。
「夜遊びも、火遊びもやめた方がいい。攘夷ゴッコとかなあ」
土方はその言葉に笑う事はせず真面目に新八に向き合っていた。沖田が持ったグラスからカラカラと氷が当たる音がする。
ふいに沖田が声を出した。
「あんたのところの旦那さん、何者なんですかねぇ」
言い終わると沖田はコップの中の氷をほおばった。新八は笑ってしまった。
(何者なんだろう、あの人は)
「万事屋さんですよ。あなた達もよく知ってるじゃないですか」
「いやあ、俺たちは意外と知らない事が多いみたいですねぇ」
「過去とかな」
新八はもう嫌になってしまった。
(駆け引きは嫌いだ。利用されるのはもっと嫌いだ)
「あの人には過去はないんですよ。前だけ向いて生きているんだから」
「うらやましいねえ、そんな生き方」
楽しそうに言った沖田のどこかとぼけた声が新八の癇に障った。
「はい、お待たせしました」
ふいに緊張した会話が遮られる。先ほどの女中が定食を運んできた。張り詰めた空気に魚の煮付けの良いにおいが漂っている。
「まあ食おうや」
「いただきます」
新八は食べたくもない食事を口に運ぶ。味は分からない。あの夢を見る様になってからここ一ヶ月、ずっと食べ物の味は分からなかった。食べても戻してしまう事が多かったし、食べない事もあった。
「おいしいですね」
新八が心にもない事を言う。駆け引きは嫌いだと思ったが、ここは踏ん張らねばならないと思っていた。
「だろう?」
沈黙の中、かちゃかちゃと食器の音だけが響く。
食事が終わると新八は自分の財布から定食のお金を出して、机の上へ置いた。
「ごちそうさま」
「金は持ってけ。おごりだっていったろ」
土方の言葉に新八の目がすうっと細くなった。
「施しですか」
もう一度はっきりと脳裏に浮かんだ言葉がある。
(こいつらを斬れたら最高だろうな)
「おいおい、そんな顔するなよ。坊主らしくない」
(らしくない?僕の何を知っているのさ)
土方がタバコをだして一服した。
「気を悪くしたならすまねえな。そんなつもりじゃあ無かったんだよ」
土方の顔に笑顔が浮ぶが、目は笑ってはいなかった。まるで新八の考えが分かったかのように。
「腕はねえ、きれいに斬られてたそうでぃ。素人じゃあ無理だ」
沖田の声は内容とは裏腹に爽やかだった。その後に続く土方の声は刺すように冷たかった。
「木刀でも無理だ」
無言で出口に向かって歩く新八に土方が声をかけた。
「刀は血を吸って生きる。おめえも気をつけな。あいつらは血に飢えてる」
沖田の最後の言葉は新八の腹の物を完全に目覚めさせた。
「ちょうど、新八さんの喉の乾きが癒えないのと同じ様にねぇ」
作品名:鬼の腕 作家名:きくちしげか