鬼の腕
万事屋にはよく人が来る。たいていは日雇いの仕事で、雑用や人手不足を補うような仕事だ。
ドンドンと玄関を叩く音がした。台所で洗い物をしている新八には聞こえていないようだった。
「おーい新八くーん。お客さん」
どこからか聞こえる銀時の声に大きな声で答えた。
「何してるんですか〜手が離せないんですよ、自分で出てくださいよお」
「うーん出られない。というか出ない〜」
「トイレかっ」
「うーん」
「まったくもう〜」
手を拭きながら新八が玄関へと歩いていった。あの日以来、新八は元に戻った様に見える。きちんと食事も取っているようで、顔色も良かった。
「いらっしゃい」
戸を開けるとお登勢が立っていた。
「おはようございます、お登勢さん」
新八は笑顔をお登勢に向けた。
「ああ、おはよう。銀時はいるかい」
「いますよ、どうぞ」
新八はお登勢を招き入れ、玄関を閉めた。
「コーヒーとお茶どちらにしますか」
「おや。豪勢だね。ここで飲み物を選べるなんで思わなかったよ」
お登勢の軽口に新八のほおがほころぶ。
「コーヒーをたくさん貰ったんですよ。依頼の報酬に。少し持っていきます?」
「ばばあに餌付けすんなって。調子に乗るぞ」
トイレから出てきた銀時の悪態をつくその言い方に、嫌味な所は無い。
「あんたと一緒にすんな」
お登勢の言葉に、新八がくすくすと笑った。
「せっかくだからコーヒー入れますね」
「ああ」
新八はお登勢にブラックのコーヒーを、銀時には甘くしたコーヒー牛乳を入れた。銀時はソファーに座り、新八の差し出したコーヒー牛乳を手にした。お登勢に入れたコーヒーのカップから暖かい湯気が上がり、部屋全体に香ばしい香りが漂う。
「なんだよばばあ。家賃は昨日払っただろ」
「ああ、あと2ヶ月分残ってるけどね」
万事屋の家計はいつもかつかつだ。新八が来てから少しはましになったが、仕事は金にならない事の方が多い。ほとんどの収入は日雇いの仕事から得られるものだった。
「ねえよ、もう」
「知ってるよそんなこと。今日はその話じゃあないよ」
新八が椅子を持ってきて座り、自分のために入れたコーヒをテーブルに置いた。
「昨日、店におかしな客が来たよ」
お登勢はコーヒーに口をつけ、その苦い液体を一口飲んだ。
「あー?おかしな客って、ばばあの所にまともな客来たためしねえだろ」
銀時は寝間着のまま頭をぼりぼりと掻き、だらしない格好でソファーに座っている。
「うるさいよ、あんたの所よりはましさ。化け物だの、おまわりだの連れてきやがって」
おまわり、といいう言葉を聞いて新八が少し身を固くした。銀時は新八の挙動の一つ一つをそれとなく探っていたが、新八はそれには気がついていなかった。
「化け物は客じゃなくて、従業員だ」
「話を混ぜっ返すな。客はお前に興味があるみたいだったよ」
へっ?というような顔をした銀時がすぐ、にやにやとした顔に変わった。
「いやーん、銀さんのファン〜?銀さんモテモテだからぁ」
銀時がくねくねと身体を動かす。お登勢があきれたように首をすくめて話を進めた。
「あんた、男に惚れられて嬉しいかい?強面の」
「チッ、男か」
お登勢がもう一度コーヒーを飲んで続けた。
「あんたの過去を知りたいって、素振りだったねえ」
銀時の顔が少し歪んだ。
「けっ、俺の過去なんて燃えないゴミに出しちまったよ」
不意に新八が言葉を発した。その声は少し震えていた。
「真選組・・・」
新八は先日来た黒い制服の男の言葉を思い出していた。
(あんたの所の旦那さん、何者だい?)
銀時が飲み干したコップを+手にしたまま立ち上がり、新八の後ろへ移動して頭に手を置き優しく言った。
「おかわり。着替えてくらぁ」
お登勢は新八の様子を見たが何も言わず、子供を心配する母親の様に新八を見つめていた。
「コーヒー美味しかったよ。少し貰っていこうかねえ、新八」
銀時のコップを手に持った新八がソファーを立つ。
「は、はい、じゃあ後で店の方へ持っていきますね」
新八はいつもの笑顔でお登勢に向き直った。お登勢は小さく微笑んで言った。
「いや、できれば今欲しいねえ」
「あ、はい。分かりました」
新八が台所へ向かう。銀時が素早く着替えて出てきた。
お登勢は銀時に向かって低い声で言った。
「銀時。あんたが何をしていたかなんて興味は無いよ。でも過去は消せない。わかってるだろ」
「ばばあに言われなくても分かってるよ。でも過去は過去だ。俺にゃあ前しか見えねえんだよ」
「過去の方がお前を欲する事もある」
お登勢の言葉に銀時の顔がこわばる。すぐにいつもの顔に戻ったが、お登勢はじっと銀時を見ていた。
「護りてぇもんがあんだよ。過去の亡霊にいつまでもつき合っちゃあいられねえ」
お登勢はすっと立ち上がって銀時の前に立った。
「逃げるかい?それとも斬るかい?」
「選択肢はそれだけかよ」
銀時がくすくすと笑った。
「全力で護ってやらあ。逃げも斬りもせずにな。ばばあ、安心しろ」
「じゃあ、たのむよ」
新八が紙袋にインスタントコーヒーのビンを入れて台所から戻ってきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとよ」
新八から袋を受け取るとお登勢は玄関から出て行った。
『銀時、今は全力でその坊やを守ってやんなよ』
お登勢が誰ともなくつぶやいた。