目に見える形
「………」
やはり相変わらず変化のない携帯を見つめていた時だった。
突然鳴り響いた着信音に、帝人は思わず携帯を落としそうになる。
(臨也さん?)
やっと連絡が来たのかと思ったが、だがしかしディスプレイに表示されているのは、知らない番号だった。
一瞬出るべきか出ないべきか悩んだが、もしかしたら臨也かもしれないという気持ちが勝って帝人は気づけば通話のボタンを押していた。
「もしもし?」
『竜ヶ峰帝人で間違いないわね?』
「え、あ、はい。あの、……、どちら、様ですか?」
携帯からは、臨也ではなく女性の声が響く。
どことなく、聞いたことのある声だと帝人は思った。
『矢霧波江よ。覚えてないかしら?』
「あ、いや、覚えてます、お久しぶりです」
『前置きは良いわ、貴方に頼みがあるのよ』
「頼み?」
帝人は波江の言葉に思わず眉を顰める。
波江とは、正直言ってあまり良い関係ではない。
多分、いや、絶対に恨まれている自信がある帝人は思わず身構えてしまう。
(死んでくれ、とか言われたらどうしよう)
そんな帝人の物騒な予想とは裏腹に、波江から出てきた言葉は、ある意味予想外な言葉なのであった。
『貴方のせいで、面倒臭いことになってるのよ。あの男、どうにかしてちょうだい』
「……あの男、って……、臨也さんのことですか?」
『アイツ以外に居ないでしょ?』
おっかな吃驚な様子で帝人は波江の言葉を聞いていたが、段々と説明を受ける内にその顔は何とも言えない呆れた顔へと変化していくのだった。
◆◇◆
後ろで、扉が開く音がした。
「波江、どこ行ってたのさ。仕事、溜まってるんだろ?一応俺も君を雇ってお金を払ってるんだから、それに見合うようには働いてくれないと困るよ」
臨也はそう言うが、そういう自分自身はここ数日全く仕事をしていない。
今も波江の姿すら見ることもせずに、ソファにうつ伏せに寝転がっていた。
「…………」
「なに?俺がそんなにうざい?あぁ、いいよ。うざいなら無視すれば良いさ。でもちゃんと仕事はして帰ってね」
「………こんなことを言うのも何なんですが、波江さんが少し気の毒に思えましたよ」
「え……?」
頭上から振ってきた声に、臨也は思わず飛び起きる。
すると、そこには何故か帝人が仏頂面で立っているのだった。
「み、みか、帝人くん!?なんでここに、というか、どうやってマンションに入ってきたの、」
「波江さんに頼まれました。臨也さんが仕事しない、って怒ってましたよ」
帝人はそう言って、ポスンと臨也の寝転がっていたソファに腰を下ろす。
「……帝人、くん」
そんな帝人の隣に臨也も腰を下ろした。
「…………臨也さん」
「……なにかな?」
「一応確認しますけど、この数日連絡も寄越さずに、ついでに仕事も放棄してふて腐れていた理由は何ですか?」
「…………」
いつもは無駄に饒舌な臨也が黙りこむ。
そんな臨也に溜め息を零してから、帝人はフイっと視線を机に向けた。
机の上には、数日前にも見たことのある臨也の名前だけが書き込まれた婚姻届が置かれていた。
「……帝人くん?」
帝人はその婚姻届に手を伸ばし、そっと両手で持った。
その様子を臨也はジッと見つめている。
そんな臨也をチラっと見てから、帝人は何を思ったのか突然その婚姻届を真っ二つに破いた。
ビリビリビリと、嫌な音が部屋に響く。
「なっ、」
流石の臨也もそれは予想外だったのか、一瞬言葉を失ったが次の瞬間酷く傷ついたような顔をして、言った。
「何、それ……。そんなことするために、帝人くんは、ここに来たの?」
「そうですよ、何か悪いですか」
「…………、帰って。今すぐ帰って!」
臨也はそう言って声を荒げたが、しかし帝人は表情一つ変えずに首を横に振った。
「嫌です、帰りません」
「なんなのさ、本当、意味分かんないんだけど」
「臨也さんだって、いつも意味不明じゃないですか。というか、一つ言っても良いですか?」
「何?」
今度は一体どんな辛辣な言葉が飛び出すのかと臨也は身構えたが、だがしかし、それは杞憂だった。
「僕は、臨也さんが好きです。大好きです。臨也さんも、同じ気持ちだって、信じてたし、それは今も疑ってません」
「え……」
「臨也さんも、ちゃんと分かってくれてるって思ってました。何も言わなくてもお互い通じてるって」
帝人はそう言いながら、破り裂いた婚姻届の残骸を拾い集めながら、少しだけ哀しそうに笑った。
「……こんな、紙面に残さなきゃ、臨也さんは不安なんですか?僕を、信じてはくれないんですか?」
「帝人くん………、ごめん。俺が悪かったよ」
臨也はそう言うと、涙目になっている帝人をギュっと抱きしめた。
お互いに、もう言葉は無かった。
でも、もう充分だった。
『目に見える形』
(そんなもの無くても、俺たちは、僕たちは繋がってるじゃないか)