灰とバロック
こくりと頷いたエドワードに向かって、今度はヒューズが腕組みして数え上げていく。
「マクマランを洗う。案外昔からちょっかいかけたがってたのかもしんねえし。後は、始原の灰の今までの足取りを追う。被害者の経歴ももういっぺん洗い直す。マクマランとの繋がりがあるか、ないか」
ヒューズは立ち上がると、手をばらばらと動かした。癖なのか、調子を整えるための仕種なのか。エドワードは黙ってそれを見る。
「ありがとよ、エド」
彼の中でも思考がぐるぐると回っているのだろう。エドワードはじっと、瞬きもせず見守った後、口を開いた。
「中佐。もうひとつ頼まれてくれないか」
「あん?」
「あの無能にあわせろ」
「…面会?」
そこで初めて、にやりと少年は笑った。
「ぶっとばす」
けれど口にした内容は物騒というか、らしすぎるもので、ヒューズは暫し瞬きして言葉を失ってしまった。
「でもさ、そのまま行ったんじゃ目立つってか、やばいから。なんか用意してくんねえかなって」
「やばいって。…そういや、おまえなんで…」
ああ、とそこで初めて気がついたようにエドワードは目を瞠って、あっさりと白状した。
「いわなかったっけ。マクマランのじじいが大佐を嵌めたんだとさ。それで、跡取りがオレの事逃がしてくれたってわけ」
「…や、嵌められてとは言ってたな、確かに。でも逃がしてくれたってのはなんだ?」
それは聞いてないぞと眉間に皺を寄せたヒューズに、エドワードはからからと笑って言い切った。
「駅で張ってやがったんだ、じじいがさ。そんで、逃げろって」
「…待ち伏せてた?なんでだよ」
「知るかよ、単にやっぱ悪者なんじゃねえの?」
あっさりと切り捨てて、エドワードはふふんと笑った。
「何企んでんだか知らねえけどさ、喧嘩売るには相手が悪いぜ」
そのまま拳をパキパキと鳴らし始めたエドワードに、ヒューズは背筋が冷えるのを感じた。子供にそんな迫力を感じるとは、とも一瞬思ったが、これはただの少年ではない。知っていたけれど、あらためてそう思った。
「――じゃあよ、用意すっから。とりあえず目立たないようについてこい」
「了解」
「いいか、目立たないように、だぞ」
「わかってるっつーの、疑り深いな」
当たり前だろうと呆れたように返すエドワードに、ヒューズは信じてない目を向け、ぼそりと口を開いた。
「…豆」
「んだとコラァ!」
上等だ表出ろ、と続いた台詞に、ヒューズは盛大な溜息をついて首を振った。それで、エドワードもはっとする。
「…目立たないように、だぞ」
わかってるんだよな、と念を押したヒューズに、あたぼうよ…、と視線をそらしながら返したエドワードには、ちょっとだけ勢いがかけていた。
エドワードにしては最大限に努力して、軍法会議所に辿り着いた時、ヒューズは疲労困憊、といった様子だった。納得はいかなかったが、エドワードはそれについて何か口にすることはなかった。やぶへびになることはおぼろげに予測できていたので。
「ちょっと待っててくれ」
とりあえず会議室に通されて、しばらく待っているようにと告げられる。特に逆らうことでもないので、エドワードは無言で頷いた。
座って待っていれば、ヒューズはすぐに返ってきた。手には制服を持っている。彼はにこりと笑ってそれを差し出した。
「変装用だ」
「サンキュ、中佐」
「変装用、だからな?」
なぜそこで念を押されたのかわけがわからなくて首を傾げたエドワードに、ヒューズはにやにやと説明を始めた。いや、説明自体は長くなどなかったのだが。
「…?」
怪訝に思いながらその、きれいに畳まれた制服を拡げてエドワードは凍りついた。ヒューズはにやにやしながら、しかし一歩を下がってエドワードの様子を見守っている。
「…これ、着るのか、オレが」
搾り出すようなエドワードの声に、それでなきゃ面会はさせられねえなあ、とヒューズは口笛混じりに答えた。
楽しんでる場合じゃねえだろ、と怒鳴りたい気持ちを喉元でぎりぎり抑えて、エドワードは険悪に頷いた。頷くしかなかった。
――ヒューズの持ってきたのは、内勤の女性用の軍服だったのである。
見たことのない小柄な、金髪の女性軍人に、通り縋る軍人たちが振り返ったり口笛を吹いたりする。しかし目が合うと殺されそうな目を向けられるので、誰一人として近寄ったりはしなかった。実に賢明な判断である。
独房に向かって歩く時はといえば、これはこれでまた雰囲気が違ったのだが、それでも特に誰かにやじられることもなかった。
そうして、目当ての場所まで辿り着くのは、案外すぐで。
「…今日は何かのフェスティバルか?」
エドワードを見て、その男はぽかんと首を傾げる。その様子を見る限りでは、檻の中の住人とはとても思えない。随分と落ち着いて、余裕があるようにさえ見えた。そんなはずもないのに。
「あほ。どっかの無能がとっつかまったていうから、見物にきてやったんだよ」
エドワードはわざと口を尖らせた。
「それはそれは。わざわざそんな格好までしてか?物好きだな」
ロイは目を細め、くすりと笑った。
「…オレのせいなのか?」
「…? ああ、…聞いたのか。いや、違うよ。元々探していたのは本当なんだ」
始原の灰のことを少年が言っているのに気づいて、ロイは眉を下げる。
「…君に、嘘をついていた」
「……」
困ったようなロイの顔を見ながら、エドワードは答えを保留する。ただ瞬きだけをして返した。
「私は、あれを知っていた。誰よりも」
「…?」
「君が、迷子になった時のことも知っている」
「…!」
それは、あの幼い日のことに違いない。エドワードは目を瞠ってロイを凝視した。
「――そろそろさよならをしなくてはいけないかと思っていたんだ」
少年にふわりとした笑みを向けて、ロイは何でもない事のようにそう、口にした。エドワードは息を飲む。さよならとは、一体なんだろうか。
「長い話を、してもいいかい?」
「…したけりゃ、しろよ」
ぶっきらぼうに返せば、ロイは何がおかしいのかくすくす笑って背中を壁につけた。そして腕組みをして、遠くを見るような目つきをした。
「…もうずっと昔のことだ。賢者、と呼ばれる人たちが、この国には…いや、この大陸とでもいったほうがいいのかな、いたんだよ」
「…東の賢者と西の賢者?」
錬金術師に伝わるその名を口にすれば、ロイは困ったように苦笑した。曖昧なその表情は、どちらかといえば否定として伝わった。
「彼らもまた、その一部かもしれないが。その母体、とでもいったほうがいいかな。彼らは賢者という集団だったんだ」
「…?」
眉をひそめたエドワードに、ロイは淡々と続ける。
「あらゆる権力から自由であり、真理と知識を追究する集団。それが、賢者と呼ばれる人々だった」
「…宗教ではないんだ?」
「ちょっと違うね。彼らは、知識のためであればどこまでも残酷であり、貪欲だった。賢者にとって至上の命題とは、この世の真理を解明することだった。宗教は人が生み出したものだからね。研究の対象になることはあっても、生きる目標にはなりえなかった」
「…」