灰とバロック
エドワードは軽く肩をすくめる。
「不老不死の化け物だ。そんなもの、作らせちゃいけない」
「…不老不死なら、いいではないかね。人類の夢ではないか」
「少なくともオレにとっては夢なんかじゃないね」
「それは、少年が若いからではないかな」
老人は目を細めて答えた。その答えはエドワードの予想の範囲内にあったものだが、重さとなると想像を超えた場所にあった。しかしそれは無視して、エドワードは答える。
「そういうんじゃない。オレは、命は巡り繰り返すことを知ってる。それだけだ。オレは錬金術師だから」
どこか不思議な物言いに、老人がわずかに首を捻ったように見えた。
この老人に、自分の過ちを話す気は欠片もなかった。しかし、放っておくつもりもなかった。
「大体、自分だけが永遠に生きていたとして、そんなの何の意味もない。そんなこともわからないのか?」
わからないから妄執に取り付かれるのだろうが、それでも言わずにいられなかった。若さといえば、それまでかもしれない。
「あんたの息子はどこにいる? 無事だって言うなら今すぐここにつれてきてくれ。いっとくが、オレはガキかもしれないが、国家錬金術師資格をなめてもらっちゃ困るんだぜ」
不遜に笑って、エドワードは銀時計を示す。これが目に入らないかと。
「オレの言葉一つでも、あんたを拘束するくらいのことは出来るんだ。あんたが裏に手を回すより早く、あんたを捕まえることが」
半分ははったりだった。いくらなんでも、そこまでの権限はない。だが親切に教えてやる気はなかった。
「さて、息子と会ってどうする気かな」
「寝覚めが悪いだろ? 一度知り合いになった人間を見殺しにするのは」
単純にそれだけだ、と少年は、少年らしからぬ態度で言い放つ。目的はロイを止めることで、そのためにこの老人から始原の灰を取り返すこと。あの男を助けることではない。だが、見捨てたいわけでもない。どうせなら助けてやれた方が後悔がない。
「そんなことのために? 少年は随分と人がいい」
「田舎育ちなもんで」
不毛な遣り取りの中で、エドワードは頭を動かしていた。今老人の近くに控えるのは執事然とした男がひとりいるだけで、たいした戦力ではないだろう。こうなったら老人を人質にとって脅すのが手っ取り早いかもしれない。
しかし、まるでそんな少年の思考を読んでいたかのように、突如として事態が急変した。
どぉんっ!
「な、」
それまでにらみ合っていた老人と少年は、同時に窓の外を見た。少年は腰を浮かせて。
窓からも、屋敷の一部が火を上げているのは確かだった。まるで何者かが爆撃でも行ったかのように、だ。だがそんなこと、戦時下でもあるまいし、急に起こりようはずもない。
「…あのやろ!」
エドワードは舌打ちして駆け出した。慌てたような老人の制止が聞こえたような気がしたが、構って入られなかった。爆破というなら、思い当たるのはひとりしかいない。
ロイは始原の灰がマクマランの手元にあるのを知らないはずだが、…それでも、あんなことが出来るのはロイの他にいないだろう。
エドワードは、爆破の音を目指して、見知らぬ屋敷の中を疾駆する。
辿り着けばそこは中庭で、すっかり瓦解した屋敷の一部、その瓦礫の中心に、あの男が立っていた。着替えたのか、今は黒いコートに黒いズボンをはいている。ワイシャツの白だけがいやに目に付いた。
「…なんでここにいる?」
男は、辿り着いた少年に冷たい目を向けた。エドワードはそれだけで冷水を浴びせられたような気持ちになったが、ぐ、とこらえて眉を吊り上げる。
「…あんたをぶん殴ろうと思って」
「へえ」
「あんたが探してた…バロックは、ここにある。…あんたはなんでそれを知ったんだ?」
尋ねれば、ロイは軽く目を瞠った後、薄く笑った。
「そうか。ここにあるのか。それなら、ちょうどいい」
「…ちょうどいい?どういう…」
「なに。私の素性を悪用する人間を残しておくわけにいかないから」
その顔は確かに笑顔だったが、どこかに残忍さを匂わせていて、エドワードは背筋が冷えるのを感じた。それはなんという顔だっただろう。今までエドワードが見たことがなかった、ロイ・マスタングという男の冷酷な一面がにじみ出た顔だった。
「君を殺したくはない。離れていてくれ」
「どういうことだよ?」
「この屋敷ごと破壊しようと思って」
なんでもないことのように言って、ロイは手を動かした。焔の練成ではない。だが焔の練成に近い。屋敷のあちこちで火柱が上がり、悲鳴が響き渡る。
「…やめろよ!」
どうして止めたのかわからなかった。だが、エドワードの知っているロイは、どん底にあったエドワードを引っ張り上げ、再び立たせた人間だ。その男がこんな無差別の破壊を行うのを、許せなかった。だから、飛びついて抱きしめ、止めようとした。
しかし相手も素直に捕まってくれる気はなかったようで、ひらりとかわすと、そのまま跳び上がった。信じられないような跳躍で、男は屋敷の屋根の上に移動していた。ありえない動きだった。
「残念だが、君の言うことは聞いてあげられないんだ。後に禍根を残すわけに行かないから」
皮肉っぽく目を細めると、ロイはそのまま屋根の上を駆け出した。エドワードも地上でそれと併走する。
「大佐!やめろよ!あんたそういうことするような奴じゃねえだろ!」
声を限りに叫んで止めるが、ロイからは既に返答がない。走行する間にも破壊は続く。とうとう、エドワードも言葉での説得を諦め、実力行使に出た。
ぱん、と乾いた音を立てれば、ロイが動きを止めた。
エドワードの練成を知る彼は、過小評価することなく受け答えてくれるつもりのようだ。それでこそと思いながら、エドワードはイメージする。瓦礫から作り上げた巨大な拳がロイを襲うが、大振りな動きでは彼を捉えることはできなかった。しかし、練成は第二、第三と攻撃を繰り出していく。エドワードだって必死だった。ロイを止めたい一心だった。
…実は結果として被害は広がっていないこともなかったのだが、ロイとエドワードの戦闘が場所を大体限定していたので、屋敷の中の人々はそれなりに避難を終え、そのありえない光景を遠巻きに見ていた。
そうして瓦礫という瓦礫を使い果たしたエドワードと、さすがに息が上がってきたらしいロイが、間合いを取ってにらみ合っていた。
「…大佐、帰ろう」
「だから、言っただろう。大佐はもういなくなるんだ」
さよならと言っただろう、と聞き分けのない子供に向けるような口調で言われ、エドワードの中の何かが切れた。元々切れていたのかもしれないが。
「ふっざけんな!」
「…鋼の?」
「オレはあんたにいなくなられたくねえんだって、わかれ!馬鹿野郎!」
地団太を踏んで、癇癪を起こした子供よろしく怒鳴りつけるエドワードに、ロイも目を見開いて言葉を失った。
「オレだけじゃねえ、中佐も、中尉も、みんな!ふざけんなよ、逃げるな!」
「逃げてなどは…」
「逃げてるよ!死なない?結構じゃねえか、だったらそれなりに役に立てよ、ひとの! あんたの人生は、…あんたがふらっといなくなって、それですぐ忘れられるようなもんじゃねえんだ…」