灰とバロック
エドワードの目が迷子のようなそれになり、声にも勢いがなくなった。
「オレは、…あんたがいないのは、いやだ…」
ぽつりと響いた言葉に、悔しそうな少年の目から水分が溢れて続く。ロイは途方に暮れた顔で動きを止める。
「…鋼の」
「馬鹿。何百年も生きてもあんた全然わかってない!」
ロイは、…少し困ったように笑うと、ぎこちなく少年に近づいてきた。そして、やはりぎこちなく、少年の頭をそうっと撫でる。
「…困ったな。君がどうして泣くのかわからない」
エドワードは唇をかみ締めて俯いた。ロイは、小さく息を吐いて、今度は腕を伸ばし、静かに少年を抱きしめた。
「…困ったな。君が可愛く見えてしょうがない」
勝手に困ってろ、と大層可愛くない鼻声が腕の中から聞こえてきたのだが、ロイは腕を離さず、そうだな、そうさせてもらおう、と静かに答えた。
昼日中からセントラル市内の屋敷で市街戦と見まごうような戦闘が繰り広げられれば、当然何事かという話になる。だから憲兵が出動したのも道理だし、錬金術師が戦っているらしい、という報を得たヒューズが顔を出したのも当然といえば当然だった。彼は、親友とその後見する錬金術師の行方を案じていたのだから。
そうしてとりあえずロイと、暴れていたということでエドワードも一緒に拘束されたが、ヒューズは敏腕な男だった。
取調べと称してマクマラン邸にてまず拷問にあっていた養子を保護、ついで盗難にあったはずの始原の灰を発見。
マクマラン・シニアは即日令状を発行された上、送検された。
始原の灰がマクマランの家から発見されたことで、ロイにかけられた嫌疑はすぐにも晴らされることになる。
しかし、とはいえ、彼が独房を破壊して脱獄したのも事実なので、それを色々うまくごまかすのには、あと数日を要するらしい。
あんた馬鹿やったよな、と、隣り合う拘置所の檻の中でエドワードがからかうと、脱獄はなかなかスリリングな体験だったからまあいいんじゃないかな、と人を食った答えが返ってきた。よくわからない男だ。
翌朝、迎えに来たヒューズに「おう、拘置所帰りか、おまえさんも箔がついたな」とからかわれながら帰るエドワードを、そのよくわからない男はいやにさわやかな笑顔で見送ってくれた。
「…とりあえず、オレの前から勝手にいなくなるな。馬鹿」
片手を腰にあて、もう片手でえらそうに指差して命じれば、ロイはくすくす笑って、アイ・サー、そう答えたのだった。
それから、どうなったかといえば。
結局宝石商の不審な死に方については取りざたされることなく(そのあたりエドワードはちょっと納得がいかなかったのだが)、マクマランによる犯罪である、ということで決着が付いた。ありえないだろう、と当事者でさえ呆れたその結末は、反面、ヒューズ中佐がいかに有能な男であるか、ということの証明でもある。
彼はその結末をごり押しし、見事に通してしまったのだから。使った武器は口先三寸のみである。
もっとも、宝石商は始原の灰の拒絶反応で死にました、なんて、そんな調書が書けるわけもないので、やはりそれ以外にやりようはなかったかもしれないのだけれど。
結局、公式に残った記録は、マスタング大佐に嫌疑はかけられたものの無実は証明され、釈放された、という実にあっさりした記載のみとなった。
二日ほどして釈放されたロイは、後見する、彼が見出した少年に待ち構えられていた。すぐにもどこか宿を取ってとにかくゆっくり眠りたかった彼だが、どうにもこの少年には強く出られなくなっていて、肩をすくめて苦笑すると、「食事でもどうかね」と誘った。少年は疑うような目を向けてきたが、暫し思案の後頷き、こう答えた。
「いいぜ。話があるから」
「では個室の方がいいかね」
「別に。どうせ誰が聞いてもほんとのことだなんて思やしねえだろ」
小気味よく流され、ロイは楽しげに笑った。不老不死、などといえば変人を見るような目を向けられるか、欲にたぎった態度をとられるかのどちらかしかなかった。だが、この目の前の少年は違うらしい。
確かに、彼は人としての限りを超えかけたことがある。だがそれだけがその理由ではないだろう。なんとなく、ロイはそう思った。
時間は昼を過ぎ、夕方にはまだ少し間がある頃だった。空いている店は少なかったが、それでも一軒のレストランを見つけて腰を落ち着けた。店は当然のように空いていたが、厨房には距離があったので、誰に咎めることもなく話は出来そうだった。
適当に食事を頼んでから、口火を切ったのはエドワードだった。
「あんたのせいでアルに怒られた」
「私のせいで?」
「ああ。拘置所に入っちまった、ってばれて。ボク兄さんをそんな風に育てた覚えはないよってなかれた。…オレが兄貴だっつーの」
あいつめ、と苦虫を噛み潰したような顔で言う少年に、ロイはくすりと笑った。
「それは申し訳ないことをした。私からもよく詫びておこう」
「や、あんたはその前に中尉あたりにこってり絞られるだろうから、別にいいよ。そんな気は使わなくて」
にやり、とエドワードは笑い、グラスの中の氷をつまんでがりがりと噛みくだく。
「それは恐ろしいな」
まんざら冗談でもなくロイは口にした。ホークアイは頼りになる部下だが、あの生真面目さだけは…、叱られて勝てた例が今のところないロイとしては、結構厳しいお仕置きだった。
「なあ」
「…ん?」
「あんた、本当に消える気だったのか?」
エドワードは笑いを消してロイを見つめていた。ロイもまた、真面目な顔になり答える。
「ああ」
「…ずっと、そんなこと考えてたのか」
「…そうだな。…私だって、化け物と罵られるのは辛いときもあるんだよ。気に入った相手なら特にね」
「…?」
ロイは目を細め、足を組んだ。そしてやわらかな視線でエドワードを捕らえる。
「確かに私の神は愛ではない。…でもね、鋼の。それでも、随分と愛着を持ってしまったんだ。この人生に。ロイ・マスタングという男と、彼がかかわる人々に」
「…オレ、あんたといてやる」
「…?」
不意に決意に満ちた顔をした少年に、ロイは首を捻る。だが、エドワードはそれに構わず、ロイの手をテーブル越しに握る。握って、誓う。
「オレがいる。オレの一生をあんたにやる。だから、どこにも行くな」
「…きみ、…何を言ってるのかわかってるのか」
ロイもさすがに唖然として言い返した。何を馬鹿な、と。
「わかってるし、もう決めた。あ、でも、アルを戻してやるのが先だけど」
エドワードは握った手にさらに力をこめた。
「オレの最後までを、あんたにやるから。…その間に、あんたを人間に戻してやるから」
「…人間に?」
「駄目だったら、ごめんな。でも、オレ天才だから大丈夫、絶対」
そこでにっこりと彼は笑った。やんちゃな、太陽のような笑顔に、ロイは一瞬何も言えなくなる。なんて子供だろうと思って。
「オレはあんたにいなくなってほしくない。だから考えた。そしたら簡単だった。オレの人生をあんたにやればいいんだ」
ロイは暫し言葉を失ったあと、諦めたような、けれど楽しくて仕方ないというような笑みを浮かべ、握られた手を引き寄せた。そうして、その拳にキスを贈る。