灰とバロック
ノッポの部下は話の流れに内心感心していた。初めは劣勢のように思えた上司だが、どうして、ここまで来るとうまく逃げおおせられそうだ。伊達に大佐じゃねえな、と少尉はぱちりと瞬きする。すると、まるでその内心の呟きが聞こえたかのように上司がちらりと自分を一瞥したので、驚いて息を飲んだ。けれども上司はまた何事もなかったかのように親友を向いて、話を続けた。
「…死んでいた男は、人形のように固まっていた、と?」
「ああ。なんつうのかな…それが、こう、真珠みたいな…いやにテカテカ?しててな。美女の置物ならまだしも、おっさんのよく出来た置物なんてぞっとしねえことこの上ないったら…」
ロイはただ苦笑した。ノッポの少尉、ハボックは内心で想像してげんなりした。確かにヒューズの言う通りだ。
「焔の錬金術師さんよぉ、なんかこう、錬金術でそういうのないんかね?」
「瞬間的に剥製を作る錬金術、か?」
ロイが笑って口にしたのは、いささか物騒な内容だった。口調はさらりとしたものだったが。
「…あるわけねぇか」
さすがに引いたヒューズに、特に気にした様子もなくロイは続けた。
「――真珠はどうして出来るか知っているか?」
「へ? …や、知らねぇな」
唐突に変わった話題に瞬きしたのは、ヒューズもハボックも一緒だった。しかしロイは何を考えているのか淡々と続ける。
「簡単に言うと、そもそも、真珠というのは…主に貝類だが、ある種の軟体動物が体内に入った異物に対して膜を張り、自身を守ろうとする働きの結果に生じるものだ」
「…はぁ」
ヒューズは自分が妻に贈った真珠の首飾りを思い浮かべながら曖昧に頷いた。こんな風に説明されるとなんだか別のものの話を聞いているような気持ちになって複雑だった。
…ロマンの欠片もない。
「詳しいことはまだよくわかっていないがな。特に貝類の、内側に真珠光沢を持つものから産する場合に、特に光沢に優れたものとなる。ちなみに、この性質を活かしたのが養殖の技術だ。マザー・オブ・パールに核となるガラスや貝殻の欠片を混入して生育させる」
「大佐、物知りですねぇ…」
思わず呟いた風情の部下に、ロイは目を細めただけだった。
「仮に…」
「仮に?」
「人間大の真珠を作るとしたら、どれだけの大きさの母貝が必要になるんだろうな?」
ふ、とロイは笑った。
ここまで言われて、ヒューズも苦笑した。ロイは回りくどい言い方で、そんなことは錬金術でも不可能だ、と言ったのだ。
「それに、そもそもそこまでするメリットがない」
「そこなんだよなあ…」
ヒューズは頭をかいた。確かにその通りで、たとえ殺害の動機が怨恨であったとしても、そのためにここまで手の込んだことをする理由がまるでない。お手上げだった。
「…ただ、」
ロイはふっと目を眇めて、口を押さえて考え込むように口にした。
「ただ?」
「動機がそもそも、殺害目的だった場合にはその限りではないだろうが」
「快楽殺人?」
「狂える錬金術師による実験的殺人…」
さらりと言って、ロイは唇を歪めた。
「――そう考える輩はいるかもしれないな。手っ取り早く解決させるために、誰か適当な錬金術師を捕まえて」
「適当な、って…」
ロイは椅子を立ち、ひらひらと手を振った。
「適当な国家錬金術師、かな。上にしては扱いづらい誰か。私も気をつけるとしよう」
歌うように言って、彼は友人の職場を後にすべく背中を向けた。その後ろに、慌ててハボック少尉が続いた。
「…ロイ、」
ヒューズは暫く立ち去る男の背中を見ていたが、眼鏡を押し上げて後は飲み込んだ。あの男の妙な執着のなさを、その理由を彼は知っていた。だから、不安になった。
その後の調べで、殺された宝石商が最近いわくつきのある品を手に入れていたことがわかった。
「?始原の灰??」
ヒューズは調書と部下の顔を見比べながら繰り返した。なんとかの涙とかなんとかの星とかいうならわかるが、灰とはまた、宝石には似つかわしくない。
調書によれば、およそ半世紀も前に地方の富豪が所有していたというその変わった名前の品は、バロックと呼ばれる不思議な形をした真珠だという。
「また真珠…」
男の死に様を思い出し、ヒューズは眉をしかめる。
「ますますオカルトじみてきたなあ。こんなん解決できんのかよ?」
だがこの奇怪な事件にセントラルの市民は怯えている。何らかの解決を見つけなければ、ただでさえよくない軍への感情はさらに悪化するだろうことは間違いない。それに、事情がわからなければ、これが単発の事件なのかこれからも連続するのか判別できない。それでは困るのだ。
「中佐、始原の灰については少し気になることが…」
「あん?」
部下は少しの間を置いてから、辺りをうかがいつつ声を潜めて切り出した。
「実は、この真珠を探していたある人物が、…」
「ある人物?」
これはなかなか手頃に怪しい人物が出てきたものだと思い、ヒューズは尋ねる。しかし…、
「…マスタング大佐が、以前より探していたらしいのです。仲買商が覚えていました」
苦渋に彩られた部下の報告に、ヒューズも眉間に皺を寄せただけで暫くは何も答えなかった。その間に時計の短針がいくつか回転して。
ようやく口を開いたヒューズは、いつも通りのヒューズだった。
「それで?あいつと今回の被害者の接点は」
ありません、と部下は首を振った。
「あるとしたら、始原の灰だけです」
「つまり、それを被害者が手に入れてた、ってことをあいつが知ってるかどうかが重要だっつうことか」
「…はい」
ヒューズの信頼する部下だ。ヒューズとロイが職務を超えた友人であることくらいは理解している。それだけに慎重なのだろう。
「…なんとも、まあ」
ヒューズは無意識のように、二度、三度と首筋をたたいた。
「――その話は俺の他には?」
そして最後に確認したのはその一点。部下は、中佐の他にはどなたにもご報告していません、と答えた。それに満足そうに笑って、ありがとよ、とヒューズは頷いた。
「とにかく、俺から見てもあいつらってば怪しさの塊だからな。おまけにあの野郎は生意気だしなぁ」
からからと笑って、ヒューズは部下の背中をたたいた。
「とにかく、俺が確かめる。それまで口外無用だ」
「承知しました」
ああ厄介だ、普段のように軽い調子でそうぼやきながらも、ヒューズの目はまったく笑っていなかった。
「失礼。…鋼の錬金術師殿?」
ある街角で、たまたま弟と別れて、エドワードが遅い昼食を食べていた時のことだった。その男が現われ、話しかけてきたのは。
それはちょうど、ヒューズがセントラルにてロイが始原の灰を探していたらしい、という情報を得るのに前後した頃の話である。
「…?」
見たこともない男だった。例えば全く知らない人間に知られていたとしてまあ、エドワードの場合行状が行状なのでそういうことがないとは言い切れないのだが、気分としては微妙なものだ。オレって有名人、 なんて喜ぶほどにエドワードは単純に出来ていない。