灰とバロック
ヒューズは慎重に答えた。教えられる情報は少ない。だがこの少年は自分など及びも着かないほどに優れた頭脳の持ち主だ。キーポイントさえ教えれば後は自分で考えて自分で解決してくれるだろう。そして、何のかんのと言ったところで、親友のために動いてくれるはずだ。ヒューズはそう確信していた。
『バロックを探せ』
「…は?」
ヒューズの意味深長な台詞に、エドワードは眉間に皺を寄せた。意味がわからないが、意味もないことを言う男ではないだろうことくらいはわかっている。そもそも今は事態が事態だ。
「…わかった。…そうだ、中佐知ってたら教えて欲しい。ウィルフレッド・マクマランて男を知らない?」
エドワードは見知らぬ男が残していった名刺を見ながら尋ねた。すると、マクマラン…、と受話器の向うでヒューズが繰り返している。これは不発だろうか、とエドワードが「やっぱりいいや」と切り出そうとした、その時だった。
『おまえ、なんで知ってるんだ?』
ヒューズの驚いたような声がして、どうやらその声の調子から判断する限りは、ヒューズから見てそこまで害のある相手ではないらしい。それなら、闇雲に疑ってかかるよりは、ある程度の接触を試みた方が事態の好転につながるのかもしれない。
『まあ簡単に言えば軍のスポンサー、ってやつになるか』
「…結構若かったぜ?」
資本家や企業家にしては、と眉をひそめながら言ったエドワードに、電話の向うでヒューズが笑う。
『なんだ、じゃあおまえさんが見たのはジュニアの方だな。マクマラン・シニアは俺のオヤジ、や、じいさんくらいの年寄りだったはずだぜ』
「…二代目?」
『ああ、そうだろ。元々シニアには跡取りがいなかったんだが、最近誰か引き取ったとかなんとか。…それで、そのマクマランがどうかしたか?』
「や…話しかけられた」
内容は伏せて一応の真実を告げたら、はあ?、という要領を得ないのがよくわかる声が返ってくる。しかしエドワードも無理はないだろうと思った。とはいえ他に言いようもないのだ。
「その人っていうか…その親子は、…あいつに、なんか縁でもあるの?」
後見人の名前をストレートに出すのもはばかられ、適当にごちゃごちゃと伏せたら、ヒューズは笑ったようだった。
『どうかね?まあ意外と顔が広いヤツだから、知り合いでもおかしかぁねえかもな』
「ふーん…」
『野郎がどうしてるかは聞かないのか?』
からかうような口調に一瞬むっと鼻の頭にしわが寄ったが、…溜息をついて、エドワードはぼそぼそと切り出した。本当は弟にもせっつかれたのだ。電話をしたら、現在の様子を聞くように。そしてそれを中尉達に伝えてあげて、と。何しろ弟の命令は絶対だ。従わないと、後々大変面倒くさいことになることは目に見えている。
…と、言い訳をつけて。
「…どうなんだよ?様子…まあ、ぴんぴんしてるのに決まってんだろうけどさ」
ヒューズはこっそりと少年に気づかれないように笑った。まあ、なんとも微笑ましい年頃ではないか。
『元気すぎて、取調官がまいってるって話だ』
だからふざけて答えを返してやれば、笑い声が返ってくる。屈託のない、年相応の笑い声だ。そうやって笑っている姿を見ていると何一つ他の少年と変わっているように思えないのが、逆にこの少年の強さのように思えて、ヒューズは目を細めて電話の向うを想像する。優秀なだけでも、強いだけでもない。修羅場慣れもしているくせに、純朴なところも持っている。影のない笑い方をしても、その裏にいっぱしの男の気構えのようなものもきちんと持っている。たいしたヤツだ、とヒューズは目を細めた。ロイの、「私の見る目はすごいだろう」とでも言う声が聞こえてきそうな気がする。
『マクマランは元々研磨工業から始まってんだ』
「研磨?」
『研磨加工業、か? …たとえば、武器の』
「……」
『今の主流は精密機器らしいけどな。始まりはそうだ。俺は詳しいことはわからねぇんだが、研磨にゃ案外宝石の類を使うらしくてよ?』
「宝石? ああ…そうだな。ダイヤカッターとかだろ?」
『そうそう』
鉱石は確かにその光輝をして古くから宝飾品としても珍重されてきたが、それと同時にその硬度を初めとした多様な性質を以って工業に転化されもする。
『バロックは工業には関係ねぇが、案外得意先のどっかはつながってるかもしれねえなあ』
「…へえ…」
エドワードは目を細めた。
バロックが何かはすぐにはわからない。だが宝石に関係するものではあるらしい。
「サンキュ、中佐。…あの無能にもよろしく」
ヒューズは重要なヒントをふたつくれた。ひとつはバロック、ひとつは、マクマランがとりあえずは信用してもいい人間だ、ということだ。それだけあればエドワードには十分だった。
中尉にとりあえずあいつは元気らしいと伝えなければ、と思いながら、エドワードは渡された名刺に書かれている住所と電話番号を確かめる。所在はセントラル、今現在エドワードがいるのは西部のはずれ、セントラル寄り。今は午後のお茶までもう少し、という時間帯。
「…」
――もしも心が決まったら、駅に来るか、ここに電話して欲しい
あの男はそう言った。駅に行けば、本人か、もしくは誰かが待っているのだろう。エドワードは深呼吸をして、…電話ボックスの向うの弟と視線を合わせた。
その街からセントラルへ向かうには、一度大回りしてウェストシティに戻る必要があった。直線距離なら近いのだが、こればかりはいかんともし難い。だがそれでも、マクマランが席を用意した特急は最短でセントラルへ向かうものだったから、普通に行くよりは半日も早くセントラルへつける予定だった。
あれから結局、弟と別行動をとることにした。これはエドワードの保険である。
アルフォンスは今、イーストシティに向かっているはずだ。既に中尉には話をつけており、向うで身動きが取れなくなっている彼女達のために動くか、あるいは、エドワードに有益な情報を伝えてくれるか…、勿論一緒に行動してエドワードの枷にならないようにというのもあるのだが。とにかくアルフォンスの秘密がばれるのは得策ではないのだ。後見人が留置されているという、今の状況では。
「…あんたはなんで大佐のために動く?」
ふたりだけの道行きだった。黙って考えに没頭するのは苦ではなかったが、没頭しすぎるのは今は避けるべきだったし、何より話しておきたいこともあったのだ。
「…なぜ、とは?」
「とぼけんなよ。何の得もなく動くか?それにオレは、あんたが何をしてるかもしらねぇ」
エドワードは笑うでもなく、怒るでもなく、ただ淡々と言った。するとマクマランは少しだけ苦笑して、そうだな、と小さく口にする。
「…私は彼に助けられたことがある。それでは、だめだろうか」
「駄目じゃねえけど、弱いよな。理由としちゃ」
「…そうだな」
しばし、沈黙が落ちる。列車の中は静かで、息遣いさえ聞こえてきそうだった。
「…ま、いいや。…なあ、それより聞きたいことがある」
「なんだい?」
「バロックってなんだかわかるか?」
聞けば、マクマランは軽く目を瞠った。それに首を捻れば、暫しの間を置いて男は口を開く。