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覆水盆に返ることもある

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「………ふぅ」


ヒューバートは執務室でこれからのラントの方針の書類を纏め終え、一息ついた時だった。

コンコンと、扉から控えめなノックの音が聞こえる。


「……どうぞ」


部下が何か報告に来たのだろうかとヒューバートは思ったが、入ってきた人物は意外な人物だった。


「……ヒューバート…」

「シェリア…、一体どうしたんですか?」



懐かしき幼なじみの姿に思わず吃驚しながら尋ねると、シェリアは泣きそうな顔で呟いた。



「ねぇヒューバート…。どうして…、アスベルをラントから追い出してしまったの…?」

「……え?」

「あんな体のアスベルを放り出したら、アスベルは死んでしまう…!」

「待って下さい、どういうことですか」



ヒューバートが説明を求めるとシェリアは涙声で話しを続ける。


「さっき…、アスベルがラントを出ていったの…、私、引き留めたけど貴方の邪魔になるから、って…アスベル、聞かなくて…」

「………そんな」

「ヒューバートは家を出て騎士団に入ったアスベルのことを恨んでいるの…?」

「…………」



恨んでない、と言うことは出来なかった。
(それは嘘になってしまうから)



ヒューバートが黙り込んでいるとシェリアは肯定と受け取って続けた。



「……七年前アスベルは、家を飛び出したけど、本当は騎士団に入るつもりは無かった」

「……どういうことです?」

「……アスベルは、死ぬつもりだったの。でも、たまたま通りすがった騎士に拾われて、宿舎で育つことになった…」

「……だから、どういうことですか?何故兄さんは死のうとしたんですか」



話の見えないヒューバートは尋ねる。

いや、話の結末は本当は分かっていたのかもしれないが、問わずにはいられなかった。



「……ヒューバート…、本当に分からないの?」

「………ええ」

「……アスベルは、自分さえ死ねば貴方がラントに帰ってこれると思ったのよ…!」




子供の考えとは、怖いものだとヒューバートは思った。

そんなことをしても、養子に一度出してしまえば戻ってくることなんて無いというのに。



(……でも、そこまでして兄さんは…)



ヒューバートを想って家を出たことも、そして今、独りラントを出ていったアスベルの事を想うと、もう止まらなかった。





「ヒューバート?!」



シェリアの声が後ろから聞こえた気もしたが、構わずヒューバートは執務室を飛び出した。


屋敷を飛び出て空を仰ぎ見れば、曇天と嫌な天気で。

妙な胸騒ぎを感じてヒューバートは走り出す。

途中、部下の兵士にも呼び止められたような気がしたが止まる気は起きなかった。



ラントを出て街道を走り抜けるがアスベルの姿は見つからない。

ラントを出ていった時間と、アスベルの体を思えばそう遠くへは行っていないはずなのだ。注意深く走っていたヒューバートは不意に地面に血を引きずったような痕があることに気づき眉を顰めた。



「……兄さん…?」



最悪の事態が頭によぎったが、それをすぐに振り払って走る。

すると、大きな木の幹の根元に白い人影が見えヒューバートは足を止めた。




「……兄さん!」




駆け寄れば、木の幹に寄りかかるようにしてアスベルが眠っていた。

少し負傷しているようだったが、特に酷くはない。



「…兄さん、大丈夫ですか?兄さん…、」

「……ん…、」



揺すってみるが、アスベルは起きない。


仕方ないので、背負って帰ろうとヒューバートがアスベルを抱え上げた瞬間だった。

不意に眼鏡に水滴がついた気がして空を見上げれば嫌な予感通り、雨がポツポツと降り始めていた。


どう見ても、本降りになるまで僅かな時間も残されていない空の様子にヒューバートは舌打ちを一つして辺りを見渡す。


すると、すぐ傍に小屋があるのに気づきヒューバートはそこへと走るのだった。