闘神は水影をたどる<完>
雨雲の引いた空を映した海面は、紺色に染めた極上の織物のように滑らかだった。一雨流された清々しい夜を迎え、穏やかな波音だけが聞こえる。フェリドは尻の下にひんやりと湿った砂を感じ、ひとしきり懐を探って溜め息を吐いた。なんだ、と視線を送ってくるアルに力なく眉を下げて見せる。
「見てのとおり不精者でな。おまえの座る敷物になる手拭いの持ち合わせもない」
「別に、なくても座れます。昼間もそうしたではないですか」
「昼間は完全に男だと思っていたんでな」
フェリドは大袈裟に嘆くと、膝の上に頬杖を突いた。丸められた広い背中をしげしげと眺めていたアルは、小さく笑いを零した。春の日溜まりに花が綻ぶような息遣いだった。
まったくこれを少年と思っていたとは、とフェリドは半ば本気で項垂れる。
出会い頭にフードを被ったまま一戦合わせた印象が、アルのその男装を真に受けるのに拍車を掛けたのだ。ようやく話がおかしいと気づいたのはひとりで森を進んでいる最中で、ファレナ女王家の嫡子が誘拐されそれがアルのことだと聞かされた王邸では、頭に血が上っていて性別のことまで神経が回らなかった。
「あの者たち」
アルが深く息を吸い込んだ。
「ファレナの貴族の者です。フェリドは、ファレナに闘神祭という儀式があるのは知っていますか」
「いや、初耳だが」
「闘神祭は王女の伴侶、ゆくゆくの女王騎士長を決めるための儀式です。かれらは剣闘試合を行い、みごと勝ち抜いた者がその座を射止めます。名代をたてることも可能です。参加にあたって厳しい制約などはなく、予選試合を勝ち抜ける実力または家名をもつ者なら誰でも参加できますが、実際は有力貴族が強力な名代をたてて優勝するのが、暗黙の了解です。私の闘神祭も二年後と決まっています」
アルは淡々と、準備されていた規約を読み上げるようにいった。フェリドはそれを背中で聞きながら海を見つめていた。
「あの者たちはニーベルン家という地方有力貴族の者で、闘神祭の出場届けをいの一番に出していました。国政における二年間などあっという間。狂言誘拐を仕込んで私を助け出すことで、点数を稼ごうとしたのかもしれません」
「そんな小細工をすることで意味はあるのか?」
「いえ。優勝するだけの達人を名代にたてられなければ結局意味はありません。でも陛下、お祖母様はなんらかの恩賞は与えるでしょう」
フェリドは頬杖を崩して振り返った。
作品名:闘神は水影をたどる<完> 作家名:めっこ