闘神は水影をたどる<完>
11.祝福の夜
ロゼリッタは早足で王邸のあちこちを巡り歩いていた。
新たな王女誕生の祝賀が、出産から一日明けて執り行われていた。戦艦が海上で空砲を打ち上げた夜明けを皮切りにした、華やかな催しやオベルの民の謁見で賑やかだった日中も過ぎた。夕立の訪れとともにオベル王邸の至る所に豪奢な燭台が設けられ、蕾のような火を揺らめかる。王女の名に取ったベルナディンの花が溢れんばかりに生けられ、可憐な香りで訪れる人々を楽しませた。王邸は、和やかな空気で包まれていた。
白い礼服に身を包んだ海兵や裾の長いローブの文官たち、高い帽子を頭に載せた神官たちと、すれ違うたびに祝辞を述べられ、ロゼリッタはそのたびに柔らかい着物の裾を持ち上げて礼をいった。浮き足だった空気に行く手を絡め取られ、なかなか目当ての人物を捜し出せずにいるのが現状だった。
空っぽの貴賓室を覗き、光と花と祝辞のひとで溢れる広間を探し、離れで忙しなく行き交う侍従たちのあいだをすり抜け、ロゼリッタは渡り廊下の支柱にがっくりともたれ掛かった。
中庭の木立の陰から臨む城下の、綺麗に並んだ色とりどりの提灯の光を見遣った。
城下のほうへ降りてしまったのだろうかと不安を覚える。
城下は、日没からが本番とばかり、ご馳走や酒を振る舞う祭で盛り上がっているはずだ。交替で夜の海上警備に当たった同じ四等海兵のニコが、悔しそうに制服に身を改めていた。ロゼリッタを含めたイーガン一族の面々は、海軍在籍の者もきょうばかりはその任を解かれ、一日中祝賀に参加している。
ロゼリッタは萌葱色の布で織られた柔らかい靴の爪先を合わせながら、どうしたものかと中庭を見回した。そこへひとり歩いていく人影を見つけ、あ、と息を弾ませた。一瞬綻んだ頬はしかし、さて見つけたものの、見つけてからどう声をかけるかまでは考えていなかったことに気づき、緊張した様子で震えた。
その人物は短く整えられた焦茶の髪を軽く揺らしながら、ゆっくりと地を踏みしめていた。裾に金色の刺繍が施された紫紺の着物を合わせ、腰には何も提げていない。酷くこざっぱりしたものである。
ロゼリッタはまるで上官の前に怒られに出て行くようにそろそろと近寄った。
振り返った男はロゼリッタを見とめると、訝しんだ様子で目を眇めた。その目が随分色の薄い茶色であることを、ロゼリッタは初めて気づいた。
小さく裾を摘んでお辞儀をすると、男は多少困惑したまま静かに腰を折った。
まるで互いに相手が誰か、はかりかねているようだ。ロゼリッタは少しおかしくなった。
「こんばんは」
声を聞いて初めて男はロゼリッタが誰か思い当たったらしく、ああ、と呟いた。
「先日は手荒な真似をしてすまなかった。非礼を詫びる」
声を聞いても、ロゼリッタはますます、この酷くこざっぱりした男に地下貯蔵庫で死ぬほど恐い目に遭わされた実感が湧いてこなかった。
「すこしだけ用があって、貴方を捜していました」
イザクは、彼女にとって最悪の出来事であろうあの夜と同じように言うロゼリッタを、内心やれやれと思いながら片膝を着いた。オベル王国の王女はとても小さくて、イザクは完全に見下ろしてしまうのだ。諸々の制限付きではあるが、オベルに世話になっているかたちの彼が、ロゼリッタより頭を高くしているのを見咎められるわけにはいかない。ロゼリッタはそんなイザクの様子も気にならない様子で懐に手を入れた。
作品名:闘神は水影をたどる<完> 作家名:めっこ