闘神は水影をたどる<完>
「ソレサイユ、リリア、ツェヴィエルシュ、ベルナデット」
妹たちはオベルに咲く花から名付けられた。口にすると、まるで両腕に五色の花束を抱え込んでいるように幸福になる。
フェリドは腰の剣に手をつがえ、その重みをじっくりと確かめた。これから腕のなかにあるのはこれ一本である。
「貴方は勝手だ。今晩を限りに、俺に兄はいない。行くなら二度と戻ってくるな。戻ったら、誰が許しても俺が、貴方を斬ります」
リグドは言い放ち、感情を抑えきれずに喉を震わせ息を吸った。
夜空へ何発と連なる花火が打ち上げられた。轟音が続く。今晩の締めくくりなのだろう。光の花弁が流れ落ち、水場はしばらく昼間のように明るくなった。どん、どん、と二発の空砲が轟き、空に煙の幕が引かれる。満月にはまだ満たない月が、煙越しに朧めいて見えた。
「いままでもこれからも、おまえとおまえが守るオベルを愛そう」
「知りません」
フェリドは地面を蹴って馬鞍に跨った。その動きに迷いもない。
「俺は貴方が大嫌いです」
フェリドは笑って頷き、馬の腹を蹴った。馬は高々と嘶き、前足を上げると走り出した。
フェリドは振り返らない。一度も振り返らずに邸門をくぐった。
錠番に立っているはずの海兵がいなかった。祝宴の晩に旅装で飛び出していく王家の長子を、彼らが見逃すわけにはいかない。サルガンが先回りして、適当な理由で一時的に開けさせたのだろう。フェリドは再度馬を急きたて、小石を撒き散らして城下の道を走った。
疾風のように駆けていく。風景が光の列になって、肉薄したそばから後方へ飛び退っていった。
ふと気がつき、激しく地面を蹴り続ける馬の脚を見た。蹄の下を、萌え葉色の風が後ろから押し上げるように流れていた。風は舞い上がり、瑞々しい若葉の幻と共にフェリドの背中を押して消えていった。フェリドは肩越しに振り返り、すぐに視線を前に戻した。
リグドは左手を握り締めた。拳の上に浮き上がった紋章は光を顰め、蕾の綻ぶ季節に葉杖を揺らすに似た、風がリグドを包み、なだめるように頬を撫ぜて消えていった。皮膚を切り裂く木枯らしを、送ったはずである。左手を何度か結び開いた。
どこか荷を下ろしたように息を吐くと、リグドは王邸のほうへ踵を返す。
城下は宴もたけなわだった。浮かれた歌を歌う男たちに合わせ、女たちが楽しげに舞い踊る。
何人かが馬を駆る人物の影を見たが、誰もがすぐに、ひっきりなしに広場で繰り広げられる曲芸や運ばれる食べ物に興味を奪われた。
影はするすると街道を通り抜け、オベル主港の裏手に回った。頭から被っていた外套を引き下ろし、フェリドは馬を下りた。馬はフェリドのそばを離れ、甘えた鼻息を漏らしてかつかつと蹄を鳴らした。彼の主であるフェリドは首を振って、苦笑した。
「いっそ馬を交換するか」
擦り寄る馬に手を伸ばしたアルが、笑って首を傾げた。すぐ後ろに二対の馬を引いたガレオンが静かに控えている。約束どおり、実直な護衛は片時も主の側を離れていない。
「それでフェリド殿。如何するおつもりですか」
ガレオンが渋顔のままいった。特に不機嫌というわけではなく、元来そういう顔つきなのだろう。昨夜が希有なことだったのだ。声には刺もなく、穏やかなものだった。アルがいくらかの憂いを込めた瞳でフェリドを見つめた。
「俺はこの国を出る。でも、すまん。一緒には行けない」
アルが視線を落とし、ふっと息を吐いた。なにも言わない主に代わり、ガレオンが食い下がる。
作品名:闘神は水影をたどる<完> 作家名:めっこ