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8月

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10.祭囃子よ、どうかあの人を隠さないで




電車の中は連れ立った友達同士であろう女の子や男の子、そしてカップルの姿がやけに目立った。
今って夏休みだよなぁ、と電車に揺られながらレイヴンは思い、混んでいる車内の中、次の停車駅を機械音声がアナウンスしたのを聞いて、窓際に立っておいてよかったと息をついた。
夕日に染まり徐々に暮れはじめ、流れるように走る車窓から見える街並みを眺めてから、レイヴンは今日が夏祭りのイベントがあることを思い出した。
カロルが一緒に行こうと言ってたっけなぁ、と思い出しながらうなじを掻く。こんな早くに帰ったらいろんなところに連れ回される気がする。というか友達はどうしたんだ、と言いたくなったがハリーからドン関係のことだから余計なことは言わないでくれ、と釘を刺された。
あの家の内情も中々ややこしいな、とレイヴンは仕方なしに生返事を返したが、あれはもう決定したことなんだろうか、と今更に不安になってレイヴンは少しだけ項垂れた。

電車が緩やかに停車し、扉が開く。
人の流れに沿ってレイヴンも歩みを早くしたり遅くしたりして改札口を抜ける。しかし思いの外、人の流れが遅い。
祭りの影響か、と思いながら歩いていると見知った黒が人の流れの中にいてレイヴンは思わず眼を見張った。なんでここに、と呟いてから今に転びそうなほどの人混みの中に飛び込んで、黒に近づいた。やっぱり知っている顔とパートナーを守るように隣にいた犬を確認してから、名乗られてから一度も呼ばなかった名前で呼びかけた。

「ユーリ」
「・・・え。おっさん?」
「そう、おっさんです」

突然の声に戸惑ったように瞳を揺らしたユーリに笑いかけてから、ユーリの手を取って、こっち、と引く。ユーリは引かれるのを拒絶せずにラピードを呼びかけて、一緒に歩き出した。
窮屈というほどでもないけれど、ところどころ人とぶつかりそうになる度にレイヴンがユーリの身体を庇って進む。そうして抜けた人混みから、少し離れた歩道に二人と一匹で身を寄せた。
レイヴンはユーリと握っていた手を解いて、いやぁすごいな、と大きなため息を吐いて、ごたついている人混みを見た。それにユーリは理解していないかのように視線をさ迷わさせ、とりあえず声がたくさんする方へと顔を向けた。

「なんかあんの?」
「んー、夏祭りだってさ」
「へえ」
「もう始まってるんじゃない? 今からこんな調子だと、夜はすごいだろうな」

レイヴンは感嘆の声を出しながら、一方的に流れていく人の波を見送る。
そして所在無さ気に立ちすくんでいたユーリを横目で見て、ラピードへと視線を下ろした。ラピードは身体を震わせてから、賢く座りレイヴンを仰ぎ見る。何か喋れといわれている気がして、レイヴンはユーリの顔をのぞきこんだ。

「青年は今から帰るところ?」
「・・・ああ。おっさんは?」
「青年と一緒よ。しかしこんなところで遇うなんてびっくらだわ」
「ほっとけって、言っただろ」
「言われたかもね。でも、うん、とは言わなかったでしょ」

ユーリは諦めたようにため息を吐いて肩をすくめた。
レイヴンはその様子に満足しながら、次々と流れてくる人の波に、これはちょっと待った方がいいかもな、と漏らす。
改札口が同じ場所に設置されているのでいつまで経っても流れが落ち着くことがない。普通の人間でも潜り抜けるのが大変そうな混雑した様子の中、眼が見えないユーリを送り出すことなどレイヴンにはできなかった。

「別に気にすることないぜ?」
「いやいや、あんな人混みにお前さんを放り込むなんてすごく心が痛いわ」

その言葉にユーリはレイヴンをじと目で見やり、レイヴンが苦笑する。だけどすぐにユーリはラピードが居る方へと視線を向けて、ラピードへと腕をそろそろと伸ばした。ラピードは自ら撫でられるようにとその手の方へと頭を差し出す。

「まぁラピードが嫌がるから、少し様子見るか」

ユーリはラピードの頭を撫でて、少し口元を緩ませる。
そんな顔も出来るのか、とレイヴンはそれをなにとはなしに見ながら、手に持っていた鞄を持ち直した。今日も持って帰りたくなかった書類が詰まっているそれが、やけに軽く感じるのは思いもよらなかった人間に遇ったからだろうかと思考する。

「おっさん」
「おりょ、なに?」
「今何時だ?」
「んー、もうすぐ5時半」

じゃああと30分くらい様子見るか、とラピードに語りかけたユーリは、次にレイヴンを振り返った。あんまりにもばっちりと眼が合うかのようにこちらを見るのでレイヴンは少し驚いて半歩下がった。

「じゃあ、達者でなおっさん」
「え、ちょ、何。別にどこにも旅立たないわよ」
「帰るんだろ?」
「そう、だけど」

レイヴンは腕にはめた時計とユーリを睨むように何度か視線を行き来させた後、よし、と声を出してユーリの空いているほうの手をまたやさしく握りこんだ。

「おっさんちょっとだけ暇だから祭り行くの付き合ってよ」
「はぁ!? なんでオレが、」
「いいじゃないのおたくも時間持て余してるんでしょ」
「いやもう帰るから放せ」
「なんか奢ってあげるから付き合いなさい」

強引な言い方だったけれど、ユーリはけしてレイヴンの手を振り払うことはせずに、渋々とゆっくりと歩き出した。ラピードもレイヴンの手に引かれるユーリの後をのそのそと歩き出して、レイヴンはその様子に口元を緩ませた。
ユーリの歩調に合わせて隣を歩き出すと、人混みは歩かないぞ、とユーリが言うので、じゃあ少し離れたところでいいから、と返した。そしてにっこりと人のいい笑みを浮かべるレイヴンが気配で分かったのか、ユーリは柔らかな苦笑を見せた。


作品名:8月 作家名:水乃