8月
13.蒼いサカナは大海に溺れて
梅雨に降りきらなかった雨が今になって降り出したと思わせるほど、最近雨の日が続くな、とユーリは右手に持っていた傘を持ち直した。
ひたひたとアスファルトに打ちつける雨の勢いはひどく優しくて、それでも肌を触れる外気は生温い。湿気たような空気に、さらに肌がべたつくように感じてユーリは小さく舌を打つ。
しかしそれ以上に水が嫌いなラピードが雨にはとりあえず我慢してくれていることが、救いといったら救いなのかもしれない。
そんなことを考えていると、アパートに辿りついたを知らせるかのようにラピードがふいに止まった。
セキュリティ解除の為に設置されているパネルへと腕を伸ばし、いつものように慣れた手つきでセキュリティ解除をしようとしたユーリはふと人の気配に気づいて、首をそちらに向けた。
視線を感じる。
隣にいるラピードも顔を向けたけれど、ただ見ているだけで、それにユーリは害はないのかと判断して無視を決め込もうとした。
けれど、
「ああああ、あのっ」
「……。なに、オレか?」
「そ、そう。です」
たたっと駆け寄る音がして、ユーリはまたその方向を見た。
思いの外、聞こえてくる声が下の方からだったので見下ろすようなかたちで、ユーリは首を少し傾げた。子どもだろうか、声が幼いように感じた。
ユーリは雨の中、それに時刻は夜の7時を回っているだろうに、なぜこんなところに子どもがいるのか疑問に思いながら、どうした、と訊ねた。
「あの、えっと。ここって、どこ、ですか?」
「……迷子か?」
「えっ、ちが、うっていいたいけど、たぶん、そう、です」
声が下に落ち込むようにしぼんだので、ユーリは小さなため息を吐いてから、相手と目線が合うように腰を低くした。見えるわけでもないのにやってのける自分に疑問を感じるわけでもない。
子どもは話しかけた人間が自分の目線に合わせてきたことに驚いて、すこし眼を見張った。
黒い瞳と眼が合って、子どもはそこで見かけたときから感じていた違和感を確信した。
最近、家族との話題になった当事者だ、と小さく息を呑んだ。
「どこに行きたいんだ……って、家に帰りたいんだよな、この場合」
「ええと、それもそうなんだけど、この辺りに住んでると思う、ジュディスっていう人、探してるんだ」
「ジュディ、ス?」
ユーリは聞き覚えのある名前に、すぐにいつも聞いている彼女の声を思い出した。
確かにユーリの知っているジュディスはこの近くに住んでいるが、地区的にはまったく反対だ。
このあたりは似たような名前の地区が多いために、迷ってしまったのだろう、とユーリは考えて、ちょっと待ってろ、と携帯電話を取り出した。