8月
「カロルが私に会いに?」
「そうよ。地図持って、昼に行ってから帰ってきてないの。携帯に電話したら、」
このとおり、とリタが自分の携帯を右に、そして色違いの携帯が左に現れた。
バカっぽい、と盛大なため息をこぼしてリタは自分の携帯を揺らして、近くのソファに放り投げた。しゃらんと金属のストラップが音を立てながら、ぽすん、とソファに跳ねて落ち着いた。
ハリーがリタに苦笑しながら、とりあえずドンに連絡はしたんだけど、と言うと、リタがソファに深々と座って新聞を読む人物を嫌そうに指差した。
「こいつ寄越すのよ! もう、ほんっと使えないわ」
「ひどい言われようでおっさんは傷心気味ですよー」
「だったら働きなさいよ! カロルになんかあったらアンタのせいだからねっ!」
腕を組んで怒りのボルテージが上がりっぱなしのリタに、ジュディスは両肩に手を置いて少し落ち着いて、と柔らかく告げた。
ソファに座っているレイヴンは拗ねたようにぶつぶつと何かを呟きながら、紙面を眺めていた。緊迫感がまったくないのは、人柄のせいだろうかとジュディスは思いながら、ハリーへと首を傾げる。
「とりあえず私はすぐに戻ればいいのかしら?」
「だろう、な。でも家が見つからなかったらすぐに帰ってくるとは言ってた。……もしかしたら、」
「迷子かもね」
眉を寄せて困ったようなハリーにリタが不機嫌を露にしたまま、言葉を引き継いだ。
自分で言った言葉にリタは更にため息をこぼした。右足が忙しなく床を叩いているのが見えて、ジュディスはリタがカロルをとても心配しているのがよく分かったけれど、とにかくどうにかしなければ、と口を開いた。
「じゃあ急いで帰るわ」
「え、ああ」
「あたしも行く」
「お前が行ってもどうにもならないだろ」
「でもここでじっと待ってるより全然マシだわ。おっさんなんかよりずっと役に立つと思うけど?」
「リタっちー、おっさんだって役に立つわよ。たぶん」
「どこまで人をおちょくった様な態度する、」
のよ、というリタの声はジュディスの携帯の着信音によって掻き消された。
リタの振り上げられた手から逃れる為に即座に移動したレイヴンと眼が合って、ジュディスはとりあえず発信元を見て、眉を顰めた。
ユーリだった。
「もしもし」
『あ、ジュディ? オレ』
「ええ、なにかあった?」
ジュディスは話しながらレイヴンのほうを見て、同じようにこちらを見ていたレイヴンと眼が合ったまま耳によく通るユーリの声に意識を向ける。
雨が降る音が聞こえて、外にいるのかと思考した。
『オレになにかあったわけじゃねーんだけど、えっと、子ども……そういえば名前なんていうんだ?』
急に声が少し離れて、ジュディスは首を微かに傾げた。すると眼が合ったままのレイヴンも同じように首を傾げた。
横から機嫌の悪いリタが、なにやってんのおっさん、と突っ込むのが聞こえる。それと同時に微かに受話器が聞き覚えのある声をユーリの向こう側から拾った。
『カロルって知ってるか?』
「ええ、知ってるわ。カロルがそこに居るの?」
ユーリの口から出た思わぬ名前を確認するように口にすると、リタとハリーが顔を上げたのが見えた。相変わらずレイヴンはジュディスを見たままで表情は変わらない。
『ん、なんかジュディの家に行こうとして、迷子になってた』
「そう、良かった。心配してたところなの」
『駅に送った方が良いか?』
「いえ、今から私が行くから、ちょっと預かっておいて貰えるかしら?」
『構わねーよ。そう伝えとくっていうか、もう聞こえてるみてぇだけど』
「ありがとう、ユーリ。少し待ってて」
『了解』
ずっと眼が合っていたレイヴンの眉が少し上がったのが見えて、ジュディスは通話を切った。
ユーリ、とレイヴンは声も出さずに唇だけでその名前を象る。ジュディスはそれに何かを感じながら、携帯をしまった。
「カロル、見つかったの!?」
「友達が見つけてくれたみたい。迎えに行くわ」
「よく見つかったな」
「カロルだもの、それなりの努力はする子よ」
しかし声をかけた人間がまさかユーリとは。
ジュディスは世の中は狭いなと思ったけれど、今はそれに感謝すべきだろうと持ってきた荷物を探した。
リタとハリーは安堵の息をついて、椅子やソファに座り込んだ。少しだけ強張っていた表情も自然とゆるむ。ジュディスはそれに小さく笑みをこぼしながら支度をし、扉に手をかけた。行ってくるわ、と言うと、今までずっと黙っていたレイヴンがどこから取り出したのか、車の鍵を手のひらで遊ばせながら、ジュディスに向かって笑顔を向けた。
「ここで役に立たないとドンにどやされるからさ」
子どもの頃から感じていたことだけど、心の中がまるで見えない人だな、とジュディスは思い、だけどそれとは裏腹に、お願いできるかしら、と口元に笑みを浮かべた。