神に誓って愛します
田島君はやっぱりお節介だ。そう思いながら私はまた地面へと視線を向ける。先程見た泉の携帯からぶら下がるとんぼ玉が目の奥から離れない。あの時田島君と会話した事や、ストラップを置いたあの時の想いなどがよみがえり、色々な感情が混ざって目頭が熱くなった。このままじゃ涙がこぼれてしまう、そう感じて思わず目を瞑る。下を向いていると目を閉じてても涙があふれそうなので空を仰ぎゆっくりと瞼を持ち上げた。ああ、星が少し滲んで見える。雰囲気で泉がこちらを見ているのがわかるけど、今泉を見るときっとこの堪えている涙が零れ落ちてしまうだろう。
じっと空を見上げる。星は先ほどと同じように静かに瞬いていて、冷たい風が泣きそうになっている自分には気持ちいい。深く息を吸い込んで細く細くゆっくりと吐き出した。涙は少し引っ込んだようで、私はゆるやかに泉のほうへと向きなおる。泉の瞳を真っ直ぐと見つめ、両方の唇の端を持ち上げて微笑むと、今までいえなかった言葉を告げた。
「お誕生日、おめでと」
「……おー、サンキュ」
ちょっと驚いたような泉の顔。遅くなってゴメンね、とは言わずに私は急いで立ち上がると浮かべた笑みを保ったまま、ベンチへと座る泉を見下ろす。泉は眉間に眉を寄せていてすごく不機嫌そうで、小さくゴメンねと呟いた。
「内緒で出てきたからそろそろ帰るね、また明日」
「おい、遠野」
「来てくれてありがと。おやすみ」
「遠野!」
強く名前を呼ばれたが、私は泉に背を向けると全力で走りだす。舌打ちする音が聞こえたが、がむしゃらに家へと向かって駆けていく。
「いい加減にしろよっ!」
数メートル進んだところ、泉の怒声と共に腕を掴まれた。力強く引っ張られて駆けていた足はいやおうなく止められる。掴まれた腕を引っ張られ強引に振り向かされるも、私は足を踏ん張って泉との距離をとった。泉の厳しい眼差しにいつもならきっとたじろんでいた所だろうが、今はそれよりも怒りにちかい感情が勝っていて、泉を睨みつけるかのように見つめる。
なんで、なんで引き止めるの!あのまま家に帰してくれればうまく取り繕えたはずなのに!なんで追っかけてくるの!なんで私の腕を掴んで、なんで、なんで私を…!
「逃げんなっつってんだろ…」
「…っさい」
「あ?」
「…うるさい、うるさい、うるさいっ!」
あふれ出す怒りに目がチカチカする。自分の中の感情を全て飲み込んでしまうような激情に動かされ、泉に向かって声高に叫んだ。
「わかってるわよっ!逃げても仕方ないってっ。仕方ないじゃない、私、これしか方法わからないもんっ。…なんで、なんで追っかけるのよ!ずっとほったらかしだったじゃない、別にかわらないじゃない、少ししたらっ…明日になったらっ……いつもみたいに、笑って、話しができたかもしれないのにっ!なんでっ、なんでっ…、今日、は…ぐじゅっ、ずっ…ほっとかない、の、よ…っ」
雫が両目から溢れ、とめどもなく零れ落ちる。鼻がぐずぐずいって最後のほうはきっと何を言っているかわかり辛かっただろう。睨むように見つめていた泉の顔だったが、次第に頭が垂れ地面をきつく睨みつけていた。
「……遠野」
ふと泉の気配が近づいた。やんわりと私の頭に手が置かれる。掴まれた腕はそのままなので、空いた手だろう。指先で撫でるように髪を梳かれても顔を上げることはできなかった。衝動に流されるまま吐き出してしまった感情に、私はもうただただ俯いて泣くことしかできず、泉は私が落ち着くまでずっと私の頭を撫で続けた。
しばらくしてどうにか止まった涙の雫を、コートをまさぐって出てきたハンカチで拭う。わき目もふらず泣いたせいか鼻がまだぐずぐずといっていて、それもハンカチで拭い取る。流石に鼻を垂らすのは女の子としてダメだよね、なんて頭の隅っこで考えれるということはだいぶ落ち着いてきた証拠なのだろう。ベンチへ座ろうと誘導されて、またあの自販機の近くのベンチまで来るとようやく掴まれていた手を放された。このまま走り去ることも可能だな、などとちらりと思うもおとなしくベンチへと腰掛ける。横目で泉の様子を見てみると、泉は自販機へと近づくとポケットをまさぐりお金を入れてジュースを買っていた。私は鼻を啜ってからもう一度目じりの端に浮かんだ雫をハンカチで拭うと、戻ってきた泉へと視線を向ける。泉は隣に深く腰掛けると買ったジュースのペットボトルを開けてこちらへと差し出した。
「ほいよ」
「……ありがと」
そのまま受け取って一口喉を潤した。口の中でシュワッと炭酸がはじけ、次いで甘味が口の中に広がる。炭酸を飲むのをやめる前、一番好きだった味。泉へとボトルを返すとそのまま泉は口元へと持っていき、ゴクゴクと喉を鳴らして飲み始めた。だいぶ濡れたハンカチをたたみ直すと、私はぽつりと言葉をつむぐ。
「それ」
「…ん?」
「泉、前からよく好んで飲んでるよね」
「そっか?」
飲むのをやめてペットボトルへと視線を向ける泉に頷いてみせると、泉は片方の唇の端だけを持ち上げて言葉を続けた。
「遠野がよく飲んでた記憶はあるけど?」
その言葉に瞠目すると、私は苦笑交じりの笑みを向けて切り返す。
「そうだね。……泉が好きだったからよく飲んでた、かな」
泉は目を細めてこちらを真っ直ぐに見ると、ゆったりとした動作でベンチの背もたれへともたれかかる。見つめられる視線と急に訪れた沈黙でどうしようかと思い始めたときだった。
「…今は?」
問いかけられた内容、話の流れからは飲み物に関してなんだろうけれど。泉の口から漏れた言葉は何か含まれたような雰囲気で、私は泉から視線をずらして彼の持つペットボトルへと移動させた。夜中とはいえ、街灯の明かりのお陰で容器の中で炭酸がシュワシュワと泡を立てるのがわかる。
はー、と声を立てて嘆息を一つ吐き出すと、ベンチの背もたれへと背を預け泉へと視線を戻して笑った。
「最近は飲んでないけど、好きだよ」
「…ふーん」
「聞いといてつれない反応だなあ」
おどけたようにそういうと、泉は探るような視線をこちらに向ける。今更取り繕っても仕方が無いから開き直った、という私の態度にどうやら戸惑っているのだろうか。大声を出して、泉の前で、あんなに取り乱したのだ。ほんと今更何を飾っても仕方ない。
ハンカチをポケットにしまうと、上体をベンチの背から起こし少しだけ泉に向き直る。居住まいを正した私に泉は仏頂面で、私はついつい視線を逸らしプッと噴出してしまった。舌打ちをした泉にゴメンと謝ってから、改めて泉を見やる。
「ね、泉」
「…何?」
「私さ、なんかここ最近ずっとね」
「おー」
「疲れてたの。泉に」
押し黙った泉に、ゴメンねともう一度謝ってから空を仰いだ。夜空には先ほどとかわらない星ぼしが煌いていて、私は少し安心する。
「泉の事は前よりもずっと好きなんだけど、なんかね」
「……、…」
「色々とさ、考えちゃって。泉のさ、負担になりたくないんだよね…私」
空に向けていた視線を泉へと向けた。泉はどこか辛そうな表情で私を見ていて、そんな表情をさせている状況に苦笑いする。心の中でもう一度ゴメンねと呟いて、またベンチの背もたれへと体を凭れかけた。