神に誓って愛します
練習の途中だろうし、引き止めるのは悪いと思って頑張ってねと切り出そうとした矢先に投げられた問い。まじまじと田島君を見つめ、問われた内容を反芻する。田島君もこちらを真っ直ぐに見つめていて、なんでこんな所で田島君と見詰め合ってるんだろうなんてぼんやりと思った。ああ、答えないと。
「ん、いけないんだ。ゴメンね」
ぺコンと軽く頭を下げて言うと、田島君はまだ真っ直ぐにこちらを見つめたままで。なんだろうと思って、田島君?と名前を呼びかけた。
「いかねーの?」
再び問われた言葉は真剣さが含まれていて、私は訝しげに田島君を仰ぎ見る。強い視線は私を真っ直ぐ見つめて、逸らされない。
「いけないの」
刺さるような視線になんだか息苦しさを感じながら、先ほどと同じ言葉をつむぐ。
なんだかわからないけれど、田島君の言葉は私を責めているかのようで。寒かったはずの私はじんわりと背中に汗をかいた。ドクドクと脈が速くなり、浅く呼吸を繰り返す。毛穴という毛穴から汗が吹き出るような感覚に飲み込まれ、意識がどこかに遠のきそうだ。
「行きたくねーの?」
「…っ」
そんな私を他所に、さっきより少しだけ落とした声音で呟かれた問いに息を呑む。どう頑張っても顔が歪んで、きっと田島君は気づいただろう。それでも、言ってはいけない言葉だと思って。乾いた唇をそっとなめて湿らし、もう一度同じ言葉をつむぐ。
「いけない、んだよ。――たじま、くん」
本当に、いけないんだ。
考えれば、考えるほど、何かにとらわれるように動けなくなる。
自分に言い聞かせた言葉も、すべて報われずに。
泉に会うのがこわい。
こんなにも泉が好きなのに。
もう、私の事なんて嫌いになったんじゃって。
なんとも思ってなんていないんじゃないかって。
飽きたんじゃないかって。
泉が生まれた日に、お祝いする資格なんてないんじゃないかって。
「いけないの」
だんだんと頭が下がる。
向かいに映っていた田島君の顔はもう見えず、野球部特有の黒い靴下とスパイク、そして葉の散った道が私の視界を占めていた。風が私と田島君の間を通り抜け、道に積もった木の葉を運ぶ。辺りにはチュンチュンという鳥の鳴き声が満ち、用水路を流れる水のせせらぎが耳に響いた。
長い沈黙だと思った。
そして、どうしようとも思った。
田島君とは同じクラスメイトだし泉と同じ部活だから、必然的に話をすることは多くそれなりには仲がいいほうだとは思う。だからといって、こんな事になるなんて、という葛藤がおこって困惑する。流せばよかったんだ、あの時の田島君の雰囲気に飲まれてしまったからこんな事になってる。ずっと心の奥へ追いやってた気持ちが、一瞬で堰が壊れて流れ出た。
イケナイ。
泉にも、田島君にも迷惑は掛けたくない。
その思いが強く心を打って私は頭を持ち上げた。こちらを真っ直ぐ見ていた田島君は眉を寄せて睨むような眼差しをしていて、芽生えた気持ちがすぐさま挫けそうになる。気を抜けば圧倒される雰囲気に自分を奮い立たせると、口元を緩めて笑みをつくり言った。
「練習頑張ってね」
「遠野」
「ほら、早く行かないと怒られるよ」
「遠野!」
何度も名を呼ばれたが、私は気にせず背を向ける。田島君は慌てて私へと近づくと私の利き腕を掴んでぐいっと引っ張った。反動で歩いていた足が止まり、必然的に田島君に向かって振り返る。真っ直ぐと見つめてくる瞳に私はもう一度笑みを見せると、「痛いよ、田島君」と言った。そんな私に田島君が何か言いかけようと口を開いた時、グラウンドのほうから大声で田島君を呼ぶ声があがる。
ばっと振り返る田島君の肩越しに見えたのは、たまに9組へと来る野球部のキャプテンで、何してんだ田島ァ!さぼんじゃねえ!なんて怒声とともにこちらへと近づいてくる姿だった。走り寄る花井君に少し向きなおる田島君。しかし私の腕を掴んだ手はゆるめてくれず、逃げ出したいこの場所から動くこともできない。力強い指が食い込んだ腕はきっと少し跡になるんだろうな。一つ息を吐き出すと、すぐ側まできた花井君を見上げる。
彼は驚いたように私を見ると田島君を見て、そして掴まれている腕を見る。さっきまで怒声を上げていたような勢いはなく、どこか慎重な声音でどうした?と私たちに向かって問いかけてきた。
「明日の泉の誕生日なのに私が都合が合わなくていけないんだよね」
田島君が口を開く前に、私はとっさに言葉を挟む。少し驚いたような表情が花井君の顔に浮かんだのでやや大げさに肩を竦めて見せる。そして田島君に向かってもう一度、腕痛いよって言ってみたけど彼は一口では言い表せない、赤ん坊がむずがっているような表情でこちらを見つめるだけで手を離してはくれなかった。そのやりとりを聞いた花井君が田島、と短く田島君の名を呼ぶと彼はホント、しぶしぶといった様子で掴んでいた私の腕を開放してくれる。ああ、痛かった。掴まれていた所をさすると花井君は大丈夫か?なんて優しい言葉をかけてくれて、私は頑丈だから大丈夫だよといって笑う。
「それじゃ二人とも練習がんばってね」
「おう」
私が告げた別れの言葉に花井君は応えてくれたけれど、田島君はムッツリと黙ったままでこちらを見ている。私は田島君を真っ直ぐ見つめて笑みを投げかけた。
「心配してくれてありがと」
花井君が来てくてくれた事により極限まで張り詰めていた気は少し余裕を取り戻せ、田島君が向けてくれた意図に礼を言う。でも、これが今の私の精一杯。手を振って二人にバイバイと言うと背を向けて、走り出した。
「遠野ーーー!」
10秒も立たず、田島君の大声が並木道にこだまする。振り返るとびっくりしたような花井君と口の横に手を当てて少し前かがみな姿勢で怒鳴る田島君の姿が見えた。何ー!と私も声を返せばすぐさま田島君が先ほどと同じような大声で。
「明日これそうだったらメールな!」
思わず息を呑む。泉の周りはおせっかいな友達が多いんだから。私は泣きそうになるのを堪え笑うと右腕を振り上げて手を振った。
全力で走るなんていつ振りなんだろう。体育でも確かに走るけど、こんなに必死で駆けたのは本当に久しぶりだった。流れる景色はにじんで見えて、左手に持った鞄がぶんぶんと風を切る。駅の方に続く並木道の下、鳥のさえずりをBGMに走っていた。並木道をずっと進んでいくと最寄り駅より向こうの駅についてしまうので途中で住宅街へと道をシフトチェンジする。
住宅地の入ってすぐ、あがる息と噴出す汗に速度を緩めて鞄を持っていない手で額から流れる汗を拭った。荒くなった呼吸を整えながら、先ほどの田島君とのやりとりを思い出す。
いきたくねーの?
そう、――行きたくないんだ、きっと。泉の誕生日を祝う資格がないから。
泉が私を後回しにするたびに、私の心の奥底から嫌なものが這い上がってきて。チクリ、チクリと私の心に痛みを与え、考えたくないことまで考えてしまう。私がそう望んだからといって、私の心を誤魔化してはみるけど、私の浅ましい貪欲な心が泉を欲してやまないんだ。それを誤魔化して蓋をして遠ざけて、見ないふりをしてきたのに。