宵待奇譚
九
ぴちゃんという音とともに、池に小さな波が立つ。波はゆるゆると広がって、水面に映った月が壊れる。砕けた光が飛び散るように、水草の間を蛍が飛び交う。
波を立てた張本人は、飛んできた蛍の一匹を掌に泊まらせて、なにやら楽しげである。
「雷蔵、お前は本当にそうやって他の生き物を見るのが好きだな」
「だって面白いよ。三郎も見ればいいのに」
「私は興味ない」
「こんなにきれいなのに、もったいない」
そう言って雷蔵はふうっと掌に息を吹きかける。小さな光がふわりとその手から飛び立つ。
「そんなことを言ってふらふら飛びまわっていると、いつか人間に足元を掬われるぞ」
「どうして?」
「人間は雨と晴れを意のままにする力が欲しくて欲しくてしょうがないのさ。私たちが持っている力がね」
「ふうん。そんなに雨が好きなのかな。それとも晴れかな」
「どっちもだろう。だから、生き物を見るのが面白いからと言ってふらふらと人間を見に行きでもしたら、きっと捕まってしまう」
「大丈夫だよ。人間にはあんまり興味ないんだ」
そう言って、雷蔵はまたぴしゃんと池に波紋をつくる。
「第一、僕だけを捕まえたところで、雨を降らせることしかできないよ。三郎じゃないと、晴れは呼べない」
「それはそうだけれど」
まだ少し不安そうな顔をして、三郎は雷蔵を見る。当の雷蔵は、どこか上の空で、何かを考えている風であった。
「ねえ三郎。どうして僕らはこんな力を持ったのかな」
「どうしてだろうな。毎日晴れと雨のことばかり考えていたからじゃないか」
「ふうん。じゃあ、どうしてあの女の人がやってきた日に死なずに、今も生きてるのかな」
「生きてるんじゃない。死ななくなっただけだ」
ふうん、ともう一度雷蔵は言って、池にいくつもの波紋をつくり続ける。
しばらくして、三郎の不安は現実になる。
人間でも妖でもない、不思議な気を放つ鐘に吸い寄せられ、雷蔵はとある寺に迷い込む。地面に降りた雷蔵の上に、黒い鐘が落ちる。ごおんと一つ、大きな音を立てて後、鐘は再び沈黙する。
どこぞの術者に知恵をつけられた人々の仕業であった。寺の隅に放置していたいわくつきの鐘を使えば、雨を操る妖怪の力が手に入るだろうと言われ、内密に罠を仕掛けた。確かに妖怪はかかった。けれど、その力は鐘の内部に封印され、人々の意のままにはならなかった。厄介な力を余計に吸い込んだだけの鐘を人々は持てあまし、再び封印した。誰もが知らないところで、妖怪の魂だけが人の形をとった。翌朝、寺の前で倒れている男を見ても、寺の奥で行われた出来事など知りもしない下女たちは、それが妖怪だとは思いもしなかった。