藤色の鬼
乱暴だが優しい従兄と、いつも神楽耶に穏やかに接する叔父。彼らの常とは違う姿に、神楽耶はどこか不安を感じた。けれどその不安を振り払うように首を振ると、早く彼らの前から離れようと桐原を促す。このまま二人の傍にいることが、神楽耶には何かいけないことのように思われたのだ。
◇◇
「はぁ……」
(何故、あのようなことを言ってしまったのじゃろうか)
あの【鬼】がブリタニアの皇族であったことには驚いたし、騙されていたことには腹が立った。だがあの鬼を見返してやるとこれからは【皇】らしく振舞おうと思っていたというのに、あれでは完全に礼を失している。ルルーシュやナナリーはあんなにも礼儀正しく挨拶をしたのだ。それなのに神楽耶がこんな風では、皇はこんなものかと呆れられてしまうに違いない。
遠くへは行かぬから一人にしてくれ。そう桐原に告げて森の近くで落ち込んでいた神楽耶は、視界の端を過ぎった人影に顔を上げた。
「あ……」
重そうな袋を手にして歩くルルーシュ。そういえば、さっき彼は買い物に行くといっていたからきっとその荷物なのだろう。
「……」
少し躊躇った後、神楽耶はそちらへと駆け出した。前を歩くルルーシュは彼女の存在には気付かない様子で、奥へと歩いていく。時折、疲れた様子で肩を上下させながら屋敷からどんどん離れていくルルーシュに、神楽耶は首を傾げた。
「あやつ、どこへ行くのじゃ」
枢木に滞在しているというのならば屋敷に戻る筈なのに、と。そういえば先程神楽耶に紹介されたときも二人は屋敷とは別の方向から来ていたのだと彼女は気付く。
「おい」
突然立ち止まったルルーシュが苛立ったような声を上げたとき、彼女はそれが自分に対するものだとはすぐに気付けなかった。
「……」
その声の冷たい響きに、神楽耶はびくりと震えた。そして何を言えばいいのか分からず言葉を探す。
「何の用だ」
黙ったままの神楽耶に、ルルーシュは振り向かないまま冷たい声で尋ねた。
「……嘘吐き」
しばらくして、神楽耶の口から出たのはそんな言葉だった。その言葉に、改めて騙されていたことへの怒りが起こる。先程までの【皇】らしく振舞おうという気持ちはすっかり消えてしまっていた。
「……何が」
「そなた、そなたは鬼ではないではないか!」
言われたルルーシュはわざとらしく溜息を吐く。
「僕は、自分が鬼だなんてひとことも言ってない。否定しないでいたら、お前が勝手にぺらぺら話して早合点してただけだろう」
その発言はもっともで、確かに『鬼か』と尋ねた神楽耶に対して、ルルーシュは否定も肯定もしなかった。そのことに気付いた神楽耶は文句を続けられずに頬を膨らませる。
「むぅ……」
「まあ、お前にとったら僕は鬼かもしれないぞ。嫌なら近付かないことだ」
謎掛けのような言葉に、またあの夕暮れと同じように神楽耶には価値がないと言われたような気がして彼女の胸が痛んだ。その痛みを振り払うように、彼女は声を荒げる。
「本当にそなたは意地悪じゃ! 第一、人と話すときは相手の顔を見るのが礼儀であろう。分かっておるのか!?」
「おいっ」
言いながら神楽耶は自分よりも上にあるルルーシュの肩へと手を伸ばし、無理やりに彼にこちらを向かせた。そして大きく目を見開く。
「そなた、その怪我はどうしたのじゃ」
はじめてしっかりと見たその姿に、神楽耶は驚きの声を上げた。先程紹介されたときにはなかった筈の、打撲の痕や細かい擦り傷。白い肌に浮かび上がった赤がとても痛々しい。
「……別に」
少し顔を顰めた後、ルルーシュは神楽耶を置いて歩き出す。その後を、神楽耶は慌てて追った。
「手当てをせねば」
つい傷の痛みを想像してしまい涙目になる神楽耶に、ルルーシュは何も答えない。
(こやつは……)
「妹に言うぞ」
ならば、とおそらくはルルーシュにはこれが効くのではと思って彼女が発した言葉に、彼はぴたりと動きを止める。
「あの娘。目が見えぬのならばそうそう気付かれぬのかもしれぬが、じゃからこそそなたが怪我をしていると聞けば不安がるじゃろうの」
してやったりと得意げに話す神楽耶に、ルルーシュは過敏な反応を見せる。
「ナナリーを不安がらせたり傷付けるようなことをすれば、お前を許さない。ナナリーには近付くな!」
本気で言っているのだと分かる、怒りに包まれた瞳。その言葉と態度に、彼が妹を本当に大切にしているのだと感じた神楽耶はまた訳の分からない苛立ちに襲われた。
「でも、手当てをせねばならぬであろう」
言い募る神楽耶に、ルルーシュはぼそりと呟く。
「消毒液の匂いは嫌いなんだ」
それはナナリーがいた治療室の匂いと同じだから。それに、そんな匂いがすればナナリーはすぐにルルーシュの怪我に気付いてしまうだろう。そしてひどく不安がる。
母の死以降、ナナリーはルルーシュが怪我をしたり病気になったりすることを極端に恐れている。彼が少し咳き込んだり、ちょっとの怪我をしただけで顔を青くして震えるのだ。それはきっと、目の前で消えていく母の命を感じていたからこその喪失の不安なのだろう。
そんなことは知らない神楽耶は、それでもそこに何か触れてはならないものがあると感じた。
「ならば、流水で傷口を洗うのとガーゼや包帯だけでも」
「そうだな、そうするよ。でもお前には関係ないだろう。もう付いてくるな」
冷たくあしらおうとするルルーシュに、神楽耶は必死で食い下がった。
「見てしまったのだから、気になるのは当然であろう。それに、そなたは嘘吐きじゃから本当に手当てをするのか信じられぬ」
屁理屈と言われても構わないと思いながら、彼女はそう言った。そんな神楽耶にまた溜息を吐いたルルーシュは、「好きにしろ」と背を向ける。そのことに、傍にいてもいいと許可を貰ったようで神楽耶は嬉しくなった。
「そうじゃな、神楽耶の好きにさせてもらうぞ」
どこか嬉しそうにそう言って、神楽耶はルルーシュの後に続いた。
しかし、しばらくしてルルーシュが足を止めた場所を見て彼女は首を傾げる。
「土蔵?」
屋敷から随分と離れた森の中、少し開けた場所にひっそりと立つ古い土蔵。土蔵といえば、確かスザクが以前に「秘密基地を作っている」と楽しそうに話していた場所ではないだろうか。そういえば最近、その秘密基地が使えなくなったから新しい場所を作っていると言っていた。前回のときに神楽耶が桐原やゲンブに秘密基地のことをばらした所為か、新しい基地の場所は教えてもらえなかったのだけれど。
「……」
疑問符を浮かべる神楽耶に何も言わず、ルルーシュはその扉に手を掛けた。その行為が、彼がこの土蔵に用があるのだと示している。
「ちょっと待て、何故土蔵に入るのじゃ。何か探しものか? それに手当てをせねば……あ、救急箱を探しておるのか。確かに包帯などが必要じゃしな。でも、救急箱ならちゃんと屋敷にあるぞ」
「……僕たちは、ここで暮らしてるんだよ」
当然の疑問を口に出した神楽耶に返ったのは思いもしない言葉だった。神楽耶はその答えに驚く。