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眩熱

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 肌を弄る舌先がちろちろと揺れ、唇ほどに温度のない戯れが掠め、咄嗟に知覚出来ず、惑った眼差しを向ければ、頬の辺りに深い皺を刻ませながら、べたりと舌触りを楽しむように皮膚の上を弄っていく。そして自分は柔らかく、唾液により程よく冷えた蠢きに、息を浅くし、じりじりと追い詰められていく。湿った鼻息が吹きかけられ、その上を掠める顎鬚のこそばゆさに身を捩り、喘ぐことで強請る。
 反芻に耐え切れず、エドワードはぎゅっと目を瞑った。なのに錯覚は消えず、瞼の闇にちらちらと先ほどの残影が浮かぶ。そして、その生々しい感触も甦る。
 エドワードは小さく喘いだ。その自身の声に、息が止まった。視界に無いというのに、肌を這う愛撫はじくじくとこの身を遅い、劣情に呼吸が速くなる。そして闇の中、聴覚は鋭敏に男が舌を鳴らす音が淫靡に響く。その生々しさに掻痒は熱を持ち、身体の奥の火種を刺激する。恐ろしいほどの焦燥が身を焦がし、エドワードは必死の思いで声を絞り出した。
「や…めろ!」
 強く叫ぶ。すると、ホーエンハイムが息を呑んだ。その気配に恐る恐る瞼を持ち上げると、エドワードもまた息を呑んだ。目を瞠り、男の手の中を凝視した。
「動かせるじゃないか」
 ホーエンハイムの柔らかな声に、エドワードは顔を上げた。
 そう、義手は指を閉じ、握りこぶしを作っていたのだ。先ほどまで指の一本、毛ほども動かせなかったというのに。
「良かった」
 和いだ表情で一人納得している父親の姿に、はっと我に返ってエドワードは奥歯を噛んだ。
「こ…の、くそじじぃ……!」
 嬉しそうに目を細める父親に、エドワードは担がれたことを悟った。唇を噛んで睨み付けても、自分の思惑が叶ったことを心底喜ぶ男には届かない。腹立ちと、こそばゆさに顔が熱くなり、エドワードは添えられた無骨な手を叩いた。
「乱暴だな」
 間延びした声音で、眉尻を下げる姿に先ほどまでの色を湛えた光はない。それに胸を撫で下ろしながら、エドワードは、どういう事かと問うた。
 男の行動に対して納得できる説明が無ければ、思いっきり殴ってやろうと胸中で誓うと、ホーエンハイムは顎鬚を撫でながら、空いた手でとん、と義手を叩いた。
「この義手が筋活動電位という生体信号を利用することは話したな」
 エドワードは頷いた。
「ああ。残っている筋が収縮時に発する微弱な電位を、電子工学的に処理する、だっけ?」
 尤も電子工学的という意味は判然としないが、エドワードは以前ホーエンハイムが説明した言葉を手繰り寄せた。
 憮然としながらも答えるエドワードに、ホーエンハイムはさらに皴を深くした。この世界の理を完全とまではいかないが、理解する姿勢を感じたのだろう。エドワードはその笑みにも落ち着かなさを覚え渋面を作った。
「そう。電位を拾うためには手関節背屈筋群と掌屈筋群の運動が一番適している。その曲げ伸ばしイメージをする時に、まさか『電位を発生させろ』なんて言葉で言っても無理だろう?」
 ホーエンハイムが手を実際に動かしながら説明する姿にエドワードは素直に頷いた。そもそも電位で動くということ自体がピンと来ない。
「そこで幻肢という現象を利用する。幻肢というのは無い腕を有るように感じることだ」
「無い腕を有るように……」
 だからこそホーエンハイムはあんな姑息で卑猥な方法を取ったのか。エドワードは抑揚無く繰り返した。少しばかり釈然としない。その感が伝わったのか、ホーエンハイムはさらに続けた。
「その点、お前は機械鎧を使っていたせいか問題は無いはずだ。今まで腕を動かしていたんだから。ただ…、お前はこの義手を『自分の腕』だと思い込めてないのが問題だ」
 エドワードは息を呑んで、真向かう男を見上げた。
「義手の操作はイメージが大事だ。無い腕を動かすこと。コレが自分の腕だと思うことが大切なんだ」
 ホーエンハイムは義手を見つめながら、静かな声を聞かせた。凪いだその顔に、エドワードは胸が痛んだ。大きな手でそっと樹脂の外郭を一撫でし、ホーエンハイムはゆっくりと視線を擡げた。
「不便なのは我慢してくれ。無いよりは…マシだろう?」
 エドワードの琥珀に自身を映しこんで、顔を歪ませる。許しを請うように言い募る声は不安が透けてみえた。
 エドワードは生身の手をぐっと握りこんだ。
 そんなつもりは無かった。
 機械鎧に比べて自由も制限され、何より意のままに動かせぬ義手を億劫だと感じていた。到底自分の手だと思えず、鼻白んだ。だがそれは紛れも無く、自分のために苦心した ホーエンハイムを軽んじる行為に他ならない。
 そんな自分が酷く恥ずかしく思い、父親の双眸に耐え切れず、そっと視線を外した。
「…ごめん」
 掻き消えそうな声しか出なかった。その不甲斐なさにも情けなく、エドワードは睫毛を震わせながら、そっとホーエンハイムを窺う。するとその細い視界に影が落ちた。え、と声を出す間も無く大きな手は頭を撫でる。手の動きに合わせて頭も傾ぐ。その勢いに思わずエドワードは怒鳴った。
「な…っ、てめぇ何すんだ!」
 ぐしゃぐしゃと豪快に、それは撫でるというより掻き乱す勢いで、エドワードは眉を吊り上げた。
「痛ぇんだよ!」
 ゴムで結わえているため、節ばった指が絡むと引っ掛かって痛かったりする。ホーエンハイムの手の甲に爪を立てると、男は慌てて手を引っ込める。すまん、と謝りながらも、甲の赤い蚯蚓腫れに少々恨めしそうな顔だ。
「てめぇが悪いんだろうが…」
 その顔に後ろめたさが勝ち、歯にものが挟まったような言い訳が口に吐く。自分の短気が恨めしく思えるが、この父親の前で素直になるのも難しい。母の事もあり、例え行き違いだとしてもその蟠りは払拭されたわけではない。何より自分の天邪鬼さが許さないのだ。
 そんなエドワードの葛藤を吹き飛ばすように、目の前の父親は呵呵と肩を揺らしだす。その様にエドワードは呆気に取られて声を失った。ぽかんと微かに口まで開けて目を見開く子供の様子に、笑いを何とか押し止めながら、ホーエンハイムは、すまないと喉を詰まらせる。
「お前が殊勝だとどうにも気味が悪くてなあ」
「…それは悪うござんした」
 憮然と口を曲げながらも、少し心が軽くなる。こういうとき、自分はこの父親に甘やかされていると実感する。
 愛情のほどを示されれば喜悦が湧くのは当然だ。忌み嫌っていたのだって大切な家族に裏切られたと感じたせいだ。それが思い違いで、さり気無い労りと愛しさを日々に感じれば、どんどん父への反発心は削がれていく。
 それが少し怖いとエドワードは思う。
 其れが無くなれば、自分はこの男に対するどんな感情が残るのか。
 胸がつきりと痛んだ。
作品名:眩熱 作家名:立花志郎