ハミングバード
3.
『長時間電車に乗って何処かへ行くのは初めてだな』
トン、とホームに降り立つと、遊戯は一つ思い切り伸びをして、そうだね、と心の中で返事を返した。
ずっと座りっぱなしでいたから、何だか身体が変なふうに固まってしまったようだ。皆も同じなのか、思い思いに身体を動かしている。
んー…、と。
電車に揺られる事、数時間。
辿り着いた海沿いの小さな町は、何処か懐かしい、ような気がした。
既に陽は高く、朝のうちはなりを潜めていたセミは、調子を取り戻したらしく激しく鳴いている。
駅に降りたのは遊戯達6人だけ。
各々、それなりに拓けた都会でしか暮らした事がない為、物珍しそうに辺りを見回していた。
辿り着いた駅は無人になって久しいのか、寂れたがらんとした駅舎にはベンチが一つ。
一応申し訳程度に自販機が置いてあるくらいで、それ以外、何か…昭和初期だの昔に戻ってしまったかのような。
そんなに極端に離れた所へ来たわけではないのに、空気すら違う気がして、大きく伸びをしながら遊戯は空に目をやった。
鳶だろうか、大きく翼を開いた鳥が、太陽の光の中で大きく輪を描くように飛んでいる。
そんな珍しい訳でもない光景にすら目を奪われた。
「――――取り合えず宿へ行こうか」
獏良が声をかけなかったら、皆しばらくそうしていたかもしれない。
辺りには誰1人、人影もない。
「・・・?」
うるさいぐらいに泣き続けるセミの大合唱の中でぼんやりと佇んでいると、それ以外、「今」から切り離されるような気がした。不意に時間から取り残されたような、何とも言えない感覚に襲われる。
「・・・ッ」
くらり、と世界が回ったような気がする。
思わず何か確かなものを求めて胸元に手をやると、常に共にある硬質な感触が指先に触れ、遊戯は気付かれないように、そっと安堵の息をついた。
「本当なら車で来たら3時間くらいで来れたらしいよ」
「じゃ、オレらが遠回りしたってとこか?」
「電車はこういう時不便だね」
「お祭り、やってるんだったっけ。荷物を置いたら見に行こうか?」
「どんな感じなんだろうね。町をあげてのお祭りなんて見るの初めてだよ」
「ボクも! 町内で盆踊りとかは見た事あるけど」
「オレもガキの頃よく行ったなぁ…」
紹介された民宿は、駅のある町の中心街からは離れた海を見下ろす丘の中腹にあった。
突然の飛び込み同然でやってきた昔馴染みの友人の子供たちを、女将さんたちは快く迎え入れてくれた。
海の見える角部屋の家族用の部屋に男子組と、そのとなりの和室に杏子。
「ごめんなさいね、押し込めてしまって。もう一部屋用意出来れば良かったんだけど」
「いえ、おかまいなく。何だか修学旅行みたいで楽しいです」
しきりと恐縮する女将たちをニッコリ笑って宥めるのは獏良と御伽だ。
ちなみにその効果は絶大だった。
もう一度、ごめんなさいね、と今度は別の人がほどよく冷えたスイカを持ってきてくれた。
便利だな、と妙な所に感心している皆を置いておいて、遊戯は隣室へ杏子を呼びに出掛けた。
・・・と、扉をノックする前に、何やら中で話している気配に一瞬どうしようか迷ったが、早く呼ばないと、きっと折角のスイカが城之内のお腹に消えてしまう。
「杏子ー?」
「ちょ、ちょっと待って、開けちゃ駄目よ!」
「あともう少しだからもうちょっと待っててねー」
・・・あれ?
焦ったような杏子のあとに、穏やかな声が重なった。つい先程聞いた覚えのある声だ。
もう一人の自分もそう思ったのか、僅かに首を傾げている。
『…女将さん、だったかな』
「そう、だよね? 何してるんだろう」
締め切られた扉の向こうでは、「きつくない?」「あ、大丈夫です」だの「直し方は…」だの、何事か話は続行している。
何となく手持ちぶさたで、部屋の前の壁に背を預けて、杏子を待った。・・・というかそろそろ戻らないとマズイかもしれない。ちょっと、杏子が何をしているかも気になるが、スイカの行方もかなり気になる。
「――――ごめんね、お待たせ」
一旦様子見に戻ったらどうだ? とのもう一人の自分の提案に丁度頷いていた時、杏子がひょこり、と顔を覗かせた。
「わ・・・!浴衣だぁ…!」
「女将さんが貸してくれたの。・・・どう、かな?」
少し遠慮がちに杏子は小首を傾げた。
最近の物らしい、大きな花柄のプリントされたその浴衣は、とてもよく似合っていた。
普段はどちらかというとスポーティな格好の多い杏子が和服。
…それだけでも、ちょっと何かドキドキした。
そんなドキドキはもう一人の遊戯には簡単に伝わる。ちょい、と肘で突いてくるもう一人の遊戯を少しばかり恨めしげに見上げながら、だけど促されるまま素直に言えた。
「すっごく、似合うよ、杏子」
『ああ…、何か良いな』
もう一人の遊戯も似合ってるって言ってるよと伝えると、杏子は目元に少し朱を昇らせて2人ともありがと、と短く返してくれた。
「本当は男の子たちの分も揃えてあげたかったんだけどね、男物はもっと大きいのしかないのよ。女の子たちには夏の間、貸し出しサービスやってるから。ちょっとは気分も盛り上がるでしょう?」
「すっごいお祭りっぽいです。本当にありがとうございます!」
ペコリと素直に頭を下げると、今時珍しい子たちね、と女将さんはコロコロと笑った。
「さあさ、スイカを食べたら夕方くらいに神社の方へ行ってごらん。海以外本当に何もない所だけど、夏の祭りだけは結構盛大にやっているのよ」
「スイカ、貰ったの?」
「うん。だから呼びに来たんだ」
『…もうそろそろ城之内くんの腹の中かもしれないが』
うん、きっと軽くヤバイ。
だが、そんな心配も杞憂に終わった。
ちゃんと残しておいてくれたスイカを、波の音を聞きながら縁側で分け合って食べて、教えて貰った神社への道のりを皆で歩いていた。
最初、杏子の変身ぷりに呆気にとられていた城之内だが、徐々に調子を取り戻したのか、照れ隠しか散々冷やかしては杏子に制裁を貰っている。そんないつもの軽い一騒ぎを笑いながら見ていたら、不意に本田がひょこ、と目の前にやってきて顔を覗き込んできた。
「・・・もう大丈夫そうだな」
「え、何が?」
「ちょっと駅に着いた頃、怠そうだったからな。軽い暑気あたりかって」
・・・そういえば、何か駅にいた時、くらっとしたような。
「…そう、だったのかな?」
「外出てなくてもちゃんと水気とっとけよ」
ぽんぽん、と軽く頭を叩いてくる手は酷くさり気なくて。
「・・・うん。ありがとう」
遊戯は何処かくすぐったいものを感じながらも、素直に頷いたのだった。