Leaving Footsteps
「……わかったよ、一枚噛んでることは認める。でもさ、俺って情報屋なわけじゃん。だから今回のことも別に好きでやってるわけじゃなくて、仕事の一環なんだよね」
腕組みをして言う。とりあえず、今日のところはなんとか穏便にお引き取り願いたい。修理代だけは後でちゃんと請求するけど。
「まぁ、シズちゃんのお知り合いの方々には善処するから。ね、俺がここまで喋ったんだからもう帰ってよ」
笑顔で軽く片手を振ってやり、帰れという無言のオーラを出しまくってやる。シズちゃんはまだ無表情のままで俺の顔から視線を逸らさない。
てか、こいつとこんなに近くで長い間喋ったのも久しぶりだな。3年分ぐらい喋ったよな、もういいよな、とりあえず帰れよ。
「臨也」
「もう、うるさ……」
「手前さ、いっそ情報屋とかわけわかんねぇ仕事やめたら?」
「……な……」
「人間が好きだとか高校んときから言ってたけどよぉ……何か手前見てると、利用される前に利用して、必死で自分の安全守ってるってか……まぁわかんねぇけど、どうでもいいんだけど」
呆然。
これには俺も思考が追いつかない。なんて自分勝手な意見なんだ。そもそも何がわけわかんないって、シズちゃんが片手で頭掻きながら、本当に困ったみたいな顔して言葉を探そうとしてんのが信じらんない。この単細胞が、しかもよりによって俺相手に。
どこまで予想外の行動をする奴なんだ。
ひょっとしてこれ、偽者か?偽平和島静雄か?……あり得る。
「うん、そうしろ。そうすりゃ今回の騒ぎも治まるんだし。街も確実に落ち着くし、世界も平和になる。な?」
シズちゃんは勝手に納得して、満足げに頷いている。いやいやいや。何か俺すごい崖っぷちな気分なんですけど。
「いや、シズちゃんの心配は有り難く受け取っとくけどね、俺は好きでこの仕事やってるわけだし、てか仕事無くなったら俺どうやって食ってくのさ」
「こんな高そうなマンション住んでんだから、貯金ぐらいいくらでもあんだろ」
「まぁあるけどさ」
何か情けなくなってきた。何でシズちゃんの意味不明な話に付き合ってんの、俺。もう死ねよ。でもここでキレられても困る。あー今すぐベッドに倒れ込んで眠ってしまいたい。明日は絶対昼まで寝てやる。
うな垂れてそう決意し、ため息を吐きつつ続ける。
「だいたい、そんな夜逃げみたいなことできないって。粟楠会とか、ヤバめの人達とも取り引きしてるわけだし。俺殺されちゃうって」
「あぁ、んなことなら……」
その言葉を聞きながら顔を上げる瞬間、何かを感じ取って危険信号が俺の頭の中で点滅した。でも、間に合わない。俺はもう一度彼と目を合わせてしまった。そして、思った。
ああ、やっぱ偽者じゃないわ、これ。
ニィッと口元を上げた、凶悪そうな笑み。今は血管も浮いてないし、標識も自動販売機も持ってないけど、他の誰よりもこの俺が一番見慣れた、あの。
「だって俺、池袋最強なんだろ?俺に誰が勝てるってんだよ」
――バカじゃないの。
つまり、友達を守るために俺に手を引けと。その代償として俺の安全は保障してくれると。
そこまでするの。高校時代から殺し合ってきた大嫌いな奴に譲歩してまで、大嫌いな暴力を使うことになるかもしれなくても、そんなにあいつらが大切なの?自分だけ大人にでもなったつもり?
大体甘すぎるよね、暴力だけで裏の世界とやり合えるわけないじゃん。シズちゃんといえども簡単に消されちゃうよ。
てか、ひょっとして俺もお友だちの輪に入れようとしてくれてたりするわけ。ハハッ、随分心が広くなったことで。ちょっと人間が寄ってくるようになったからって何様だよ。
脳内で様々な言葉が弾け、唐突に最後に池袋に行ったときのことが浮かんだ。止めようと思ったけど、駄目だった。
一ヶ月前、偶然通りかかった公園。黒バイクが視界に入って声をかけようと思った。
その黒バイクの隣には制服の少年がいて、メガネの少女がいて、バイクの反対側にはロシア人の女がいて、ドレッドヘアの男がいて。
その隣で、シズちゃんが笑ってた。
まるで、普通の人間みたいに。
俺が、見たことのない顔で。
だから。
だから、だから、だから。
傷付けてやりたかった。
シズちゃんの周りの人たちも否応なく巻き込んで。
シズちゃんが戻れる場所なんて失くしてしまって。
どうしようもないくらいに、傷付けたかった。
「臨也」
シズちゃんの声が聞こえる。声に戸惑いが含まれているのが嫌でもわかった。同時に、自分が凍りついた表情をしていることも。
駄目だ。早く言い返さないと、いつものポーカーフェイスで、余裕たっぷりに、シズちゃんの大嫌いな屁理屈を並べ立てて、
「おい、臨也、どうしたんだ」
呼ぶなよ、そんな声で呼ぶな、平和島静雄がそんな声で俺の名前を呼ぶな、
「おいって、いざ……」
いつの間にかうつむいていた視界に、シズちゃんの右手が差し出されるように現れ、それと同時にあの笑顔がもう一度浮かんで、一瞬で消えて、
そこで俺は、崩れた。
「触るなっ!」
袖口からナイフを取り出して、目の前の右手に切りつける。
ヒュッと風を切る音、血を流させるつもりだったのに、掠りもしなかった。数歩後ろへ飛び退く。
俺は荒くなる呼吸を抑えることもできず、驚いた顔をしたバーテン服の男に向かってナイフを突き付けた。
ナイフを持つ両手が小さく震えている。だけど、抑えられない。言葉も、感情も、止まらない。
「何様のつもりだよ!人間じゃないくせに……昔から化け物だったくせに、ずっと一人だったくせに、俺と同じ異分子だったくせに、ちょっと人間らしくなったからって、俺に同情!?そこまでして、あいつらを俺から遠ざけたいのかよ、ふざけんな!お前なんて、大嫌いだ、だいきら……」
脳内でストップをかける声は聞こえていた。でももう遅かった。
取り繕う余裕なんて無かった。今の自分は、きっと怒りと恐怖を剥き出しにした声と表情をしている。完全に素の自分。自分でも見たことが無い程の、素の。
違う。
違う、こんなのは折原臨也じゃない。
止めろ、こんなのは俺じゃないんだ。
「……じゃあ聞くけどよ、臨也」
目の前の男は既に驚きの表情を消していた。声をかけられ、体がブルリと震えた。悟られただろうか。分からない。
ただ、耳が彼の声を拾う。
「お前は今ここで、俺を殺せるのか?」
投げかけられた質問。答えはもちろん『 Yes 』。
当たり前じゃないか。何年殺し合いをしてきたと思っている。
なのに、声が出ない。どうしても、声が出ない。
ずっと殺し合いの喧嘩をしてきた。本当に、どっちがいつ死んでもおかしくないほどの喧嘩だ。
ずっとやってきた。今だってできる。むしろ、今は絶好のチャンスだ。
なのに、声が出ない。どうしても、体が動かない。
「……あ……」
「臨也、俺は」
瞬間、本能的な恐怖を感じ、背筋を悪寒が這い上った。
駄目だ。
それだけは、言っちゃ駄目だ。
これから起こるであろうことを察知して、体がさらに激しく震え始めた。
止めて欲しい。止めてくれと懇願したい。
駄目だよ、シズちゃん。
それを言ったら、何かが本当に、終わる。
俺の思いを裏切って、目の前の唇が動いた。
「―――俺は多分臨也を、殺せない」
作品名:Leaving Footsteps 作家名:あずき