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残酷な断罪

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「何でもありませんよ。それより早く傷を治して元気になってくださいよ。オレは牛鬼様にさっさと死なれるのは嫌なんですからね」
そう言って彼は障子を開けると馬頭丸を呼んだ。
「何だよ、牛頭」
「後は……任せたからな」
「牛頭?」
珍しい彼の一言に馬頭丸も目を丸くする。
「変だよ、牛頭……」
「牛頭丸!」
牛鬼は声を荒げた。
「お前、私に何か隠し事をしていないか?答えないか!牛頭丸!」
だがそれでも牛頭丸は首を振った。
「何も……それより、寒いから風呂で温まってきます。馬頭丸、夕飯はゲテモノ料理は勘弁だからな」
そう言うと、彼は障子を閉めて牛鬼達に背を向けた。





「怒鳴られた……」
牛鬼の待つ部屋に帰ってきた馬頭丸は開口一番、しょんぼりとそう答えた。
牛頭丸が本当に風呂に入ったか、心配になった牛鬼が彼に見に行かせた結果がこれだ。
その答えに牛鬼は安心しながらも、まだ一抹の不安を隠せないでいた。
(何故ここまで胸騒ぎがする?)
馬頭丸が怒鳴られたのだから、それはいつもの日常だ。
誰だって入浴の邪魔をされるのは、気分のいいものではない。
それに入浴を勧めたのは自分だ。
邪魔はすべきではない。
それでも不安は募るばかりであった。
とうとう牛鬼は立ち上がった。
牛頭丸も馬頭丸相手では怒鳴るだろうが、自分が相手では何も言うまい。
ちょうど馬頭丸は夕餉を作りに行っていない。
何より先程の様子では放って置く事が出来なかった。
「牛頭丸」
牛鬼は脱衣所に入ると、風呂場に向かって声をかけた。
だが返事はなかった。
「牛頭丸、いるんだったら返事をしろ!」
苛立ち気味に牛鬼は怒鳴る様に言うと、床に脱ぎ捨てられた彼の羽織袴を手に取って、それをすっと広げた。
そして気付く。

その中に長襦袢がない事に。

「開けるぞ!」
顔色を変えた牛鬼は慌てて風呂場の扉を開けた。
そして中の様子を見て、愕然とした。
そこに残された光景。
それは。
床に置かれた筆と硯と四枚の書状とそして……

湯の張られてない湯桶の中で真っ白な襦袢を血に染めて眠る、何にも代えがたい大事な大事な少年。

「牛頭丸!」牛鬼は叫んだ。
そして慌てて少年の身体を抱えあげる。
自分の傷が開くのを感じたが、そんな事は構っていられなかった。
何より彼の安否を確かめるのが先だった。
「……っ……」
小さく吐息が漏れる。
生きている事に安心はしたものの、自分の手に流れる鮮血は紛れもなくこの少年のものだった。
「どうしたの?牛鬼……さ……」
土間の方からパタパタと小さな足音が駆けてくる。
だが、その足音の主も風呂場の惨状を目にして一気に固まった。
「ご……ず……?」
「馬頭丸!」
牛鬼の激しい声に馬頭丸はビクッと立ちすくんだ。
「急いで本家へ行ってリクオ様とゼン殿にお越し頂く様に頼んできてくれ!頼む!馬頭丸!」
「う、うん!」
その言葉に馬頭丸は弾かれたように外へと駆け出した。





罪は罪。
裁かれる覚悟は出来ていた。
だが誰がこのような裁かれ方を予測し得ただろうか。
何よりも残酷な残酷な……

―――断罪。





脱力しきった力のない身体はかなり重かった。
成長とはうらはらに、意識のないその顔はまだかなりあどけなかった。
牛鬼は自分の部屋で腕から少年の身体を下ろすと、そっとその身にまとわりつく鮮やかな色の紅い花弁を舞い散らせた、元は真っ白だった布に手をかけ傷口を確認する。
切り裂かれているのは背中だった。
自分では不可能な場所。
(爪を切り裂かれたときに出来る傷……)
―――リクオ様か。
自分以外で彼にこのような傷を負わす事の出来る者はこの山にはいない。
そして何よりあの状況では牛頭丸か馬頭丸が彼の相手をしたという方が妥当だった。
彼は背中の爪の傷だけは、自分の意思で爪をしまう要領で隠すことが出来る。
傷口が膿んでいることからしても、彼は傷を負ってから消毒すらせずにそれを隠し、放置しておいたのだろう。
牛鬼の安否を知るまで。
そして無事を知っても尚、この状況では誰にも心配をかけたくなくて、深手を負っている事を言えずにいたのかもしれない。
そう。
何より大事な掌中の宝玉を無残にも砕いたのは……

他ならぬ自分。

流れ出る血は手元にある止血薬で塞き止める事は可能だった。
だがいくら自分でも、失われた血を彼の中へ戻すことは不可能な事なのだ。
実際、少年は湯桶の中でかなりの血を失っていた。
戦った時も相当な血が流れた筈である。
そう考えると、今彼が生きているのが不思議なくらいであった。
牛鬼は、血の気を失いひんやりとした少年の頬から手を外すと、彼が残した書状を広げてその眉を更に苦しげに歪ませた。
二通は総大将とリクオに宛てた、牛鬼の助命嘆願書だった。
その中には牛鬼の代わりに、若頭たる自らの命を差し出すことまでが記載されてあった。
一通は馬頭丸に宛てた細々とした訓戒の言葉。
そして、最後の一通は自分に宛てたものだった。
それにはこう書かれてあった。
『勝手な事をしてごめんなさい、牛鬼様。
自分には牛鬼様以外、主と仰げる方はいないんです。
それに、敗北の責任はリクオに負けて牛鬼様の元へアイツを通した自分にあるし、自分がこうなればきっと本家の連中も牛鬼様に手出しが出来ないと思ったから。
ごめんなさい。
生きてください、牛鬼様』
「牛頭丸……」
牛鬼は今更ながら、自らの犯したあまりの罪の恐ろしさに慄然とした。
いたたまれなかった。
あまりにも残酷な事態にいたたまれなかった。
自らの身ならいくら切り刻まれてもいい。
それだけの事をしたのだから、覚悟は出来ていた。
だが何故この少年なのか。
何故自分を咎めず、この少年を咎めるのか。
自らの罪だとしても、天を呪いたかった。
全てを呪いたかった。
身を斬られるより辛い痛みとはこのことなのか。
と、程なく朧車が庭先に到着する気配がした。
そしてバタバタとリクオ・馬頭丸・ゼンの三人が中へと入ってきた。
「ゼンくんを連れて来たよ!」
リクオの声と共にゼンが牛頭丸の枕元へと座り込んだ。
そしてうつぶせに横たえられた牛頭丸の傷を見ると難しい顔をした。
「やべぇな……傷が膿んで毒を放ってやがる……最善は尽くすが、覚悟はしといた方がいいぜ……」
リクオが呆然と呟いた。
「何でこんな事に……ボクが牛鬼を手当てした時に一緒に爪の傷見た時には、どこにも傷なんかなくて元気だったのに……」
「隠してたんだよ……牛頭はバカだから……」
馬頭丸が泣きそうな声で答える。
と。
微かに少年が吐息を漏らした。
そして瞳から涙をこぼすと、うわ言のように繰り返した。
「……ぎゅう……きさま……」
部屋の中が一瞬で沈黙する。
「しなないで……ぎゅうき……さま……しな……ないで……ぎゅう……きさま……」
ゼンが杯を差し出した。
そこには薬酒がなみなみと注がれていた。
「化膿止めと血を戻す効果のある薬酒だ。この状態じゃ自力で飲めないだろうから飲ませてやんな」
「すまぬ……」
牛鬼は薬酒を口に含んだ。
そして牛頭丸の身体を抱えると、その喉に薬酒を注ぎ込んだ。
苦しげな吐息が少年の口から漏れた。
「すまぬ……」
牛鬼は再び呟いた。
作品名:残酷な断罪 作家名:ひすいりん