デジキャラット・シンフォニー 3
豊田喜一郎は国産自動車の開発の傍ら、ヘリコプターや飛行機、ミシンも国産化しようと開発を続けていた。ミシンは後に実用化したが、飛行機がトヨタから飛び立つことはなかった。しかし研究は産業技術記念館において続けられた。
おりしも不安定な時代、道明はトヨタ飛行機の開発を急がせたが完成前に死去、夢は久弥へと引き継がれた。
研究員たちは当初この倉庫を「平田倉庫」と呼んでいたが、久弥が平田の名前を使うことに猛反対し、久弥が倉庫の正面に豊田喜一郎の写真を掲げて倉庫の名を「喜一郎倉庫」とした。だがこれが密かな開発の目くらましに役に立った。平田家が開発を急がせているといえば警戒されるが、豊田喜一郎の開発がそのまま継続しているといえばちょっとした美談になったからである。おかげで倉庫は休日には開放されて見学者の見学コースになったのである。だれもトヨタが極秘で飛行機の開発を進めているなど考えもしなかった。飛行機を見たところで模型か何かだとみんな信じて疑わずとても本気で飛行機を飛ばすとまで誰も考えなかった。だがトヨタは本気で飛行機を飛ばそうと考えていたのである。その結果10機の飛行機が完成した。
さらにでじこに与えられた車は「トヨダAA セントラル」だった。これは久弥さんの改造車だそうだが、どんな改造を施してあるかは研究員たちも分からないという。だが、でじこはこの車に乗ることにした。しかし元が古い車のためそんなにスピードは出ず、結局はでじこは王様と行動を共にすることとなった。
行く先々ででじこは王様と共に歓待された。愛知県内ではどこでも平田先生と久弥さんは半ば神格化された存在だったのである。
1週間後になって、でじこたちは蒲郡市までやってきた。ここは生前の久弥さんが持っていたヨットの係留基地としていたところであり、久弥さんのヨットもそのまま残っていた。
王様はでじこたちと共にみかん畑を視察した。蒲郡のみかんはその甘みで知られた味だったのである。
かつて平田先生がこの地でみかんをすすめられて食べたところこれが大変おいしいと喜んだため、平田家が毎年蒲郡のみかんを買い上げていたいきさつがある。
後に平田先生や久弥さんがこの国の繁栄を願い数百本のみかんの苗を蒲郡に植えた。今ではどの木も多くの実をつけ「平田みかん」として出荷されているのである。
作品名:デジキャラット・シンフォニー 3 作家名:細川智仁