デジキャラット・シンフォニー 4
Mintもキャトルレーヴはアキハバラに存在してはならないと考えていた。そのため開店場所を池袋にするよう強く働きかけていたが、結局は美香の主張を劇団が受け入れる形になってしまった。もともと地方公演が多い美香とMintはあまり接触する機会はなかったのである。また自らの実力で売り出したいMintにとっては身内に宝塚の女優がいることは大きなダメージになる。
「Mintさん美香さんとは仲が悪そうだにょ」
「当然ですわ、あんな石頭!」
「だいたいMintさんは要領悪すぎにょ」
「まあ、お父様も不器用な人でしたから・・・」
「でも久弥さんは人と仲良くするのは得意だったにょ」
「なぜか分かるかにゅ?」
「さあ?」
「久弥さんは名古屋の大須の町が大好きだったにょ」
「ああ、あの町と何か関わりありますの?」
「大須ではいろんな人が共存してるにょ、それはお互いが相手の存在価値を認めて互いに助け合うことにょ。このアキハバラでも同じにょ。Mintさんの欠点は実力があるから自分の力だけで何でもやろうとするのが欠点にょ。でじこだったら人の力を利用するだけ利用してはいあがる方を選ぶにょ」
「でじこはずるがしこいにゅ」
15.南十字星が教えてくれたこと
数日後にMintはでじこを尋ねた。
「でじこさん、私、高速道路のポスターのお仕事いただきましたの」
「そうですかにょ」
「でじこさんも一緒にいかがかしら」
「ポスターなんてでじこ様のがらじゃないにょ」
「このポスターはただのポスターではありませんの。アジア中の各都市に張り出されるんですの」
生前の平田親子が心血を注いだ事業、それが「アジアハイウェイ」だった。
トルコから東に延びる高速道路、東の終点は決まっていなかったが、久弥が都知事の時代に終点が東京用賀にある東名高速道路東京インターチェンジに決まった。
アジアハイウェイ構想に積極的だったのが道明であったことから、アジアハイウェイ機構と高速道路会社は道明の精神を受け継ぐものとして二人を起用したのだった。
歴史学者であった道明は世界中の交通網を活発にして物流を盛んにすれば日本は栄えると信じていた。事実織田信長が当時常識とされていた関所と通行税を廃止したことにより領内の通行が盛んになり商工業が盛んになった例がある。
作品名:デジキャラット・シンフォニー 4 作家名:細川智仁