デジキャラット・シンフォニー 4
「やらなければいけないにょ・・・。久弥さんはでじこに言ってたにょ。ワライカワセミの鳴き声は太陽を起こす合図となり、太陽出でて明るい世となるにょ」
するとMintは笑い出した。
「でじこさん、オーストラリアまで行かなくてもワライカワセミの声を聞く方法はありましてよ」
Mintはそう言うとポータブルラジオを取り出した。
「お父様がコミケの時に使ったラジオですわ」
無線にも通じていた久弥はコミケの時にはラジオを持参して時刻合わせをしていた。最初はBBCの流すロンドンのビックベンの鐘の音を合図としていたが、やがてメルボルンから流れる「ラジオ・オーストラリア」の時報に目をつけた。日本時間で午前10時に流れるワライカワセミの泣き声はコミケ開始の合図として格好の時報になったのである。
後に久弥が友人を引き連れてコミケに行くようになると「ワライカワセミの声はまだか?」というようになり、「ワライカワセミの声だ!行くぞ!」と言うようになった。後にこの時報は会場内でも流れるようになり、いつしかコミケの開始時にはワライカワセミのコスプレまで出たのである。
そしてそれは久弥が原口を倒すためにみんなに与えた合図にもなった。
翌朝10時、でじこはラジオのスイッチを入れて待っていた。ラジオからは「ワルティング・マチルダ」のメロディーが聞こえていた。それが時報の手前で止まったのである。
すると笑うような泣き声が聞こえてきたのである。
「それがワライカワセミの声ですわ」
そこへ着流しの若者と僧侶がやってきた。
「守道さん・・・」
別室で邦俊が守道から話を聞いた。
それは次のような内容のものだった。
下関に韓国軍が上陸した時、二人は懸命に戦ったが結局かなわずに下関の町は大火と共に灰燼に帰してしまったのである。二人は最初は愛知の杉浦大統領を頼っていくつもりで唐戸から船を出して瀬戸内海を渡り伊勢湾を目指した。しかし二人が伊勢湾に到着した時はすでに大江で空襲が始まっており上陸はできなかったという。二人は東京まで船を走らせてようやくでじこの元へと駆けつけたのだ。
その頃、真紅たち6体の人形たちは日比谷公園にいた。
先の戦いで壊れた水銀燈の供養のためである。
作品名:デジキャラット・シンフォニー 4 作家名:細川智仁