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金魚

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 自分はあいつのことを、弟のようだと思っていた。出来の悪い弟が出来たような気分だと思っていた。今までそんな存在がいた試しが無いので、実際に兄弟のいる奴に聞いてみたら、全然違うものだと駄目だしされるかも知れないけれど、アーサーにとってはそれが本物の感情だった。小さな金魚と同様の思惟を抱いていたことに驚嘆の念を覚える。
「もし俺が人間の子供で、もしお兄ちゃんがいたら、アーサーみたいな感じなのかな、って」
 嬉しそうに笑ってたよ。
 秘め事のように囁いて、フランシスはアーサーの頭を掻き抱いた。
「最後の伝言だ。もう自分で直接伝えられないから、俺が字を教えてやって、一緒に手紙を書いたんだ」
 ガタガタと震えている掌に、無理やり、白い紙切れを掴まされた。愕然としたまま紙切れを開こうとしない自分に焦れたフランシスが、強張った指先を一本一本開いて、紙を開く作業を手伝ってくれる。
「しっかりしろ。ちゃんと読んでやってくれ。頼むから」
「…………」
 諭されるように言われて、涙で膨れ上がった眼球をおずおずと紙面に落とす。そこには、二重にも三重にもぼやけた文字が、古い遺跡のようにぼんやりと浮かび上がっていた。






  Thank you Arthur, Goodbye!!
    ……I love you so much!!




「…………っ」
 蚯蚓がのた打ち回っているような拙い英文字から、満面の笑みを浮かべて無邪気に叫ぶアルフレッドの声が聞こえた気がして、アーサーは手紙を抱き締めたまま、冷たい床に蹲った。
 ぽつ、ぽつ、と。
 雨でも降ってきたのかな。ここは屋内なのにな。変だなぁ。
 思考を拒否した脳味噌が、どうでも良い事柄ばかり左から右へと流して、情報を殺していく。
 ああ。雨じゃ、ないのか。
(俺の、涙か)
 手の甲に絶え間なく落ちてくる水滴の正体を悟ったアーサーは、敷居の消滅した濁流のように激しく慟哭した。
「馬鹿野郎……!」
 身体がバラバラになりそうだった。喉の奥に詰まった空気を、やっとのことで飲み下す。何でも良いから喋り続けていないとおかしくなってしまいそうだった。握り締めた白い便箋を胸に抱きしめ、身体を二つに折り曲げて、悲鳴のような叫び声を放ち続ける。
「……おまえ、……何……早まってんだよ……っ!」
 悔しさで目の前が真っ赤になった。全身の血液が沸騰して、頭に、眼球に集中していき、このままだったら血の涙が出てくるのではないかと思う。
「ずっと一緒だって……言ったじゃねぇか……っ!」
 あの約束は何だったのだ。どんな意味を込めて、あいつはこの言葉を使ったのだろう。
 解からない。アルフレッドの考えていることを、その価値観を、最後まで理解することが出来なかった。魂に触れることは無く、砂のように、水のように、さらさらと手をすり抜けて零れ落ちて行ってしまった。
「俺の許可なく……勝手に……俺んとこから出て行ってんじゃねぇよ……っ」
 ダンッ、と大理石の床面を殴りつけた。何度も、何度も、握り締めた拳の骨格がみるみるうちに歪んでいったが、不思議と痛みは感じなかった。
「俺はお前なんか食わねぇって……食って堪るかって……」
 あれほど言ったじゃねーか!
 魂から絶叫した。
「……馬鹿野郎……大馬鹿野郎……!」
 幾ら罵倒しても足りない。憎しみすら抱いても、どんなに戻ってきて欲しいと懇願しても、もうアルフレッドはこの世の何処に居ないのだ。最後に抱き締めた愛しい温もりは、砂のようにサラサラと指先を擦り抜けて、決して届かない場所へ行ってしまった。
「なぁ。でも、この子の気持ちも、わかってやれよな」
 汚物塗れの床に座り込んだままの自分を見兼ねたのか、フランシスは自分の服が汚れるのも厭わずにアーサーの腕を肩に回して無理やりにでも立たせると、そのまま半ば抱えるように歩いて、奥の部屋まで連れて行ってくれた。
 長い廊下の突き当たりにあるダイニングに辿り着くと、椅子の上に放心状態のアーサーを降ろして、ことりと目の前に小箱を置く。
「これが、この子なりの愛情なんだよ」
「…………」
 家畜は、早く肉になって食べられたい。人間は、好きになった人とずっと一緒に居たい。永遠に交わることの無い平行線だ。
 アルフレッドは、アルフレッドなりに、自らの持てる最高の奉仕として、アーサーに我が身を差し出した。きっと幸せそうに笑って、だいすきな人に食べて貰えることを、誇りに思いながら。
(アル……)
 霧が掛かったようにぼんやりとした視界の中では、フランシスに指し示された小箱でさえ、明確な色彩を欠いていた。きっと本能が自己防衛装置を働かせているのだろう。箱を開けた瞬間、鮮やかな肉の色が目に飛び込んできたら、恐らく精神が持たずに、発狂してしまうと思うから。
 のろのろと指先を伸ばして、ゆっくりと蓋を開ける。
「なぁ。……おまえ、いま幸せか?」
 アルフレッド。
 俺の、幼い弟。
 もう過去形でしか表す事の出来ない、泣きたくなるほどに幸せだった短い日々。満たされていたのは、自分一人だけだったのだろうか。自分だけが、飯事のような兄弟ごっこに浸って、勝手に満足していただけなのだろうか。
 ――アーサー!
 ありがとう。
 バイバイ!
 だいすきだよ!
「…………っ」
 再び嗚咽が込みあがって来て、アーサーは口元を掌で覆い、ぼろぼろと涙を零し続けた。
 出来ることならば、生きて、笑っているお前に向かって、答えてやりたかった。しかし、その願いは絶対に実現しない。彼の望みが叶う瞬間、彼自身はどう頑張っても、生を保っていられる筈はないのだ。それを不幸だとは思わないのかと尋ねてみると、彼はそんなことはない、と言って笑っていた。
 誰にも食べられずに腐って捨てられるのだけは勘弁だけど、自分の腐った姿を自分で想像して落ち込むなんて馬鹿げてるだろ? 生餌に使ってもらえる、または解体して肉になる、そうやって誰かに食べてもらう。家畜の俺たちは、そんな風に夢見ることしかできなくて、後は買ってくれた人間に処遇を委ねるまでなんだけどね。でも、その夢が叶う瞬間が来るとしたら、それはサイッコーに幸せだよ、俺にとってはね!
 だから、早く、俺を食べて!
「…………」
 まるでせっつかれているような気がして、アーサーは小さく苦笑を漏らした。
(お前のその減らず口は、例え実体を失っても、俺の中でずっと喋り続けるんだな)
 解かったよ。もう、降参だ。腹を括るしかない。
 最後の涙の粒をテーブルに落として、アーサーは観念したように握り締めていた拳を解いた。
(今の今まで、俺の我儘で引き止めちまって、悪かった)
 今から、お前の願いを、叶えてやるよ。
 長い間待たせちまって、ほんとに悪かったな。
 万感の思いを込めて、呟く。
「俺も、好き、だったよ」
 小さな肉片になってしまった塊に語りかけながら、アーサーはそっと、冷蔵機能のついたプラスチックの箱に手を伸ばした。




作品名:金魚 作家名:鈴木イチ