多様性恋愛嗜好
予想通りそんな俺の様子を気にも留めずに古泉は上機嫌そうに歩いている。古泉もこれ以上何かを喋る気は無いらしい。しばし無言で歩いていると左手を包み込んでいる掌の感触が気になってきた。この手が朝比奈さんのならと思わずにはいられない。しかしそんなことを考えても隣の男が朝比奈さんになるなんてことはないしあってたまるかそんなこと。ちらりと繋がる手に視線を落とすと一年中団活と称して外を歩き回っているにも関わらずその手は白い。手の大きさは俺とどっこいどっこいだろうか。ただ俺の手よりは骨が浮いて見える。良く見なくても男の手だがそれでも掌の感触は柔らかい。冷え性なのか俺の手より冷たかった体温は俺の手の温度と混じりあってもう既にぬるくなっていた。
そのまま視線を上に向けるとにこにこと笑う古泉の横顔が見えた。色素の薄い髪は細く、柔らかそうだ。男の癖にキューティクルまであるのが忌々しい。普段は爽やかな優男だが目は意外と釣り目だ。だがいつも笑顔でいるせいかあまりそれを感じさせない。しかし真面目な表情を作ればその目と端整な顔立ちが合わさって涼しげで冷たい印象を人に与える。今までまじまじと見ることはなかったが唇は良く見ればうっすらと色づいている。リップクリームでも塗っているのか、荒れなんて窺えない。男の唇がつるつるしてても気持ち悪いだけだ。そうは思ったがどうにも視線を外せない。別に女のようだとか、そんなことはない。だがその薄い唇を見ている段々と形容しがたい感情が湧き上がって来る。今は閉じられているが、ついさっきこの唇が俺を好きだと告げたのだ。甘く響いたその余韻が、今でも耳の奥でくすぶっている。
ぴたりと足が止まる。不思議そうに古泉が振り返るが今はそんなことはどうでもよかった。今、俺は何を考えた?
「あの、どうかされました? 随分と珍妙な顔色をしてらっしゃいますよ」
こちらを気遣うように顔を覗き込んできた古泉の隙をついて思いっきり手を振り回すとようやっと古泉の手が外れた。そのまま古泉を見ないように走り出す。古泉が待ってくださいとか言ってるが無視だ、無視。古泉を振り切ろうと全速力で走ったが後ろから追いかけてくる気配は無かった。
全部古泉が悪い。あいつがあんなこと言うから変に毒されたのだ。そう、だから、全部間違いだ。全部。唇がどうとか俺は考えてない。ないったらない。
さすがに走りっぱなしだと疲れてきた。壁にもたれかかって荒くなった呼吸を整える。……次にあいつに会ったらなんて言えばよいのだろう。
「……明日学校行きたくねぇな」
ぽつりと呟いた言葉は、我ながら実に悲壮感溢れていた。