多様性恋愛嗜好
「僕の我侭ですよ」
唐突に呟かれた言葉に古泉へ視線を向ける。穏やかな表情だ。緩く口元で笑みを作っているが目は笑みの形に細められることはなく静かに前方を見つめている。こちらの視線に気づくとぱっと笑って、
「僕はあなたが好きですが、あなたが僕を好きではないことを知っています。そして、両思いになることも望んでいません」
言われた言葉にはっと古泉を見る。古泉の表情は変わらない。いつも通りの笑顔。じっと睨み付けるように見てもその裏に潜む感情は窺い知ることはできなかった。
「ですが、僕だって普通の男子高校生です。好きな相手ができたらやりたいことがいっぱいあります。手を繋ぐのもそのひとつですね。両思いにはなれなくたって良いんです。ただ、少しだけ夢を見ていたいだけで。だから……僅かな間で構いません。僕の我侭に付き合って頂けませんか? あなたにとってはご迷惑なことでしょうがね。そこはご容赦してくださると助かります」
頑張ってる自分へのご褒美ですよ、なんてへらへら笑う古泉の後頭部をまた叩いてやった。先ほどのに比べれば小突く程度の力しか出なかったがそれでも古泉は苦笑して叩かれた頭をさすっていた。
「……で、その夢のために俺はお前にこの左手を貸してやれば良いのか?」
それで満足なのかとは聞けなかった。搾り出した自分の声が少し掠れているのに気づく。言い表しがたい感情がぐるぐると胸に巣食っている。……古泉の自分勝手な言い草に怒れば良かったのだろうか。俺を勝手に巻き込むなと。けれどそうしたところでこの胸に渦巻くもやもやは晴れそうになかった。
「それもありますが……」
これまでの空気を変えるように古泉がにぃっと笑った。悪戯っぽく笑った瞳に後ずさろうとしたが遅かった。きょろきょろと辺りを見回した後、肩を捕まれたと思ったら急に古泉の顔が近寄ってきて頬に柔らかな何かが触れ、すぐに離れていった。音も無く触れたそれが何だったのか。数秒考え、理解したと同時に顔がかぁっと赤くなるのを感じた。
「てめ、こい……むぐっ」
怒鳴りつけようとしたら古泉の右手で口を押さえられた。なにが「しー」だこの野郎。人差し指を立てるな気色悪い。
「大声を出したら涼宮さん達に気づかれちゃいますよ?」
言われてようやくハルヒ達の存在を思い出した。慌てて前を見るがハルヒ達がこちらを振り返る気配はない。良かった、気づいてはいないようだ。
「で、なんのつもりだ今のは」
「いやだな、手を繋ぐのはやりたいことのひとつと言っただけで、それだけで満足だなんて一言も言ってませんよ? 好きな相手ですからね、キスのひとつやふたつしたいに決まってるじゃないですか。唇にしなかった僕の自制心を褒めていただきたいくらいです」
悪びれた様子も見せずにやけ笑いを晒すこの男を顔の形が変わるまでぶん殴ったところで誰が文句を言うだろうか。ぎゅうと握りこぶしを作ったところで「じゃあ、また明日ね!」と明るいハルヒの声が耳の届いた。いつの間にかハルヒ達と別れる道まできていたらしい。
……ハルヒは俺が古泉を殴ったら文句を言うだろうな。間違いなく。非が古泉にあろうが関係なく。あいつはやけに古泉のことを信頼してるからな。にやにや笑っている古泉を思いっきり睨み付けてやったあと、深く溜息をついた。世の中、なんて理不尽なんだ。