多様性恋愛嗜好
食事が終わり風呂にも入って、ようやく一息つけた。なんだかんだで今日は一日中脳を使いっぱなしだったからな。
風呂上りに飲み物はいかがですかとハートの形に折れ曲がったストロー片手に問いかけてきた古泉は遠慮なくぶん殴ってやった。ぶん殴られたあと、俺が狼狽してる様を見て大爆笑しやがったからもう一発お見舞いしといた。ストローが二本に大きめのグラスも用意してあった理由なんて聞きたくもないね。
ベッドに腰をかけ、強打された頭をしきりに気にかけている古泉を尻目に床に敷かれた客用布団に潜り込んだ。疲労感が半端ない。特に精神的な疲労が。
「寝ちゃうんですか?」
わざとらしく沈んだ声が聞こえたが返事をせずに目を閉じた。いい加減眠い。主にこいつのせいで。
しばしの沈黙のあと、これみよがしに溜息をつく音がした。それも無視していると足音がして、ぱちんとスイッチの音とともに電気が消えたのをまぶたの向こうに感じた。
そのまま古泉もベッドに戻って寝るのだろうと思ったら、ふと足音が止まった。俺のすぐ横で。嫌な予感がして目を開けようとしたらその前に腹の上に何か重たいものが乗っかった。……まさか。
「まだ、寝ちゃ駄目ですよ」
何もかも無かったことにして眠りに落ちたかったがそれはいかない。恐る恐る目を開けると月明かりに照らされた古泉の姿が見えた。掛け布団ごしに俺の腹の上に跨っている。薄く笑うその顔に、今まで感じることのなかった熱に浮かされたような色気を感じた。
始めて目にするその表情に俺は形容しがたい衝撃を受けた。古泉は完全に動きの止まった俺を見てふっと吐息のような笑い声をもらすと、素早い動きで俺の両腕を布団の中から引きずり出す。抵抗する間も与えずに両手首を片手でまとめると俺の頭上で固定した。我に返った時にはもう遅い。両手首には痛いほどに力と体重がかけられて目一杯動かそうとしてもびくともしない。腹にも圧力がかかり、足で器用に俺に身動きを封じる。……これ、やばいんじゃないか?
「僕は、言ったじゃないですか。あなたが好きだって。だから、ね。駄目ですよ。そんな人間の家に着いてきて、挙句そんなに無防備な姿を晒して」
顔からさぁっと血の気が引いていくのを感じた。ちょっと待ってくれ。これは、もしかして、もしかするのか? つか、さも俺が悪いみたいに言ってるがお前が無理やり俺を家に引きずり込んだじゃないか。お袋と妹まで巻き込んで。あとはなんだ、無防備な姿って。俺に寝るなと言いたいのか貴様は。
「危機意識をもちましょうってことです。半ば無理やり自分の家に連れ込んでしかも家には他に誰もいない。下心、あるにきまってるじゃないですか。……まあ、もう遅いですけれど」
空いてる方の手でつぅーと頬を撫ぜられた。ぞくぞくとした悪寒が背筋を走る。やばい。本格的にやばい。
「お、落ち着け古泉。俺が悪かった。だから正気に戻れ。こんなこと、おかしいだろ。な?」
「僕は落ち着いてますし、いつだって程々に正気です。それに、この世界はおかしなことだらけじゃないですか。今更おかしなことがひとつやふたつ増えたところで誰も困りません」
冷たい掌が俺の右頬を包み込む。熱で潤む瞳でじっと見つめられ、思わず見惚れそうになる。……違う。なに流されそうになってるんだ俺は。
「俺が困る! どけ!」
「勝手に困っててください」
頼むから会話のキャッチボールを成立させてくれ! 俺の言葉に聞く耳も持とうとせずに、手は俺の頬から首筋を通り胸元へと降りていく。胸板をくすぐるようにくるりと指先でなぞるとまた頬まで戻ってくる。優しく身体を這う指がもたらす、痺れるような感覚に身体を震わせることもできずに必死で耐える。ちくしょう、涙がでてきそうだ。
「大丈夫ですよ」
全然大丈夫じゃない。何を根拠に言ってるんだ。指は頬から額に移動するとすっと前髪をかきあげる。くるくると指先で髪をいじられてるのがわかった。ぐっと両手首に体重がかかったと思ったら古泉の整った顔立ちがゆっくりと近づいてくる。その光景を見てられなくて思い切り目をつむった。身を硬くしているとちゅっと小さな音をたてて柔らかいものが当たった。……額に。
「……え?」
それと同時に手首と腹にかかっていた圧力もなくなった。困惑しながら目を開けると古泉は俺の上から退き、立ち上がろうとしていたところだった。