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小説PSU EP1「還らざる半世紀の終りに」 第1章

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universe02 握られた、こころ


 地下の通路の真ん中で、少女はただ、体を縮こまらせて震えていた。
 身長1メートルもない、まだ5〜6歳だろうか。長い髪を後頭部で二本の三つ編みに分け、グレイのワンピースを身につけていた。
 少女は今直ぐにでもこの場から走り去りたかったが、四肢に力がまったく入らない。立ち上がろうとしても足が石になったようにぴくりとも動かない。
 恐怖が辺りを見回させたがる。少女はただ、周りを見回してから自分の足を見つめるという行為を、ただ繰り返していた。
 通路の奥には頑丈そうな金属製の扉。中からは時折、何か重いものをずり動かす音が聞こえ、やがて遠ざかってゆく。
 入口には赤い板に白文字で目立つように「これより先鉱山につき立ち入り禁止。坑道内有毒ガス発生の恐れ有、危険」と書かれており、その傍らには一脚の丸い木の椅子が倒れていた。
「オルハ」
 静かに太い男の声が、響いた。普通の状況なら、優しくも厳しい父の声に彼女は喜んだに違いない。
 だが、振り返る彼女の顔は、まるで肉食動物の視線に気付いたウサギのように凍り付いていた。
「まったくお前は、ほんとにおてんばだな」
 愛情の呆れ声と共に、大きな両手がオルハに伸びる。小さな彼女は、簡単に抱き上げられて父の肩に乗せられた。
「どうした? ……ああ、そうだよな。暗くて怖い所だから、迷っちゃうよな」
 父はオルハの異変をそう解釈し、続ける。
「でも、とても広くて大きいだろう? 全部パパの鉱山なんだぞ。ここで取った金属が、いろんな所で使われてるんだ」
 オルハは答えなかった。
「パルムで一番大きなGRMって会社も、パパの所で仕入れた金属で武器を作ってるんだ。すごいだろう?」
 やはり、答えなかった。
 彼女の目はただ、例の扉を貫くように見ていた。
 わずかに、呻き声が聞こえたような気がして、弾かれたように辺りを見渡した。
 ……この扉の問題は、1.5メートルの高さの横の壁に14インチのモニタがあった事だった。中とインターホンでつながっており、その側に警備員が座るための椅子があり、なおかつたまたま警備員が食事休憩だったこともそうだ。
 モニタの画面は縦に二分割されていた。左側はどうやら扉を向こう側から映しており、中央よりやや左下にこの扉の裏側が見える。つまり、扉の向こう側に立つ者がいれば左後方から映すという事だ。
 もう半分の画面は扉の向こう側についており、扉の正面に立つ者がいればその顔が分かるようになっていた。
 本来、これらは出入りする者を警備兵がチェックするためにあった。
 だが。
 彼女は見てしまった……。

 ――幾度となく、強い衝撃を受ける扉。
 一撃ごとに激しく揺れ、蝶番がめきめきと悲鳴を上げる。
 短髪に骨ばった顔つき、体毛の生え揃った耳に筋肉質な体のビーストの若者だった。彼は衣服のようなものはほとんど身につけておらず、ぼろきれを腰に巻いているだけだ。
 彼の表情は険しく歪み、体は生傷と汚れにまみれていた。
 儚い拳が何度も扉を打ち、そのたびに扉が激しく軋む。
「開けろおぉぉ!」
 若者は何度も叫びながら殴る。拳に血が赤く滲んでも、彼は殴るのをやめない。
「おい貴様!」
「何をしている!」
 彼の後方から叫ぶ声が聞こえた。キャストが三人、おのおのの得物を手にして走って来る。左胸と肩のシンボルは鉱山と同じで、警備兵のようだった。そのパーツは生体パーツをほとんど使用しておらず、眼球の箇所には白い光があり、鼻や口に相当する器官は見られなかった。
「何を、だと?」
  ビーストの男は振り返り、くぐもった声で唸るように答えた。
「俺たちは奴隷じゃねぇ! ここから出しやがれ!!」
「?? 貴様は『買われた』んだ。立場を理解していないようだな」
 キャストの一人が前に出て、言った。
 彼はよく見ると、他の二人と比べてパーツ構成が多少違い、肩や足に付いているパーツがやや華美に見えた。頭に被っている帽子は先が二つに割れてポンポンフラワーのようなものが付いている。どうやら彼は、残りの二人に比べて地位が高い、隊長のような立場だと思われた。
「『買う』だと!? 人をなんだと思ってんだ!」
「このゴーヴァ鉱山の『所有物』である人足だ。何を分かり切った事を」
「貴様……ふざけんなああぁぁぁぁッ!!!」
 ビーストは天を仰ぎ咆哮する。彼の全身の筋肉がうごめき、より大きく、太く、強く。
 もともと2メートルはあった身長はさらに1メートルほど大きくなり、振り乱した長い髪は赤く、その肌は炎のように赤く染まっている。全身には言葉にならない威圧感をまとい、周囲の空気を掌握したかに見えた。
「ぅぉおおおおぉぉっ!!」
「ナノブラストか……面倒な」
 舌打ちして、キャストの隊長が呟いてから、残りの二人を促す。二人は腰から二本の短刀を抜きながら前に出た。
 ビーストは極度の興奮状態になると、ビーストフォームという形態を取る。その間は人としての理性は奪われてしまうが、通常の数倍の筋力を手に入れ、全てを破壊し尽くす能力を得る。それは、動くもの全てを破壊するまで止まる事はない。
「三分だ。三分持たせろ」
 隊長キャストが二人に言う。二人はダガーを両手に構えて前に出る。
 ビーストは右手を後ろに大きく振りかぶった。動きもそれほど早くない、あまりにも明解すぎるテレフォンパンチ。回避行動を取るには充分だった。
 左側へ体の重心を移動しつつ、ダガーの刃先をパンチの方向に合わせ、飛んで来た拳をわずかに横に逸らす。
 それでもそのパワーに危うく身体ごと持っていかれそうになる。空気を切り裂くごうっという音が響いた。
 このすきにもう一人のキャストが、右側から側面に回り込んでいた。
 右手のダガーを斜め下から振り上げ、空いた脇腹を狙う。フォトンの火花が散り、獣人の皮膚を引き裂く。
「ちッ」
 キャストが舌打ちする。今の角度はあわよくば内臓に届くはずの一陣だったはずだ。なのに何故、皮膚の傷はわずか数ミリの深さなんだ?
「ぅうがあぁぁっ」
 ビーストが唸った。膝を折って右足を胸まで上げる。
 キャストはとっさに、足が届かない範囲まで飛び去る。前蹴りを警戒した。
 ところが、ビーストはそのまま足を地面に振り下ろし――いや、叩き付ける。
「!?」
 ズウゥゥン、と激しい衝撃が大地を伝う。
 キャストたちは予想外の攻撃に完全に不意をつかれる。
 一瞬身体が上に押し上げられたと思った瞬間、地面が崩れたと錯覚する。
 そんな現状を理解するかしないかの間に、二人はバランスを崩して地面に手をつく。予想外ではあったが、身体は反応していた。
「く……ぅぉおッ!?」
 キャストの一人は、立ち上がりながら体制を立て直そうとして、とんでもないものを見てしまった。そう、手をついた僅かな時間、視線をビーストから離してしまったのが原因だ。
 その瞬間をついて、彼の視界を全て覆ったのは――ばかでかい拳。
 ぐしゃぁぁぁあああっ、と、まるで空き缶を縦に踏みつぶした様な、軽快な音。
 キャストの体に拳が埋まった直後、彼の背面に至るまで全てのパーツに亀裂が走る。両肩のパーツが爆発したように粉々に砕けて飛び散り火花を放った。