白昼夢
「寂しい人なんですよ」
半刻くらいの間の後、蝉の声に紛れた川の流れに自分の言葉をのせ、彼は折り込まれた腕の中から呟いた。
珍しい本音。特に彼の本音はいっそう珍しいものであった。
「俺も、先生も、似ているからよく分かります」
ジージジジ
また蝉の声だけが鳴り響く。水面は跳ねることなく相変わらず静かだ。
「君たちは何か契りをしたのかい?」
「まさか」
行儀悪く脚を崩し、初めてこちらに向き合う。その顔は笑っていた。
まるでここにいない彼を誇るように。
「先生は最初から、もうすぐ来る最後の時まで先生のままですよ」
「向こうは父親ぐらいには思っているんじゃないかな」
素直な感想を述べると彼は一言違うんですとそれに応じた。
「やっぱり俺らは他人で、そしてお互い寂しさを抱え込んでる人間なんです」
だからこそ分かり合えるし必要とし合える。
…大切に思える。
「俺は先生にたくさんのものを貰ったんだ…でもそれなりに俺だって先生に色々なものを与えられたと思っています」
懺悔のように静かに語る彼の話しを黙って聞くことに徹底する。
単に珍しかったからかもしれない。その次に続く言葉を待つ。
「昔は貰うばかりで嬉しさと不安に押し潰されそうでしたけど、今はだいぶ分かりました。俺たちは互いに互いの存在に固執しているんです」
そういって笑う彼はなんとなく憂い陰を漂わせ、普段なら鋭く光る強い目が表し難い感傷に揺れていた。
「何かあった?」
そう尋ねると時期的なものですよ。と簡単な返答が返ってきた。
「もう卒業ですからね」
六年生の最後の夏。やはり彼等なりにそれぞれ思うところがあるのだろう。
自分の場合どうだったかなと思い出そうとしたが、茹だる暑さに早々諦めた。
無駄な事はしない主義なのだ。過去は過去でしかなく、他人は他人でしかない。
「もしかして、団蔵くんの求婚騒動もつもるとこそれかい?」
「…ええ。あいつ本当に真っ直ぐすぎる馬鹿っすよ」
別に卒業しても会えない訳じゃないが突然会えなくなる確率は格段に上がる。
忍者の教えを一から学んだ生徒たちだ。それを感じとって皆思うところがあるのだろう。
「…俺じゃなきゃもっと違う回答を得られた筈なんすけどねー」
「それでも君が良かったんだろう。仕方ないさ」
ぽんぽんと頭を叩く。今ではだいぶ身長が伸び、頭一つ分しか違わない。
「でも俺はあいつを選ぶことはありません」
きっぱりとした否定。
迷いも戸惑いも微塵も感じさせない明朗な答えにきり丸くんらしさを感じた。
「ずいぶんさっぱりしてるんだ」
「まぁ自分のことですから」
一応付き合っていたんだろうと事実を確認すると、世間の形に当て嵌めるとそういう関係になるだけです。という返答が返ってきた。
なかなか複雑な友人関係を好むらしい。
「でも…君のことだ。否定は出来ても拒否は出来まい」
ずいと相手に踏み込むと、不快に眉が寄るのが視界に入った。
「今日はずいぶん厭味っすねー」
「そうかな?」
「利吉さんっぽくないですよ」
「そういう君も君らしくない」
幼い頃から築いていたある種の均衡、いつも人と接する時は見えない線を何十も引いて、人が踏み込む前に飄々と抜ける癖にね。
本当に興味深い。
「今日はどうして弱み披露のオンパレードなんだい」
睫毛が触れ合いそうな距離まで顔を近付け、思ったまま問いた。
顎を撫で緩く固定すると、互いの瞳に映るのは相手の瞳だけになり、逸らすことは許されない。
「別にそんなこ」
「怖い?」
とたん大きく見開かれた瞳が揺れた。
これからの不安、非日常が絡まりつつある中の日常の維持、変わっていく日々、残された時間。そして目の前の甘い誘惑。
かつては自分も通った道だ。
こうやって子供は成長していくのであろうか。
それとも耐え切れなくなってしまうのだろうか。