白昼夢
さて、彼はこの誘惑にどうするかな。
ちょっとした遊び心だった。
そして彼なら大丈夫だろうと私の中で既に結論が出ていた。
甘くゆっくり耳元で囁く。
「忘れさせてあげようか」
戸惑いに揺れる長い髪を絡め取ると後味を残すようにゆっくり唇を重ねる。
「私ならそれが出来るよ」
私のはまっすぐ過ぎる愛でもなければ大事に想うあまり触れ合えない愛でもないから、気を張らずに済むだろう。
君が一番怖がっている失うことに怯えなくて済むのだから。
「…言っときますけど俺この行為に意味を見出ださない性っすよ」
「奇遇だね。私もなんだ」
そう笑う私を見て彼は妖艶な笑みを浮かべた。さすがきり丸くんというところか。
この手のことは得意だろう。忍術学園に縁のある者の間でその名を知らぬ者はいないくらい有名であるのだから
「本当なら知り合いでも金5枚は踏んだくらなきゃ気が済まないけど…利吉さんなら将来性と今後の良好なお付き合いを考慮してこのかき氷で手を打ちますよ」
「そりゃ光栄だね」
じゃあその減らず口に応えて何も言えないくらい酷くしてあげる。
髪を梳きながら投げかけた台詞に、彼は上目遣いに笑みを浮かべたまま自分の着衣を着崩し手慣れた様子で私を誘う。
「俺に向かっていい度胸ですね。後悔しても知りませんから」
そう意気がる子どもに柄にもなく肌が粟立つのを感じた。噂以上に迫力が凄い。
土井先生は凄いものを飼い馴らしている。と同時に私は知っているのだけれども。
この子は彼には見せない。
先生には絶対に。
この行為も駆け引きも、全て自分の勝ち残る為の手段としている。
愛や安らぎは必要ない。というよりあってはならないのだ。
だから切り離す。
それを戦法とする忍者であるから仕方ないのだけれど、つくづく不器用な愛し方しか出来ない子だなと思った。
ただ傍にいるだけで告げることも出来ない愛。
でもそれは彼等にとっては最適な方法なのかもしれない。
この忍という職業に捕われる限り失う恐怖は常にある。
人より失うことに関して経験がある彼はよく冷めていると表されるけど、ただ現実の非情さを知っているだけなのだ。
その掌を返すような自然の摂理に怯えている一人の少年。
「じゃあお相手願おうかな」
組み敷いた身体はたまごというには酷く手慣れていて、油断しているとこちらが飲まれてしまいそうで。
笑う少年の顔は普段知っている少年のものとは全く違って見えた。いや、実際のところ違うのだろう。
「どうぞ。サービスなんて普段しないから途中で刺されても文句は言わないで下さいね」
目が欲情で濡れている。それが彼の仕事の目なのか。
きっと凡人は欲情に紛れる殺意に気付かない。
「私はマゾではないから心配ないな。逆にその余裕、潰してあげよう」
甘い秘め事ではなく命のやり取りに似た感覚に、お互い興奮するのが分かる。
堪らない。強敵に出会えた快感にも似たある種の興奮。
命を掛け合う緊張と一筋縄でいかない相手をどう手の内に誘い込むかの攻防。
悪戯ばかりして鼻を垂らしていた子供が見せる鮮やかな手立てに静かに息を飲んだ。
子供が成長するのはとても早い。
もう蝉の音は聞こえないが、きっと変わらず鳴り響いているんだろう。
結ばれた髪を解けば、幕が引かれる。
ちょうど街から死角になったこの橋の下で、戯れに興じる二人の姿が日常から切り離された。
ただの気まぐれ同士。何もなく。この戯れが終わればまた日常が訪れる。