白昼夢
「…遅い。何をやってるんだあの馬鹿たれは」
あぎゃーと泣き叫ぶ赤子をあやしながら、未だ帰らないバイトを引き受けた張本人に恨み言を言う。
今日は物凄い暑いので、ちょっとだけ外のバイト行ってもいいっすかー? そう言ってまだうんともすんとも何も言葉を発していない私に赤子を押し付けた。
この暑さならすぐ売り切れるんで大丈夫っす。すぐ戻りまーすと全く悪びれた様子もなく駆け出す子を呆然と見送る。
手に赤子を抱えながら。
それから何刻経ったであろうか。
「だいたい私は赤子が得意でないのに…」
それでもあの子をうちで面倒見る内にだいぶ慣れた、と思う。
おかげで胃痛も耐えないのだが。
「夕飯の買い物にも行けないし…全く本当にどこほっつき歩いているんだか」
溜息とともに愚痴が零れるのは仕方ない。赤子の泣き声が一層強くなった。
「ああもうほら泣き止め、ほらほら」
きり丸があやす時を真似て、自分も同じ事を試みる。
泣き声が笑いとなり、やがて健やかな寝息に変わる。子供は本当に大変だ。自分の生徒含めて、と一人そう思っているところ扉が叩かれた。
「こんばんは、土井先生」
「その声は利吉くん」
珍しい訪問客に驚きを隠せず、どうぞと扉を開けるとその背に乗ってるものに固まった。
「…き、り丸?」
「や、どーも先生。ただいまっす」
「た、ただいまじゃないだろ。お前今までどこほっつき歩いていたんだ」
「いだだだだ、ひどい!何も聞かずに虐待するなんて」
「阿呆!これは立派な教育だ。しかもお前の言い訳は聞いて事が良くなった時は一度たりともないぞ」
抓りあげた頬を摩りながら恨みがましい視線と減らず口を叩く。もう一度、今度はげんこつをお見舞いしてやろうと拳を握り締めた時だった。間に柔らかい制止の声が入る。
「まぁまぁ、今回に限っては事情がありますから」
この場は私の顔に免じて赦して貰えませんか そう言う利吉くんにじゃあと家の中に入るよう促す。
きり丸はもう大丈夫っすと利吉くんの背から降り、自分の力で地に付くと、ああ赤ん坊忘れてた。返してきます。と部屋ですやすや眠る赤子を抱えて出ていった。 本当に忙しなく騒がしい子である。
「あはは…相変わらずですねぇ、きり丸くんも」
「利吉くんも元気そうだね。今度は何を追っていたんだい?随分長かったじゃないか」
簡単にお茶だけ注いで相手に渡す。
あいにくケチでもったいない病な居候のおかげでうちには茶請けというものがない。
「あ、どうも。いやまぁ今回は契約期間が長くて少々時間を消費してしまいました」
まだ終わってなくて町で調査中だったんですよ。
そこできり丸くんに会いましてね… そう切り出す相手を横目に見ながら溜息を一息ついた。主に自分を落ち着けるために。
「それと今回の件とどう繋がるんですかね」
それでもつい本題を急がせてしまったのは若干怒りが篭っていたせいかもしれない。
「あ、やっぱり気づかれましたか。そうだろうと思いました」
にっこり微笑む相手に溜息は一層深くなる。こみ上げる不快さをなるべく出さないように、お茶を啜りながら相手に向き直る。
「あいつが艶めかしい余韻を見せるのは仕事の後しかないからね」
「さすが先生。よく分かっていらっしゃる」
「まったく…子どもに手を出してどういうつもりなんだい」
ここで一旦お茶を置いて様子を伺うと彼は人の良い笑みを絶やさぬまま私に告げた。
「彼はもう子供じゃありませんよ。あまり過保護にしていると痛い目に合うのはあなたです」
勝ち誇ったようにそう告げる相手に何故だか無性に腹が立った。
台所でかたんと茶碗のぶつかる音が聞こえたが何も返せる言葉はなく、二人の間には奇妙な沈黙が流れていった。