白昼夢
「うう…帰りたくねぇ」
知らず知らず本音が漏れる。十中ハ九面倒臭いことになっている予感がする。
こういった予感は外れたためしがない。
「でも帰らない訳にはいかないしなぁ」
どうすっかなと溜息を吐きながら帰路を重い足取りで歩くと、ちゃりん…と懐に入れた小銭が音を立てた。
俺がこの世の中で絶対的な信頼を置いているもの。
銭があれば生きてはいける。歳なんか関係ない、全ては銭の所有量で色んな権利を掴み取れる。
少なくとも俺はそう信じて生きてきたのに、この年になって銭以外のものに揺れる自分が気持ち悪かった。
一年の頃は銭好きケチなアルバイターで通っていた俺も学年が上がるにつれて、人として何か足りない人間と評価されるようになりひどい噂が目立ち始めた。
まぁ元から人の評価なんて気にならない質だからどうでもよかったんだけど、そんな俺にもは組のみんなは優しくて、陰口を言われれば自分の代わりに怒ってくれたり泣いてくれたりした。大事なものが増えて、ただ生きているだけじゃないって実感できた。
そしてあの人はさらに自分にないものを与えてくれたんだ。
怒られて嬉しくなるなんてあの人に出会わなければ体験することはなかっただろうし、未知の体験がいっぱいあった。
一緒にいるから得られる喜び。
だから先生とは組のみんなは特別な人間であり俺の数少ない、銭と同じくらい手放せないもの。
ただ先生がは組のみんなとちょっと違うのは、先生の年も関係あるかもしれない。
大人の温かい愛情は小さかった俺が1番欲しいものに似ていて、銭に見せる執念と同じくらい必死に俺はそれにしがみついたのだ。
そうして時は流れその想いは子供の頃より浅ましい執着に変わり現在に至る。でも、先生も同じだからなんてことはない。
俺みたいな浅ましさはなく、ただ優しさで人を繋ぎ止めたい人だけど、彼は彼で俺の存在に救われてるということもまた時の流れの中知っている。
愛おしい人。でももうすぐそんな関係もきっと終わる。
俺の卒業とともに生徒と先生という曖昧な、俺たちをつなぎ止めていたひとつの鎖がなくなるのだ。
他人から見ればそんなことと思うかもしれないが、俺たちにとってその曖昧な関係はなくてはならないものに近い。
自分がいない間に彼はあの人に何を告げたのだろうか。
利吉さんが何か試してるのは分かる。そして俺の次は先生を試しているとも思う。
「今更何言ったって先生はみんな知ってると思うけどな」
今まで先生は全部知りながら黙ってきたのだから。俺が感情を見せるのは自分に近しい人だけだし、任務だと言われれば男娼紛いのこともやる。
色を習ったのは学園の先生や先輩だし、知らないはずがないってことも知ってる。
人より相手の死に怯えていないことも分かっている。死に対する恐怖が少ない俺は死より失うことに恐怖する。
それでもそんな自分を受け入れ、何も言わず自分の帰りを待っていてくれるのが先生だ。時には怒られ説教もされるけど、全てを包み込んでくれる絶対的存在。
契りなんか欲しくない。先生は変わらなくていい。変わってしまったら、俺はあそこに戻れない気がする。
もうすぐ俺は卒業する。また一人で生きていく道を選ぶことはずっと前から決めていた。
でも幼い頃と違うのは独りではないということを知っていること。会いたくなったらいつでも先生に会いに行こうと思う。
先生は…変わらずに居てくれるだろうか。
見上げた空は晴れ晴れとしていたが、続いていく空の向こうの雲はどんよりと厚かった。