銀の弾丸などはない
だが、そのミッションは実行前に予想外の展開を見せた。何のことはない、話を通そうとしていた相手から逆に電話がかかってきたのだが。
「…は、大尉、もう一回聞いてもいいか?」
やたらと早く電話に出たことを訝しんでいるような空気があったが、とりあえずあまりそこには突っ込まれなかったのでロイはほっとした。そして、彼女が告げてきた内容に目を丸くする。
『ですから、こう申し上げました。病院経営で最近名を知られているサックス氏から、准将にお話したいことがあるそうです。そこで、春の健康診断を受診されなかった准将の健康診断をお願いしました。氏は快諾してくださいましたわ』
「…それは、…つまり、私はこれから彼の病院へ行って健康診断をしろ、ということかね?」
確かにその系列の病院へ調査に向かっているエドワードに合流しようとは思っていたが、まさかそんな展開がありえるとは夢にも思っていなかったので、ロイは呆気にとられてしまった。大体、春の健康診断などという定期的なものが行われていることもあまりよくわかっていなかった。
『ご心配には及びません、これから迎えをやりますので』
「いや、心配はしていないが…」
ただ理解が追いつかないだけで、とロイはこっそり付け足した。そう、理解が追いつかない。しかしホークアイはラインの向うで小さく笑い、悪戯っぽく付け加えた。
『それから、准将、これは個人的なお願いといいますか、余裕があったらで結構なのですが…』
「なんだね」
『鋼の錬金術師と思しき人物がサックス氏の経営する病院のいくつかで目撃されているという情報がありました。今のところ破壊報告は上がっていませんが、病人やけが人に何かあっては一大事ですので、彼を見かけたら確保をお願いしたく…』
今度こそロイは舌を巻いた。彼女にはどうやら、何もかもお見通しであるらしい。そう思えば後のことは瑣末事に過ぎず、本筋はクリアなものになる。
「了解した」
ロイは短く返した。礼を言うのもおかしな話だったから。
せいぜい、…派手な破壊活動を起こすことなく帰るのが一番の礼になるだろう。後は土地の銘菓でも買ってくるか…。
『急なスケジュールで申し訳ありませんが、よろしくお願いします』
ちっとも申し訳ないとは思っていなさそうな、どこか面白がるような響きを宿した声にロイは苦笑した。
エドワードはかつて「あんたの周囲に不安はない」と言い切っていたけれど、確かにこれではそういわれても無理はない。
だが何にせよ心強い援護射撃を得たことは確かだ。困難なミッションをこなさないですんだのも。
「…コーヒーでも飲んで待つか」
迎えを回すといわれたことを思い出し、ロイは機嫌よくキッチンに立つ。コーヒー一杯くらい飲む時間はあるだろう。もしかしたら迎えというのは口実で、勝手に動き出してもいいのかもしれないし。
ドリッパーを用意しながらロイはカップに目を留めた。今度エドワード用にもうひとつ用意してやろう、と思いながら。
そうして三十分と経たずに、マスタング准将の家の前には一台の車が止められた。運転席から降り立ったのは、毎度おなじみのっぽのハボック少尉だった。
「准将、健康診断ですって?」
「ああ、そうらしい」
開かれたドアから素直に乗り込みながら苦笑すれば、あー、お疲れ様っす、と部下は苦笑する。
「おまえも受けた方がいいんじゃないのか?診断」
「いやあ、俺まだ一応准将よりは若いので」
「油断しているとあっという間だぞ?」
ロイが乗り込んだ後に運転席に乗り込んだ部下に、ロイは意地悪く言ってやった。そうすれば、脅かさないでくださいよ、とハボックは笑う。
「ところで、病院とは聞いているが、このまま直接向かうのか?」
「いえ。俺は駅までです。その後は、ブレダが待ってますんで二人で特急に乗ってください」
「特急か…、待て、ブレダが護衛なのか?」
「あいつも軍人ですよ、心配ないです」
「いや、別に心配はしていないがな…、本当の所、どうなんだ?」
探るような上司の視線に、結局ハボックは肩を竦めて苦笑した。
「ご明察です、准将。…ホークアイ大尉がですね、ブレダ中尉も一緒に成人病検診を受けていらっしゃい、と」
「…………」
ロイはとりあえず言葉を失い、車窓を見た。それはまあ、なんとも…なんというか…。
「そういうわけですんで、准将、よろしくお願いしますね」
「何を?」
「ブレダの奴が間食しないように監督お願いします」
「…。承知した」
ロイは肩を竦めて頷いた後、悪戯っぽく笑って付け加えた。
「嫌われ役は昔から上司の重要な仕事と決まっているからな。頑張るとするか」
駅に着けば、なるほど聞かされていた通りにブレダがいた。だがその顔はあまり芳しくなく、知らなければ何か不幸があったか病気の可能性を疑うところだった。
「…まあ。終わったら美味いものを奢ってやる」
あまりにも落ち込んでいるように見えるブレダにそういえば、結構です、と元気のない声で返され、ロイは苦笑した。
しかし、空腹を抱えているとはいえ、智将ブレダは健在だった。
「大将はこう言っちゃなんですが場馴れしてますからね。まあそんなに心配はいらんでしょうが…」
腕を組んだブレダの腹の虫が鳴った。もうどうしていいかわからないような有様だったが、ロイは武士の情け、とそれは無視した。
「しかし、サックスですか…サックス…」
「何か知っているのか?」
ブレダの意味深な口調にロイは眉をひそめる。近年傘下を増やしている病院経営のグループ、としかロイは知らないが、ブレダはそれ以上に何かを知っているのかもしれない。
「いや、俺もあんまり詳しくは知りませんがね。ただ…」
「ただ?」
「病院てのは、一応、なくちゃ困るもんでしょう」
ブレダの苦笑をたたえながらの問いかけに、まあそうだな、とロイも頷く。確かに医療は人の、特に文化的な生活には欠くべからざるものである。だが、それが? と目で問えば、ブレダは続けた。
「かつては、軍部がこう、っていやあそうなった。でも今は違いますよね」
「それはそうだ、」
「いやいや、俺もそれはいいことだと思ってんですよ。…ただね、押さえつける手がなくなると悪さする奴も必ずいるってのが問題なんですよ、多分」
ロイは再び眉をひそめた。部下の言わんとするところは、まだ見えてこない。
「ライフラインを握る奴は王様になれる可能性がある、ってことなんですよ、准将」
「ライフライン…」
「水がなきゃ人は死ぬ。今の時代ならガスやなんか、そういうエネルギーみたいなもんもそうでしょう。多分、これからはもっとそうなるんでしょう。電気もそうだ。交通機関だってそうですよ、流通がとまりゃ経済がとまる…」
「…医者がいなくなれば、」
ロイは続けてそう口を開いて、はっとした顔でブレダを見た。部下は真面目な顔で頷く。
「俺が思ったのはまさにそれなんですよ。いつかサックスがアメストリス中の病院を傘下に収めるようなことになったら、どうなんのかなってね」
「それは…」
「現実にそれはありえないと思いますけどね。だけどそうなったとき、全てがサックスに握られたら誰にもどうにもできない」