銀の弾丸などはない
長じればエドワードにも段々そのあたりはわかってきていて、だから、いつの間にかそういう性質を装うのもお手の物になっていた。
真っ青な顔をして(元々色素は薄いので、これは普通にしていればいつでもそう見えた)受付で症状を告げれば、看護師も医師も大げさに案じた。
関節自体はすぐに戻してもらい(医師はあまりにきれいに外れているので不思議そうだったが、勿論エドワードは無視した)、簡単な問診を受けた結果、むしろ生活に問題はないか、と逆に問われてしまい、エドワードは内心辟易した。問題のない生活をしていた覚えこそほとんどない。
しかも関節など外さなくても、どうやら自分で気づいていないだけで本当に内臓のどこかが弱っていたらしく(エドワードは感心してしまったのだが、反射区治療だとかなんとかいうらしく、どこかを押して痛む時はそれとつながりのある内臓の器官が弱っているのだそうだ)、時間があるのなら通院しなさいと言われてしまった。
この場合は願ったりかなったりだが、しかし自分の年で内臓(どうやら胃腸らしいが)が弱っていてしかも通院が必要なレベルなのか、と思うとだいぶ複雑だった。それでもまあ、今のところは必要か、と次の予約を取り付けて帰る途中、エドワードは談話室を探してみた。ここまできてここにファビーの絵がなければ嘘だろう。七号病院は最大規模と聞いている。
「…あった、」
たどりついてみてエドワードは思わず呟いていた。
やはり、この病院の談話室にもファビーの絵がかけられていた。
しかし、七号病院の談話室にあったのは、それまでの病院にあった肖像画だけではなかった。肖像画の脇に、立派な略歴紹介が載せられていたのだ。こんなことならもっと早く来ればよかった、と思いながら読み進めたエドワードの耳に、「あ」という声が届く。どこかで聞いた声だ、と振り向いた彼の視界に入ってきたのは、セントラルで助けた子供の叔父であるらしい男の姿だった。
「…なぜここにいる?」
青い目が警戒に光っていた。その色はやはりルーシーと似ていた。
「怪我をしたんでとりあえず近くの病院へ。おかげさまでいい治療をしてもらいました」
とりあえずはにこりと微笑んで応戦してやった。先日の印象から言って、この男の相手はそんなに難しくはないと感じていた。そんな男で側近が務まるなら案外オリバーも大したことはないのかもしれないとも思う。本人に会うまではわからない部分もあるが。
「怪我?」
「ええ。それは私でも怪我くらいはしますよ。…あなたもお医者様なんですか」
彼が身につけているのは白衣ではなかったが、からかう意図も込めて聞いてやれば、違う、と素直な答えが返ってきた。どうにも簡単すぎる男である。エドワードは内心で欠伸をかみしめた。
「…私は君を疑うのをやめたわけじゃない。…ルーシーの件もだが、今君がここにいるのは疑わしい」
しかしそのはっきりしすぎた物言いに、エドワードは不思議と小気味よいものを覚えた。確かにこの男は単純であしらいやすいが、その素直さは案外面白いものかもしれないと思ったのだ。自分がひねくれているせいもあるかもしれない。
「疑わしいというのは…」
エドワードはにこりと笑って小首を傾げた。
「それはつまり、疑われる何かがあるということですか」
突っ込んでやれば、う、と男は詰まっていた。やはりこの単純さは面白い。
「そういうことじゃない、ただ最近はうちへの誹謗中傷も多いから」
「軍はそんなに暇じゃないですよ」
エドワードはロイの前で彼と顔を合わせている。今さら軍属である身を隠す必要もなかった。だからその上で言ってやった。軍はそこまで暇ではないし、ましてロイもエドワードももっと暇ではない。恐らくは大分忙しい部類に入るはずだ。もっとも、自分で忙しくしているのでそれについて不平を並べるつもりは毛頭ないが。ロイだてそうだろう。
「…正直にいえば、」
エドワードはファビーの肖像画を見ながら口を開いた。
「オレはあんた達は疑わしいと思ってる」
もう口調を取り繕うのも馬鹿馬鹿しくなって、普段の態度そのままに口にしていた。
「だけど、それは汚職がどうとか、そういうことで言ってるわけでもない。だから誹謗中傷には興味がない。今診察してもらったけど、病院自体に問題があるとも思えなかった」
ゆっくりと青年はサックスの側近を振り返った。
「――知ってる? ソーセージの中身は肉屋と神様しか知らない、ってやつ」
クレイマンは素直に眉をひそめて首を振った。知らない、と。エドワードは再び肖像画を振り向いた。その隣には略歴が記されている。サウスシティに生まれたファビーが、当時としては先進的なことだったのだろうが女医になり、多くの命を救ったとかそんな内容である。サックスはこの女性に師事し、医療の道を志したとかそういうことであるらしい。
「出来上がったもんだけ知ってりゃいいんだ、いつの時代も、大衆ってやつは。どんなもんだって出来あがって食えればいいんだし」
「…どういう意味だ」
「たぶんあんたのボスもそういう考えなんじゃないかと思って」
エドワードは肩をすくめて、くるりと身を翻し、軽く手を振った。
「伝えといてよ。近々会いに行くって」
「…オリバーがそう簡単に会うわけがない」
「そうかなあ。会いたくなると思うよ? ――ファビー・サクソンのルビーについて話がしたい、って言っといてくれる?」
「…ファビーのルビー…?」
クレイマンは怪訝そうな顔で首をひねった。こいつは何も知らないんだな、とエドワードは確信した。これが演技なら大したものだが、それはないだろう。
「伝えといて。…ああ、そうだ。いい病院だとは思う。これは世辞じゃなくて本当に」
それだけ言うと、エドワードは談話室を後にした。
ファビーについてエドワードが知り得たことはさほど多くもなかったが、やはり五号病院で聞いた話が一番印象に残っていた。間違いない、と思ってもいた。彼女は何らかの方法で、賢者の石かそれに類するものを手に入れていたのだ。
そしてそれは、オリバー・サックスにも無関係ではない。彼が何を思って病院経営に乗り出したのかはわからないが、それでもその根底にはファビーが影を落としている。それは間違いないと思った。
「………」
この国を根底から揺らした騒動は決着している。だがそれは完全なものではなかったし、まして過去に遡ればもっと複雑な事情も色々出てくるだろう。そしてそれらの負の遺産は、これから先のロイの道程に影を落とすのだけは間違いない。
それは、エドワードの望むところではなかった。まったくもって。
エドワードの伝言がオリバーに伝わったのは、彼がセントラルからの客人二人をもてなしていた時だった。
オリバーにはルーシーの一件も伝わっていて、エドワードが絡んでいること、つまりはロイもその背後にいることはわかっていた。
「…准将閣下。実は、お耳に入れておきたいことがありまして…」
食後のお茶を飲みながら当たり障りのない話をしていた所に、使用人が少し、とオリバーを呼びにきた。失礼と席を外した彼だがすぐに戻ってくると、にこやかに「実は…」と切り出したのだった。