銀の弾丸などはない
実際にはそういったごく一般の(と括ってしまってよいかはともかくとして)刑事事件の裁量は憲兵隊にこそある。正確には軍の管轄ではない。まして将官であるロイにどうこうするような問題でもない。だからオリバーとしても、懇願や請願をしようとはさらさら思っていないだろう。そもそも、誘拐自体が狂言なのだ。信頼の差について、目の前の初対面の男とエドワードなら比べるのが無意味だった。エドワードは無茶はするが嘘はつかない。…少なくとも、ロイのためにならない嘘はつかない。
「犯人については金髪に金の目をした人物であると…」
「それは珍しい色合いだ。心当たりでも?」
ロイはしゃあしゃあと聞いてやった。オリバーの出方を見てやろうという気持ちもあった。実業家のお手並み拝見、といった所だ。
「いえ。まったく」
オリバーは一度瞬きした後苦笑した。…そもそも、娘を誘拐されてここまで平静でいられること自体がおかしいとロイは思う。確かに基準をヒューズに置いたら色々とそれはそれで問題だろうが、だが、それにしても彼の態度は平板に過ぎた。
「そうですか…、…ところで、閣下」
「なんでしょう」
ロイはこの「閣下」という呼びかけに実は未だに慣れないでいた。誰に言っても意外だといわれるが、だが、自分が未だ若輩であることは自分が一番よく知っているのだ。確かに年齢は重ねてきたし、自分の今を卑下する気持ちは全くなかったが、しかし「閣下」はそれでもロイには荷が重かった。
「鋼の錬金術師」
「…鋼の錬金術師が、何か?」
「閣下の…、なんと言えばいいでしょう、閣下専属の錬金術師でいらっしゃる?」
ロイは演技でもなく苦笑した。あれがそんなおとなしいものかと。
「そういうわけではありませんね。確かに…その昔、スカウトしたのは私だが」
彼の方では私のことをどう思っているやら、そんな風に思いながらもロイは事実を口にした。それ以上も以下もない事実を。
「それは、先見の明がおありだったのですね」
「そんなこともありませんが…、彼が、何か」
探るように目を向ければ、オリバーはふっと表情を消して口を開いた。それは、娘がさらわれて、と言った時よりもよほど真剣な表情だったので、ロイはつい面食らってしまった。
「…いえ。高名な、希代の錬金術師と名高い方ですから。一度お会いしたいものだと…」
思わずロイは目を見開いて瞬きをした後、失礼、と口にしてブレダと視線をかわした。そうしてお互いに首を捻った後、言いづらそうに口にしたのは。
「…それは…、…お会いにならない方が、いいかもしれません」
絞り出すようなロイの言葉には苦渋がにじみ出ており、ブレダはこっそりとため息をついた。
「実は今日、鋼の錬金術師殿が当院へ見えたそうなのです」
「…は、」
ロイはやはり瞬きした。だが、今度の瞬きはその前の仕種とはまた別の感情に起因するものだった。端的にいえば今回は焦ったのだ。
「関節を痛められたと…、内臓の調子がよくないから、しばらく通院されるようなのですが」
エドワードは誘拐犯ではないのか、と食ってかかってこられるくらいはロイも想像していたのだけれど、まさかそんな切り込みで来られるとは思っていなかった。エドワードが潜入しているのまでは予想の範囲内だったが、こういう受け取り方をされるのは想定外だった。
「内臓…、ですか」
「ええ。詳しくは私までは…、ですが、有名な方でいらっしゃるし、准将がこちらに見えたのとまるで呼び合っているようなタイミングでしたので、何かあるのかと、つい」
「私もそんな偶然があるのかと今驚いているところです。ここの所すっかり姿も見せなかったのですが…」
しらっとした顔ででたらめを言いながらも、ロイは内心で警戒を高めていた。この男は、娘どうこうよりも多分、エドワード本人に興味を持っている。ロイとの繋がりさえ、恐らくは重要ではない。
だがエドワード個人に興味を持っているとなるとなかなかに厄介だ。あれはなにしろ、歩く国家機密にしてアメストリスの最終兵器だ。財力のある一般人がエドワード個人に興味があるなど、あまりろくなことではないとしかロイには思えなかった。実際、過去にも似たような「ろくでもないこと」はあったので。
「そうですか。では、再会できるかもしれませんね」
オリバーは何を考えているのかよくわからない顔でそんなことを口にした。ロイは鷹揚に頷いただけだった。相手の狙いはいまひとつよくわからなかった。
あけて翌日。
ロイとブレダは、本当に健康診断を受けるために、サックス七号病院へ向かっていた。
「しかし七号って味気ないですねえ…元はなんか違う名前だったかもしれないのに」
区画整備で味気ない名前を与えられた地名への哀惜にも似たことを口にした部下に、ロイはただ小さく笑っただけだった。自分が焦土と変えた土地にも、きっと今は別の名前がついているのだろうかと不意に思う。自虐だとはわかっていたが、それでも何か胸に刺さるものがあった。だがそんな感傷を口にする柄でもなかった。
「…鋼のは来ると思うか? 今日」
「あー…どうですかねえ。結構しつこい性分ですからね、あいつも」
苦笑交じりのブレダの台詞に、確かに、とロイもまた苦笑する。
「執念深い、というか、な」
「ですね」
脳裏に思い浮かべるのは、もう随分大人びたというのに、相変わらず少年の頃のままのエドワードの姿だった。恐らくブレダもそうだろう。
「さて、どうだか。あれの首には鈴などついていないしな…」
ロイは目を細めて車窓の向こうを見た。金髪の頭は見えない。後姿だけであっても、あの青年のことだけは見間違えない自信がある。だから、いないのだ。確かに、今は。
たまたま定期報告ができなかったエドワードは、ロイとブレダがまさか七号病院へ、それも健康診断なんていう理由で来ているとは全く知らなかったし、予想もしていなかった。無理もない。
そもそも、定期報告をまめにしていたことがある意味で奇跡だった。彼にできる継続は、非常に限られたことだけなのだ。
そうして、病院へやってきた彼はロイと再会――は、かなわなかった。彼を待っていたのは、サックグループの総帥、オリバー・サックスその人だったのだ。
「はじめまして。ようこそ」
にこやかに笑って迎える人物は非の打ちどころのない紳士然とした男で、エドワードは直感した。これは食えない野郎だと。
「…はじめまして? ミスター」
「内科の検診の後で結構なのですが、よろしければお茶でも?」
「いやあ、名前も知らない相手とは食事のテーブルにつかないようにというのが母の遺言でして」
エドワードはにこりと笑ってかわした。本当は聞かなくてもわかっているのだ。もちろん現実に会うのはこれが初めてだが、資料などで彼の顔は既に知っていたのだから。
「それは失礼を。申し遅れましたが、私、オリバー・サックスと申します。ご高名はかねがね。鋼の錬金術師殿」
「…それは、どーも。ご丁寧に」
エドワードはため息をこらえて適当に返した。どう見ても安い挑発に乗る男ではないだろう。食ってかかるのは我慢した。
「…オレに、なにか?」
「ええ。医療系の錬金術について、ご考察をお聞かせ願えないかと」