銀の弾丸などはない
オリバーの鳶色の目がきらりと光ったように見え、エドワードは一瞬微かに眉をひそめた。
「…オレはそっちは専門外なので、なんなら知り合いを紹介しましょうか?」
とりあえず無難に答えれば、オリバーは笑った。既に周囲からは人払いが済んでいる。違和感を感じる暇もない、自然な采配だった。しかしその自然さが不自然なのだ。エドワードは、ここでもう暴れてしまうかそれとももう少し大人しく話を聞くか、という二者択一を迫られることになる。だが結局は後者を選んだ。さすがの彼も、病院で暴れるほど無謀ではない。
「いいえ。あなたがいいのです。鋼の錬金術師」
オリバーはふ、と笑みを深いものに変えた。それはどこかに狂気を感じさせるような表情で、エドワードは眉をひそめた。目の前にいるのは、ただの実業家ではないし、まして医師でも、医療に関係する人間でもないように見えた。もっと違う何かだ。
「――人体練成について、実体験に基づいた意見を聞かせてはもらえませんか?」
そうして繰り出された台詞に、エドワード・エルリックともあろうものが一瞬言葉を失ってしまった。大変な不覚だった。後にも先にも、こんなことは数えるほどしかない、というほどの。
ブレダが医師の問診でこってり絞られていた頃、やたらと大勢いる看護婦に辟易したロイは、どうにか彼女らをまいて、談話室に出てきていた。検査着だったので敷地の外に出るのは憚られたのもあるし、単純に椅子が目についたからでもある。
そうして座ってみて、彼の視界に入ってきたのは肖像画だ。
「……」
その絵は資料にあったものと同じ人物を描いていた。
ファビー・サクソン。
サウスシティの錬金術師の家系に生まれた女性で、高名な医師として南部にその足跡を残している。だが、サックスとサクソンの関係については特にないように見えた。強いて言えば姓が似ている、とは副官の言だったが、さて関係はありや、なしや。
ファビーは「奇跡の手」とも呼ばれていたそうで、それはまた大げさな、とロイも思ったが、急ぎ集められた資料の中には「触れただけで患部を言い当てた」「背中をなでられたら風邪が治った」などの報告があり、それらの情報がロイの中で統合された時、医療系の錬金術を実際の医療の現場に転用したのだろうか、という可能性が浮かび上がった。
浮かび上がったというか、実際そうなのだろうな、とロイは思っている。そんなことは多分、オリバーに確認しなくてもわかるような気はする。
ということは当然オリバーは錬金術について多少の造詣がある、ということだ。それも医療の方面で。
「…悪い魔法、」
ふと、ロイは今はアメストリス随一の堅牢な砦で保護されている幼い少女の言葉を思い出した。
――悪いまほうが、書いてあるの。
だから、誰にも渡してはいけない。そう言われたと言っていた。そしてエドワードが見た限りでは、真実の誘拐犯達はルーシーだけでなく、ルーシーが大事に抱えていたその本もまた一緒に持っていこうと、もしくはその本だけでも持っていこうとしているように見えなくもなかったと言っていた。
魔法、なんて表現をしばしばされるものにはロイもまた無関係ではなく、だからこそ疑った。錬金術は時として魔法のように強大で、そして恐ろしい。
だから、何かを破壊する、そういった威力の大きな錬金術のことばかりを考えていたのだ。
しかし、ロイははたと気づいた。何も破壊は外的なものとばかりは限らない、という根本的なことに。
部下はここへ向かう車中で言っていた。ライフラインを握った人間は王様にだってなれると、そんなことを。わかっていると思ったが、もしかしたらわかっていなかたのかもしれない。
ロイはがたん、と立ち上がった。舌打ちしたかったが、そんな暇もない。今すぐに検査着から着替えて、オリバーを捕まえなくてはいけない。言いようのない危機感だけがあった。漠然とした不安が、ようやく方向性を見つけてはっきりとした危機感になっていた。
「…鋼の…」
エドワードに興味を持つのは当たり前なのだ。彼が人体練成の禁忌に触れたことは勿論誰に知られているわけでもないが、彼の弟が鎧の巨体から生身の青年にある日姿を変えていたことや、彼自身が百年にひとりとでもいうような逸材であることを鑑みれば、事実を知らない者であったとしても、彼の頭抜けた才能ならばあるいはと夢を見る。
つまり、人体練成は叶うのではないか、と。
恐らく錬金術師の誰もが一度は通る道だ。――自分もかつてはそうだったように。
ロイは迷いのない足取りで受付の場所まで道をたどり始めた。軍人たるもの、一度通った道くらいすべて覚えていなくては務まらないし、頭の中で立体地図を組み立てられるようでなくてはろくに作戦も立てられない。そうした意味では、ロイはやはり優れた軍人なのだ。必要な能力と努力をいとわない性格に恵まれた。
エドワードは応接室のような場所に通された。
とりあえずはもてなしてくれるのか、と皮肉に思いながら、供されたお茶と、洒落た皿に置かれたケーキを見る。普通に美味そうだったが、ここまでの展開を踏まえた上でこれを素直に食べられるほどおめでたくは出来ていなかった。
「毒なんて入っていませんよ」
それらを正確に読み取って、オリバーが笑った。しかしエドワードもまた笑い返す。
「いや、それが。胃腸を弱らせているようだって診断をうけたんでね。少し色々節制しようと思って」
肩をすくめて答えたエドワードに瞬きをしてから、オリバーは楽しげに笑った。
「機転の利く相手との会話は楽しいものだ」
「そりゃお褒めにあずかり光栄ですこと」
エドワードは軽い調子で言って、再び肩をすくめた。目の前にいる男は、確かにあの素直な男とはまるで違うようだった。
「単刀直入に行こう。若い人に昔話も退屈だろうから」
「それは助かるね。でもいっこ訂正させてもらえば、オレは昔話もそんなには嫌いじゃない。――錬金術にかかわることならね」
片目をつぶってエドワードは口にした。
「たとえば、ファビー・サクソンのルビーの指輪、なんて話題なら、オレは長くても昔話でもちゃんと聞くよ」
オリバーはしばし言葉を探すように唇を開いて、そして閉じて。再び開いたとき、こう口にした。
「…それこそ単刀直入というものじゃないのかね、君」
エドワードは目を細め、そうかなあ、ととぼけた答えを返したものだ。
エドワードとオリバーが会談のような交渉のような探り合いのようなことを始めている間、敷地としては同じ病院にいるはずのロイは、思わぬトラップにぶち当たって立ち往生していた。
「…落ち着いて、いいかい、ほら、怖くないから」
「いやっ!」
木に登ってしまった猫(なぜ病院に猫がいるのかはわからない。普通はだめだろう)を助けようと木に登って降りられなくなった子供を、地面で看護婦達がはらはらと見守っていた。そしてその群れの中に紛れ込んでしまっているのは、検査着のロイ・マスタング。
検査着がツーピースでよかった、と心底思いながら、ロイは結局、数十年ぶりに木登りなんてする羽目になってしまった。