銀の弾丸などはない
見せつけるように手枷を示せば、男は歯ぎしりをしてエドワードをつき離した。青年は床に転がりながら、ハハ、と笑う。ブレダはいささかあきれ顔だ。いつもこんなことばかりしているのだろうか、と思えば、柄にもなく心配になった。全く、心配だなんて、彼に関して言えばロイが専門であろうに。
「――きた」
しかし、床に頭をつけごろんと転がっていたエドワードの表情が一変する。それまでの馬鹿にしきったようなものではなく、もっと凛とした、研ぎ澄まされたものに。その変化は一瞬のものだったが、ひどく目に鮮やかでブレダは思わず見とれてしまった。
「…なにが、」
だから反応が遅れてしまったのはそのせいだと思いたい。
ブレダが全部言いきらないうちに応接のドアが蹴破られ、その向こうにはいつもと変わらぬ姿のロイが立っていた。青い軍服も、発火布もそのままのロイが。
さすがにあっけにとられている男達がロイに集中している間、エドワードが音もなく身を起こし、素早く足払いをかける。ひとりは気がついて振り向いたが、そこにロイが踏み込んでくる。応戦するはずのひとりはあっけなくロイに殴り飛ばされ、もう一人はエドワードのかかと落としで床に沈んだ。ともに、ぴくりとも動かなかった。ブレダはぽかんと一連の流れに見とれてしまっていた。
最初に足払いをかけられた男が起き上がる所を、エドワードの足がしっかりと押さえた。彼は遠慮なく背中に足をかけながら、脅す。
「これ、はずしてもらおうか?」
その表情は間違っても正義の味方などには見えなかった。どちらかといえば悪役そのものだ。なまじ顔が整っているだけに余計に恐ろしかった。
「………」
ブレダは一体どちらを応援したものなのだか、と一瞬つい迷ってしまった。
その後はすぐにもオリバーの所へ向かうのかと思いきや、ちょっとした愁嘆場だった。ますますもってブレダはいたたまれなくなったわけだが、仕方なし、と諦める他なかった。ついてきたことを最も悔やんだ瞬間でもある。
「どうして君はこう無茶ばかりするんだ!」
そんなことより呻いている連中をどうにかしてやったらどうなのだろう、ブレダはそう思い、…既に自由を回復した両手を使い、そっと倒れ伏す男たちを部屋の隅に重ね、念のため拘束しておく。そんなことをしなくても、当分目を覚ます気配も感じられなかったのだが。ちなみに、拘束具の鍵を得るために生き残らされていた男もまた、今はおとなしく床に転がっている。かわいそうに、ブレダは敵ながら同情を禁じ得なかった。
ちらりと二人の錬金術師を見やって、彼はまたため息。どう考えても救われない。あんな連中にのされてしまったなんて。
「べっつに、無茶なんかしてねえし。…いいだろ、早くオリバーの野郎をとっ捕まえようぜ」
「いや、この際だからはっきりさせようじゃないかね鋼の、いや、エドワード・エルリック!」
びし、と指さすロイは何かもう、…何かが切れてしまったような印象だ。さすがのエドワードも面食らっているのか、目をまん丸にして言葉を失っている。
とうとう臨界点を超えたか、とブレダは何となく思う。大体にして、ロイという男は基本的に多分わがままなのだ。それでもここ数年は随分と大人になったのだといえる。部下の自分が言うのもなんだが。そして、そんな部分を持っているからこその彼なのだとも思っていて、けして幻滅したりはしていないのだけれど。
「君は大体、私のことを何だと思ってるんだ! いいかげんにしたまえ!」
ヒステリーか、と突っ込みたくなるような発言だったが、エドワードはぽかんと口をあけて黙り込んでしまった。どうやら彼の予想の斜め上だったらしい。
「…君はひどいよ」
エドワードの様子に、ロイも声のトーンを下げる。そして今度は、情けない顔になって言い募った。
「本当にひどい。…私に、心配すらさせてくれない」
エドワードは目を見開いた。唇はかすかに動いて何かを伝えようとしていたが、結局は何の形も音も得ずに終わる。ブレダは、さてこの痴話喧嘩を一発で終わらせる何かいい手はないものだろうか、と思案に暮れた。…智将をもってしてもそれは困難な課題だった。
口を開いて閉じて、を二回繰り返したエドワードは、ばつが悪いような様子で顔をそらした。それはこの勝気な青年にしては珍しいことだったので、ブレダはおや、と目を瞠る。
「…それは。…そんなことはない。…後でちゃんと話すから」
ロイはこの拙い回答にしばし沈黙した後、はあ、と息を吐いて頭をかいた。そうして、わかった、そう短く答えたのだった。
二人が案外冷静に現状を把握してくれていたことに最も安堵したのは、言うまでもないがブレダだった。
軍服の青はやはり目立った。
廊下を歩けば、誰もが奇異の目、それも少し敬遠気味のものが遠慮なく送られる。それでも中にはロイの顔を見てそれとわかるものもそれなりに混ざっているようで、あ、といった驚きの声があがったりもしている。それらにちらりと笑みを返しながら、ロイは進む。その隣を歩くエドワードにも当然視線が集まるが、これはロイを見るのとは若干意味合いが異なっていた。何しろ鋼の錬金術師の話題はここ数年とんとお目見えしていなかったし、エドワードの機械鎧も今は見えなかったから、金髪の金の目、だけでは判別できる者がほとんどいなかったのだ。ましてサウスはエドワードにとってそこまでなじみがあるわけでもない。これが同じ南部でもダブリスだったらまた話は違ったかもしれないが…。
しかしそれでもエドワードは視線を集めた。その理由は、彼の容姿にこそあった。高く結った長い金髪も、凛とした整った容貌も、人目を引くのには十分すぎるものだったのだ。それがロイという「有名人」といるのだから、相乗効果は考えるまでもない。
今廊下を理事長室へ向かって歩いているのはロイとエドワードだけだった。ブレダは別行動をとっている。それは勿論必要があってのことではあるのだが、必要がなかったとしても彼は一緒には歩きたくなかったかもしれない。この二人が揃うといやに派手になりすぎるのだ。何をしていても、していなかったとしても。付き合う方が疲れてしまう。だからこそ、ブレダは進んで通信係を引き受けたのかもしれなかった。
エドワードの服装は、かつて知られていた真っ赤なコートではなくなってしまっている。だが基本は派手な装いが好きなので今でも赤やら金やら、刺々しいものなどが服には多かったが、旅をするのにも潜入捜査をするのにもそういった色合いや形は向かないので、無難な白シャツにとりあえず何かズボン、という適当な服装が最も多かった。だが人間とは不公平に生れ付くものだ。エドワードが今着ているのなどは三枚二九八〇センズの安いシャツなのだが、言われなければゼロをもうひとつ増やしたくらいには余裕で見えた。これは要するに身につけている人間の問題に尽きる。
「…病院の中で暴れるのはご法度だぞ、鋼の」
ロイは歩きながら小声で隣に釘を刺した。
「…当たり前だろ」
答えるエドワードは鼻の頭にしわを寄せて不機嫌そうである。病人を人質にとった男と同列に扱われることが我慢ならなかったものらしい。
「だが君は時々脊髄反射で生きているから」